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ダバオ通信  ヤン爺のラストライフ・ダバオ 
              Last Life Shift In Davao Philippines

            フィリピン社会に戸惑う ダバオ隠居物語
                  「団塊 百年の孤独 老いの抗い」  
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藤さん 元気なんで よかった 


ありがとよ 60越えのジジイ 励ましてくれて

めちゃくちゃ笑い 泣き 怒り 嘆き 途方にくれ
ハラハラ・オロオロ・ドキドキしながら
夢中に なって 道草の楽しさを 想い出してた


初めての フィリピン
ユーモアと 切なさに満ちた 
快感MAXの3ヶ月 だったかい


時計を 見ている人が まず いない
太陽の動きで ご飯を 食べたり
笑いあったりするのを 見ていたら
俺の生きる感覚が 狂ってしまったんだな


ふ~ん 気づいたんですか? 面白いね 

東京にいると 何でも 便利なようで
それでいて 何かを どんどん失う
現状に不満がある人は 投票に行かないし
『不便だからこそ いいことが ある』という
前向きな考え方を 持てた 心も潤うから・・


ゆったりした時間 
静かな夕闇が 迫ると 幾分涼しくなる
住民たちが 家の前の路地に出て お喋りを 始める 
旅も急がずに 時の流れに 身をゆだねて いれば
この土地の ライフスタイルや文化を 
肌で感じとれた


安藤さん 陽に焼けた顔で 笑っていた

帰国するので 早い午後 挨拶に来た

 

ワインを所望  

 

あぁ 飲もう  風が抜ける テラスに座る



 

安藤さんの話し 口を挟まず 聞いていた

旅人が フィリピンに来ては 衝撃を受ける 
団塊人で あれば タイムトンネルか
過去と現在が 共にある街 ダバオを 見てる

昭和を 輪郭をもって 見てるのかも しれない
本当の フィリピンが 見えてくるのは
あと どれくらいかかるのか そう思ってるのかも
何かを 考え 抱えて 日本に帰っていく・・

自分が 最初にフィリピンを 知ったのは
会社の出長で ラグナに出向いた時 だった
駐在の社員と顧客を周り 視察した
簡単な英語で 商談しているのを 聞いて
こんなものかと 内心 驚き 怖さが 無くなった

面白そうな計画は たいてい実現させるまでに
長い時間が かかるもので いつ 自分が 
ダバオ移住のアイデアを 思いついたのか
いまとなっては 曖昧


俺たち 東京もんが
「苦しい」と 感じることが あるとすれば
「執着」だろうな そう言う街だから 東京は


物やお金への執着 人間関係への執着
若さや健康への執着も いろいろある


物やお金を たくさん欲しがる
殆どの人が 叶わない 願望なのに
人間関係もそう 若さや健康だって 
歳に抗って みたって 躰は いつしか 
自分の言う事を 聞かなくなるもの なのに


平成東京のよふけを 想像してる

手に入れられないものに 執着すれば
それは 楽しみじゃなく 苦しみになる
追いケチャップを 欲しがるように

ダバオにいたら 執着なんか 自然と消えている
周りに 金持ちも 物持ちの存在も 見えない
うらやむ対象が ないからね
みんなが 同じ様な暮らしを してる
人間関係だって 互いに 干渉しすぎない 
つつましく暮らす そんな 人々だから
付き合いは 笑顔で挨拶を 交わす程度

安直な 絆なんて ここで 求めるもんじゃない
集団を生きるなか 他人とちがう自分を 守る

老人の健康で言えば フィリイピンでは 
老いたら 自宅で 老衰死か 自然死が 普通

話しは 飛び
安藤さんは フィリピン女の 愛の迷いを
冷静に 見すえられたのか 話し始めた


ダバオの女の主旋律は 自己正当化だな 
あらゆる価値判断の 根拠となって いないか


男に飽き飽きしている 

マイウェイとマイペースを ゴリ押しする女 

俺の感情を 絶妙に逆なでしてきた


 
 

これはダメ アレはダメと 声高に 我が意を 語るんだが
これで行こう と 結論は 言わないんだもの
女が なに 言いたいのか 分からない


俺と女との関係が 他の誰にも 成しえない

そのもので あることを 確認したいから
俺の心は 高鳴る あの夫婦や あの恋人たちとも違う
何か 俺とあの女にしか到達できない 関係
そのことが 俺を 男を支えている


声は低く 穏やかで
油断していると 聞き逃してしまう
大声で 何かを 押し付けることも
こぶしを振り上げ 力説することも
派手なフレーズを ぶつけてくることも ない


女脳の中味には 何が あるのか 
たとえて ラーメンを 一緒に食べる
男脳では この麺に このスープか よし 
そして この具と きたか 考えたな 悪くない
三味一体 見事にバランスを 取った と うなり
麺を すすり上げ スープを 堪能する



 

女脳の中は 違う 具は具 麺は麺 スープはスープ
それぞれの素材を 独立した料理と しているから
林を見て 森と言うラーメンを 見ていない
あげく 具は 食べたが 麺は 食べたくない と 言った
心の栄養になる 見えない食が 分からんか
ほんと 凹むことよ


ダバオの伝統的な調理法が
親から子へ 継承されてゆく時代は とっくに終わり 
生活を支える 食の足場は 失われた
自分が 何を食べているか 分からない そんな事
しょっちゅう あるわけだろう

男と女の思考の違い 脳の性差によるのか・・
自分なんか フィリピンの女の事 なんにも 
分かって いない

こじらせても 向き合おうと しない男が
こうした 我慢しない女を 作り上げたのか 
多分 違うな

男に 度胸を 感じない 
フィリピン女には とても かなわない


嫌な女だね 馬鹿な男だね 
それで  済まないところが 
フィリピンの エグいところ なんだ ろうな
言っている事 間違って ますか


いや 正直 そのエグ味 分からない

男と女 完全に 一致させることって
どれだけ 言葉を尽くしても 肌を重ねても 
出来ないもんなのか と・・ 

男を勘違いさせる 女の笑顔も
描いた思いも 未完の東京人


女って 孤独を 知らないん じゃない?
女の方が 頭が いいから
世の中 まともにやったら 8割 女に乗っ取られる
でも 良い女に なれるか どうかは また 別の話だ 


いい女は「どこか憎めない」と 思わせる
不思議な力 = かわいげ 愛嬌かな 


「かわいげ」は「かわいい」では ない
容姿や見た目 年齢などは 関係ない
強烈な個性を持ち 時に ある種の「毒」を 放つ
それでいて「無邪気」と 言いたく なるような 
笑顔を 平気で 作れるんだから たまらない



 

誰かを 幸せにするためにね
わかって あげたいと 表現しても
女が ちゃんと まず 一人で あること 精神の自立だよね
自分が 自分の椅子に ちゃんと 座っている ことって
そこに 生きていく 希望があると 俺は 思ってる


さよならの力 不運と思うな 追いかけるな
口に出さずに おいた

「カネで 得られるものなんかは たかが 知れてる」
人間が 真に欲しいものの ほとんどは 金では 買えない
だから お金に執着もしないし 嫉妬もしていない

お金に 心揺さぶられて 生きたくない
周りの人に 安心感を 与えられれば それで いい

お金は 大事だと思いますよ
でも カネに 左右されてしまう 生き方は
品性が 無い と言うか 恥ずかしい

お金「ないと 生きていけない もの」
そのぐらいにしか 考えていなかった
お金とは どういう位置付けなのか
今 生きる最低限のお金と 向き合っている 



 

誰にも 叱られず
自由に行動できるのが 老人の特権
だから 好きなように 生きよう


「好きなように生きろ」ですか
東京人の俺には 力強い励ましだが 難しいな


アリも 忙しいのだ
問題は 何に そんなに 忙しいのかと いう ことだろ

やっと 誰にも 叱られず
自由に行動できる立場に なったんだから
あんたが 好きなように 生きよう と 干渉されない
人に 迷惑を掛けない限り 何 やっても いいし
「誰かを幸せにしなくては」と 気負わなくても いい

日常を つつがなく 生き続ける中で
知らないうちに 誰かを 安心させていたり
誰かの力に なっていたり するもんだ
生きていくって そういうこと じゃないの かな

もう 73歳だし 心の安らぐ場所で
やりたいように生きる
自分の思う様 やりたいことを やる
それを いま やっておかないと
いつ人生 クビになるか わからないからね

女が夜も歩ける タクシーも普通に乗れる ダバオ
フィリピンを もっと知りたい 好きだから
東京人は そう言って 帰っていった

「迷ったら戻っておいで いつも ここにいるから」

いずれ 東京人は ダバオで 
何処の誰とも知れない ダバオ人に なれるのか 
そんなことを ふと思った
そうなることで 二生が 許される とも 言える
ダバオで 別の人間として 名も替え
生き直そうとするなら それで いい

安藤さん ダバオに 自分の等身大の分身を 

見たのでは なかったか

斜めに照りつける陽に 目をやった 
眩しくて 長く目を 開けていられない



 

やぁ みなさん ごきげんいかがですか
あなたの心と躰 お変わり有りませんか
ヤン爺です 今日も ダバオにいます
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い死・良い死・普通の死

死に方に 良し悪しは ありますか? 
結論は「ある」に なる

上々の 人生だったのに 最悪の死に方をする人も いるし
悲惨な 人生だったが 最期は 安らかだったという人も いる

死に方を 助言するなんて ことは
生き方を 助言する以上に 難しいから
一緒に あなたも 熟考してみませんか

どういう風に 死にたいかと
どういう風に 死ねるかは 違いますよね

「普通の死」と 言われて 思い浮かぶのは

事故死や殺害されるような ものでは なく
老衰か 病気か 苦痛は 無いほうが いいし
できれば 自宅で みんなに別れを 告げて
惜しまれながら 穏やかに最期を迎える

現実は 違う そんな 簡単には 死なせてくれ ない

在宅死 それは「理想的」で 
まぐれの最期と 考えたほうが いい

では 現実の死とは 

長い慢性病の末に 死ぬかもしれないし
慢性病が 知力と意思疎通の力を 奪うかも しれない



 

フィリピンに いても 日本人の躰です
「平均寿命」-「健康寿命」≒ 死ぬ前の10年

医療や介護のお世話になる期間が 誰にも 見込まれる

他人のお世話に ならないと
生きていけない 10年で あったら
死に方・死に時を考える 入口

誰かに オムツを替えてもらう10年か
恍惚の人となり 自分が 誰か 分からない10年か
ベッドに 縛り付けられて「やめてくれ」と
意思表示も ままならない 10年か
あるいは その全てか

不安な可能性に 満ちている

殆どの高齢者が ピンコロを 願っている
昨日まで ピンピンしており
今日 苦しむことなく コロリと死ぬ

本人には お別れも 未練もなく
自覚も無く 断ち切られる 人生 
いいかもしれません

そういう死に方が できる人は 僅か 5%だけ 

まぐれみたいなもの 
ピンコロに 過度な期待は 出来ません

自然死というのは 一種の餓死
老衰や病気では 身体機能が 落ちる
人は自然と ものを 食べなくなり
本人も 悟った目をし 静かに 横臥して待つ
生命力が だんだん細くなり 死んでいく
フィリピンでは 老人の死に方として 普通
理想的な 死に方の ひとつ

病院にいては なかなか そう させてくれません

食事 着替え トイレにも 
介助が 必要な状態となれば
日本であれば 在宅介護の可能性は 少なく 
施設などで 知らない人間に 囲まれるか
病院で 苦しんだ 後に 死は 訪れる

家族や友人に
別れを告げる機会は ないかも しれない

「安楽死」や「尊厳死」なんか アテに できません
死にかかっている人は あまりに疲れ 消耗しており
「尊厳死」するほど「崇高」では ない

生存本能は 極めて強いため
元気なときは 生きる価値がないと 言った 人生に
しがみつくという 可能性も ある

医者が「良い死」の 処方箋を 書くとは 限らない
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い死が 分かりやすいのは
トルストイが 書いた『イワン・イリイチの死』

イワン・イリイチは 40代で
虚栄心が強く 裁判官として出世し 資産を蓄え
豊かな生活を 送っていた

腹部に痛みを覚えて 医者に見てもらうが
いろいろ 診断してもらった 結果
助からないことが 判明する



 

問題は ここからだ

家族や医者は この事実を 隠した
全員が 全員 これは ただの病気で
死ぬようなことは なく
医者の 言うとおりに していれば
必ずよくなると 嘘を つくのだった

痛みは激しくなり どうすることも できない
死が 待っていることは 分かっているのに
みな 嘘を吐き通そうとし 
イワン・イリイチ自身にも

「助かる」と 嘘の暗示を かける

嘘をつくのは
「希望を 失わせないため」善意からで
死が 近い人間は 芝居じみた 虚偽の世界に 住んでいる
「希望を失わせない」アリバイづくりのために
無益な医療が 押し付けられ 苦痛を 味わい
惨めな思いをしながら 死んでいった

意識が 混濁した 本人に代わって
「手を尽くしてください」と 訴える 家族
いらない 濃厚医療が 施される
人生の 最後の 最後になって 本人の意思に 関係なく
苦痛を伴い 無理やり 生かされている 状態が 起きる

苦しんでから じゃないと 死ねない 病因死
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は生きて 死ぬ あたりまえの ことなのに
死が 近くなれば なるほど
本来は 医療問題では なかった ことが
医療として扱われ 治療の対象と なってしまった

病院に 担ぎ込まれたので あれば 
治療せねば ならなくなる?

そして 家族が 言う
「できるだけのことを してあげてください」

できる限りの治療が 始る
人工呼吸や胃ろうなど 延命治療 始めたら 

それを やめるのは 難しい 訴訟リスクが ある

本人が 文字通り「必死に」なって
家に帰る 家で死なせてくれと 訴えても
家族や周りの人が 最後まで頑張って
可能な限りの 治療をと 言うならば
医師は 家族に従っている

家で 死にたい本人と
家で 死なせたくない家族

延命技術は 日々進歩してる
「死なせないため」なら
本人の意思と関係なく 寝たきりの状態で
長く生かし続ける のが 今日の医療



 

「胃ろう」が 問題として提示されている
高齢者に ひとくち ひとくち食べさせるという
手間と時間とお金(労働力)の かかる 方法よりも
胃までチューブを通し 直接栄養分を 流し込む方が
死なせないための 安全な措置 

ベッドで 横たわるのは もう 人間では ないのか?

胃ろうを 自分に施したら 殺すぞ

食べるという 人間の ごく普通の行為を
医療介入に任せ その単純な 楽しみを 患者から 奪った

胃ろうで 栄養を与えるのは
誤嚥による肺炎を防ぐ 患者のためという より 
むしろ 家族と医者の感情的&経済的な問題を 
解決するためだ

医者の仕事は 病気の治療
社会から 死を隠した結果
人生の扱いにくく 解決不能な ごたごたが 
医療に 今 押し付けられていた

食べる 飲むという楽しみは 遠い記憶と なっていた
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んなに 医者を 頼りにするなら
医者が すすめる 死に方が あっても いい
医者が すすめる「良い死」とは?



 

多くの人の死を 見てきた
医師に聞けば 正解を 得られる

 

「あなたなら」どんな 終末期医療を 望むか 
それを 医師に直接 訊ねるのだ

「良い死」として 医者が すすめる 死に方
医者が 患者に施している方法と 全く異なっていた
医者は 自分に対して やって ほしくない 医療を
患者に対しては 行っていた

大多数の医者は 
心肺蘇生 透析 大手術 胃ろうを 拒否している

全員が 鎮痛薬 麻酔薬治療による 鎮静死を希望
ある医者は 堂々と胸に「心肺蘇生は ダメ」と
入れ墨を 入れている

医者本人は 濃厚医療で ムリヤリ
「生かされる」ことを  望んで いない

これは 自分や 家族について 
医師と相談する際に 使える
ある治療や処置を 施すか どうかに ついて
医師から判断を 求められた とき

「先生ご 自身が こうなられたら
   どういう処置を 望みますか」と 聞く

または 家族の場合では
「先生の お母さまが~」と 置き換えれば よい

「先生なら」どんな 終末期医療を 望むか
医師に 尋ねたら 良い死が 見えてくる
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師が「死ぬなら 癌がいい」と
あなたも 聞いた事が あると思う

余命宣告されてから 死ぬまでに
動ける時間が あるからです 
残務整理や お世話になった人への 
お礼の言葉も 伝えられる

しかし これは 表向きの話しで
本音は「確実に死ねる」ことに ある

平均寿命齢以上に なった場合
一年ぐらいで 確実に 死ねる 死は
歓迎すべきもの だからです

ある医師は
自分で 自身の胃がんを 診断してから
「一切治療は しない」と 決断
痛み止めだけを 服用した
そして 9か月後に 亡くなった

カネがあれば 幸せな死が? 迎えられるか
社会が 医療倫理が 変わるには 時間が かかる
その前に 自分の死が やってくるだろう

願わくば 安らかな最期だが
願うだけでなく できる準備は しておく

フィリピンでは 自宅で 自然な老衰死が 普通
体力が 消耗すれば 食が細り 水分だけを 取る 
痛みがあれば 鎮痛剤で 抑える
後は 天国からの 使者を 静かに待っている

迎えが来るまでの間 赤ちゃんを 扱うが 如く
当たり前の介護を 家族全員で している

最後は・・幸せな記憶を 持って 逝かしたいから
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く生きる」のが 目的では ない
「よく生きる」のが 目的です

「命の長さでは なく いかに 命を 使い切ったか」

死は よく生きる その 先にある 
死に方を 選べるようで ありたい
選べるうちに 選んで おきたい

これから 何度も 考えることになる

平常心で 自死した者の ことも 考えることになる

患者が望む最後と 
家族が望む最後は 違ったのだ
患者は 苦しみたくないが
家族は 悲しみたくないのだ
意見が 一致するわけが ない

そして 医師が 尊重してしまうのは 
家族が 望む 濃厚延命医療なのだ
人工呼吸器を使って 延命してほしいと いったり
心臓マッサージを 希望されれば 医師は やる

鎮静死 セデーションについて 考えてみた
末期患者に 鎮静剤を投与して 意識水準を下げる
終末期の 耐えがたい苦痛を 緩和してあげられる
苦痛緩和を 目的にした 「ターミナルセデーション」
医師の裁量で 行われる

患者は 鎮静剤を与えられ 苦痛なく 意識なく 逝く

自分の父親が そうでした 痩せ細り
直腸癌で 痛みに苦しみ 歪んだ 顔を 見ていられなかった 

痛みを 止めてあげてくれ 医師に懇願した 

モルヒネを 投与してくれ 今 すぐ

心臓が たえられなかも いいんですね

それから 数時間後 亡くなった
安らかな 父親の顔を 見て 家族は 納得していた

生きる権利は 誰にでもあり 保証されている
死ぬ権利を 持つと びっくりするほど 生きやすくなる

生きる権利を 生きる義務にされてしまうと
病気になった時 死ぬ権利を 果たせないので 
苦しまなければ ならない

死ぬことは 悪いことでは ない
死ぬことを 悪いことと していたら
人類全員 バッドエンド
自分の望む死 ハッピーエンドを 目指す
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人生のタイトルを ダバオで 得た
「人間が 人間らしく 生き 死ねる場所」

幼心に漠然とした 恐怖心を持ち
受け止め方が ずっと わからずにいた
「死」という 概念

70歳を迎えたとき 改めて死を 意識していた

フィリピン「死者の日」と 呼ばれる その日
日本のお盆のように 死者の魂が 地上に戻ってくる

家族が 灯明を立て 魂を 迎える
墓は 花で彩られ 屋台が 立ち並ぶ

お墓の前に座り 生前の親族を 懐かしみ
一晩を 一緒に過ごす 家族

悲しいから あえて笑ったり
楽しく お祭り気分に 浸る人も いる
静かに悼む人も 表現のしかたは それぞれ

花は 死者の人生が 
美しいものだったことを 表現するために 飾る

死への恐怖 死は ただシンプルに 悲しいもの
理屈ではないものを 見せられた 気がした



 

ダバオは 死の本質だけでなく
生の本質も 教えてくれる

人の営みは 奇麗事だけでは 成立しない
人生の 安息を得る上では 負の存在もある
それを 避けては 通れない
頭では わかっていたことを
現実として 見せつけられた

美しさも 汚さもある ダバオ
ありのままの人間を 許容する街

ただ 体を休めたり 悲しくて嘆いたり
人間が 人間らしく いられる場所
ダバオに 悲しさと 華々しさを 同時に感じる
しかも それが 美しいと思った

美しさも 醜さも抱える この世界を
真正面から 見据えれば
「声に出し 言葉にして 伝わらない方が いい」
「ただ感じるだけ」の 瞬間を 肯定している

自分の心が 感じるままに 生きている
都会にいれば 感受性は 誰もが 見逃してしまう
世界の 美しい瞬間に 気づかせてくれる 反面
見なくてもいい 知らなくてもいい
社会のひずみにたまった 澱(おり)すらも
感じ取ってしまう

社会とは 人と人とのつながり
社会との関わりが 増えると
人は 無意識のうちに 感性を鈍化させやすい
それでも 自分の中に
言葉にできない 素晴らしい瞬間を とらえる感性は
消えずに残っていることを ダバオは 思い出させてくれる

人が人を思うこと 愛こそが すべて
感情の赴くままに 生きる