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ダバオ通信  ヤン爺のラストライフ・ダバオ 
              Last Life Shift In Davao Philippines

            フィリピン社会に戸惑う ダバオ隠居物語
                  「団塊 百年の孤独 老いの抗い」  
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覚にも ぽろり 涙が出ました」

地上戦で 県民の4人に1人が 命を落とした
沖縄を占領下にした 米軍は 
人々の土地を 力で奪い 基地を造った
米軍 普天間飛行場が その一つ だった



 

1996年12月4日 23年前になる この日
沖縄県宜野湾市の ラグナガーデンホテル
条件付き 普天間基地返還を 米国と合意した後
橋本龍太郎総理と沖縄の基地所在市町村長との会合

その場を支配していた 雰囲気は
感涙にむせび その涙をこらえる
嗚咽ともつかない声で 満ち満ちていた

この会合の 最後に発せられた
地元新聞社社長の言葉

これまで沖縄は
被支配者としての 苦悩の歴史だった
橋本総理の沖縄への篤(あつ)い 思い
真摯(しんし)な 向き合い方が
ヤマトンチュ(本土人)と
ウチナーンチュ(沖縄の人)の
厚い壁を初めて 打ち破った!



 

その瞬間 歴史は 動いた



 

皆さん ごきげんよう「老休移住生活者」
ヤン爺です 今日も ダバオにいます
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本総理は 政権発足早々から 一人 

沖縄問題を 解決したいと 考えていた

しかし「普天間基地の返還」に ついて
外務 防衛当局 殊に外務官僚は
「事なかれ主義」「対米追従主義」で
そんなこと できるわけが ない 首相は 無知だ
全く 取り合おうと しなかった

クリントン大統領との首脳会談が 決まり
事前の「総理発言要領」に「普天間」という文字は 

なかった

橋本総理は  この外務当局の 対応を 踏まえ
ギリギリまで 悩んだ 首脳会談の直前まで 
判断 しかねた

クリントン大統領と会談をしているうちに
米国側の沖縄に対する配慮 温かい発言も あって
総理は その場で 意を決し 普天間基地返還を 切り出した
沖縄県民の切なる願いは 普天間基地の返還にある

日本では 当時 絶対返すはずがない と思われていた
普天間基地の全面返還 クリントンと話しが できた

この会談を機に クリントン大統領は 早速動き
3日後には ペリー国防長官に 具体的検討を指示した
ペリー氏(黒船のペリーの末裔)も
沖縄での従軍経験から 沖縄県民の思い 苦悩 実情を
十分理解し 海兵隊との調整に 努力した

副大統領経験者の大物・モンデール駐日大使も含め
日米の連携プレーが 実現に向け 成果を上げていった
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本・クリントン会談から 2ヶ月後

1996年4月12日「返還合意 最終交渉」
日本にとって 歴史的 長い一日が 始った

総理から 沖縄県知事に電話

今夜 モンデール大使と ギリギリの交渉をする
そのためには 今ある基地とは 別の所に
ヘリポートを つくらなければ ならない
アセスの実施や地主の協力を 得るためには
県の協力が 得られなければ とてもやれない
それだけは 約束を・・

交渉の中味は 死に物狂いで やる 
だが どうなるか わからない
普天間を 取り戻すために 全力を尽くす

県が 全力を挙げて協力してくれないと 進まない
古川官房副長官を中心に チームを作るので
県も参加してほしい

私は 外務省 防衛庁 他の閣僚も
飛ばしてやろうとしている それだけの決心 覚悟だ
県内に 適地を探す

これに対し 大田知事は
「県の三役会に かけなければ」と 口を濁した

 

「そこまで 総理が 言われるなら 
   できるだけのことを やります」

その後 モンデール大使と執務室で会談
返還合意が 成った 

終了後すぐ

外務大臣 防衛庁長官 
渡辺嘉蔵 古川貞二郎両副長官が入り
総理より 返還合意の説明 

今 大使と握手した 
普天間基地は 全面返還される
ここ5年から 7年のうちに 
条件は 基地機能の維持
米国との約束を果たすこと 認めてくれるか

そこで ヘリポート問題だが 何処に作るか
県の最大限の協力を 貰わないと できない
古川副長官の下に 各省庁にまたがる
タスクフォースを設置
そこに 沖縄県 吉本副知事と調整官が入る
こうなれば 5-7年を 1年でも 早くするか どうかは 
私たちの仕事次第だ 一緒にやろう

総理が 同席者に 進め方を 話し
知事にも 喜んでいただいた
国と県が協力していこうと 確認できた

その後 総理に促されて モンデール大使は
太田知事と英語で 電話挨拶
知事は 突然 大使が 電話に出て 驚くも
良いムードだった

モンデール大使
「知事の 最善の努力を お約束していただき
   ほっとしている」

20時より 記者会見
「返還合意」を モンデール大使と発表

大田知事も
「総理の 非常な決意で 実現していただいた
   全面協力する」との 声明を出した

自分は なんで  涙もろくなったのか
感情の起伏  思い入れが 強くなった せいなのか
今までに 抱いたことのない感覚が 内から沸き上がる
しみる話しを聞いたり 本を読んでいても 
TVを見ていても すぐ 泣けてくる

これまで なかった
声を出して 笑っている時も ある

TV番組 ご長寿早押しクイズでのこと
「正義のヒーロー スーパーマンの胸に書かれている

  文字は 何でしょう?」という問題に
  高齢の出場者のひとりが「安心対応!」と 答えた
  すごい発想である 笑った と同時に はっとさせられた

お年寄りは ヒーローにも それを求めるのかと
どんな 些細な相談にも 親身になって対応してくれる
「安心」こそが お年寄りの いちばん求めている もの

沖縄の人も 一日も早い「安心」を 求めていた

馬鹿笑いしながら 涙もろかったり
断じて 歳のせいでは ない 

感情が 入り交じって 複雑なんですが
すべて ありのままを認めて 抱きしめたい! 
そんな気持ちが 涙になった
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天間飛行場の返還は 
今から 23年前に 日米合意されたものです
その移設先については デッドロックに
乗り上げていた

移設先が 決まらなければ 返還も不可能

「普天間基地の代替機能を確保する」
 それが 基地返還の条件だった からだ

沖縄が望むのは 県外移設
国防というなら 国民全員が 担うもの
だが 当時は「返すはずがない」という
出発点からの 突然の交渉妥結だった ため
その時点では「県内移設」しか 考えられなかった

軽減かつ 日米安保からの要請も 満たす
諸点を ギリギリまで追求し 発案したのが
「海上施設案」だった

土砂による「埋立て案」や「メガフロート案」
コンクリート製の 防波堤を 打ちこむ 工法では 
生態系に 多大な影響を与える

だが 誰もが納得する 百点満点は なかった
その ベストミックスを 考え抜いた末の
苦渋の決断が「海上施設案」だった

既に実用化されている 浮体桟橋工法 
何といっても 環境への影響が 少なく
かつ 容易に撤去可能で
基地の固定化の懸念も 払拭できる
 
総理も これなら 粘り強く理解を求めれば
沖縄の人たちも ギリギリ 受け入れてくれる と
決断した

米国からも 良い感触が 伝えられてきた

そうして 1996年12月
米国との 沖縄における施設および 区域に関する
特別行動委員会 最終報告で この案が 採用された

その報告書に こうある
「海上施設は 他の2案 嘉手納基地への集約と
   キャンプ・シュワブ内における 建設に比べて
   米軍の運用能力を 維持すると ともに 
   沖縄県民の安全及び生活の質にも 配意する
  その観点から 最善の選択であると 判断する」

海上施設は 軍事施設として 使用する間は
固定施設として 機能し得る 一方
その必要性が 失われたときには 撤去可能

その後 この移設先を巡って
政府と沖縄との交渉は 紆余曲折を 経たが 決まらない
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1年が 経過していた 翌年の 1997年12月24日



 

比嘉鉄也名護市長は 
官邸執務室で 橋本総理と向き合い
自らの市長辞職と引き換えに
名護市辺野古への 移設受入れを 決意した
橋本龍太郎首相との会談を 終え
代替ヘリポートの受け入れを 表明した

「知事が どうであろうと
   私は ここで  移設を容認する
   総理が 心より受け入れてくれた
   普天間の苦しみに 応えたい
   その代わり 私は腹を切る 場所は官邸 介錯は家内 
   遺言状は 北部ヤンバルの 末広がりの発展



 

市長の身命を賭した「侍の言」に
その場にいた 総理をはじめ 皆が 涙した

ことは 国と沖縄との関係
日米安保体制下での 基地負担のあり方
そのことに とどまらず 
総理と沖縄県知事 名護市長との「人間対人間」
その関係の極みまで いった 双方の決断だった

それを支えた 梶山静六官房長官を含め
内閣の重鎮二人が 心の底からうめき声を あげながら
取り組んだ 沖縄問題が 前進した



 

理屈やイデオロギー 立場を超えて 
人としての ほとばしる力 信頼関係に 支えられ
信じることができた 取り組みだった

名護市 辺野古への移設受入れが 決まった

 

このような 全ての人々の 努力にも かかわらず
太田知事は 結論を延ばしに 延ばした あげく
最後に 自らの 政治的思惑で 一方的に
この「極み」の関係を 知事は 断ち切った

知事は「県は 地元名護市の意向を 尊重する」
そう言っていたにも かかわらず
名護市長が 受入れを表明した 途端に 逃げた

当日 時を同じくして 上京していた知事は
岡本行夫首相補佐官らの 説得にも かかわらず
名護市長とは 会おうとも せず

官邸で 徒(いたずら)に
先送りの方便を 述べるだけだった
「移設先検討のための 有識者委員会の設置」
それは 知事側近さえ 知らなかった
その場逃れの 思いつき提案を 口にした

大田知事にも 言い分は あるだろう
後に 橋本総理の 次の述懐が 物語っている
「大田知事にとっては 基地反対 反対と
   叫んでいる方が よほど 楽だったのだろう 
   それが 思わぬ 普天間返還となって 
   こんどは 自分に ボールが 投げ返されてきた 
   その重圧に 堪えきれなかったん だろう」

総理と沖縄県知事の 積み上げてきた
「人と人との関係の極み」は それから まもなく
たった 一本の電話で 完璧に断ち切られた

それは この問題を 十数回もひざ詰めで進めてきた
知事と総理との 直接の会談の場では なかった
秘書官への 一本の電話だけ だった

総理に代わりましょう この問題は
総理と知事で やってこられた わけですから
何度言っても「その必要は ない」
「辺野古への移設は 絶対に 認められない」
知事は一方的に 電話を切った

今日の 今日まで 普天間基地の返還が 
実現できなかった 理由は
橋本 小渕政権が終わり 森政権以降
総理に「沖縄」の「お」の字も 
普天間の「ふ」の 寄り添う言葉も なかった
真剣に考えない 人間が 続いたことに ある

それに加えて 政治家や官僚にも
足で生の情報を稼ぐ 県民の肉声に耳を傾ける
地を這ってでも説得 根回しをするという努力が
覚悟が 決定的に 足りなかった

そういう人たちによる 政治や行政が
沖縄県民に 受け入れられる はずもなく
積年の不信感が 逆戻りしてしまった

民主党への 政権交代時には
最も やっては いけない
政治パフォーマンスが 繰り広げられ
それが「パンドラの箱」を 開けた
代償は 限りなく 大きいものとなった

「覆水盆に返らず」
「ガラス細工」のように 周到に積み上げられた
先人の努力は 脆くも崩れ去り
沖縄と国との信頼関係は「橋本政権以前」
23年前に リセットされていった
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ーベル平和賞
アベ首相が その賞の候補に よりに よって 
トランプのおっさんを 推薦した

トランプが 自分から
「アベに してもらったんじゃ」と 会見で暴露して
アホみたいに 喜んでいた

「最高に ビューティフルな推薦状」を もらったんや
話の分かる エエ子分やと 言わんばかりだ
アベもトランプも 幼稚園児のレベル

自分の タイトルが 欲しい
お坊ちゃん政治家たちの そのやりとりは
知性とか 品性とか もはや そんなこと
どこにも 見当たりません

二人の間には 普天間の「フ」の 言葉さえも ない

トランプよ ノーベル平和賞 受賞のチャンスだろ
サプライズを演出し 大きなことを 言いたいのが
あんたの性格だろう

「私が 普天間基地問題を 終わらせた」と
胸を張れる 絶好の機会だと 思わんのか

沖縄県民投票の民意に 応えると
人権擁護の大演説を 沖縄にきて ぶちあげろ
普天間基地 無条件返還の 大風呂敷を 広げろ 
沖縄県民を 苦しみから救い 人権を回復させた
さすが トランプ米大統領だ 世界が 大絶賛するぜ
アベも 登壇し 横で ヘラヘラしていれば W受賞

次期大統領選挙も参院選も 大勝利だ

アベは 振れ込み詐欺国家の 親分なんだから
平和賞は 手のうちだ と トランプを だませよ
けしかけろ 今こそ 得意の二枚舌を 使う時だ
悪魔のささやきを トランプに 仕掛けるのだ 

世の中には 様々な本音が あるけど
他人なんかお構いなし 自分さえよければ
歴史に名を刻みたい 欲望をむき出しにする 二人

日本において 
一部 政治家の「トランプ化」は 著しい
発言には 品性も知性も思いやりも 感じられず
何をやっても きちんと謝らず 責任を取らず
悪事は認めず 開き直ってしらばっくれる
知らないうちに 世界に 笑われる 
三流国に 成り下がってしまった

日米安保条約で どっさり カネを払ってもらって 
守ってやってる 子分だから 言いなりになる
それじゃ 対等の政治交渉なんか 真面に出来ない

トランプは 中距離核戦力全廃条約からも 離脱した
沖縄に 中距離ミサイルを 増設しかねない ヤツだぜ
辺野古の 埋め立て反対どころじゃ なくなってしまう 
いつです 今だろ トランプを捕まえて 平和賞を ささやけ

平和賞は そんな 薄っぺらなもの?

ノーベルの苦い顔が 浮かぶよ
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民投票の日が 迫ってきた

 

 

飲食店従業員(24)は 投票に行かないと 言った
「どんなに反対したって 移設は進む 関心は ない」

辺野古自治会の役員たちは 同じころ
集落として 県民投票そのものへの反対を 決めてきた
「何を 今さら」と 役員の一人

自治会は 2010年
移設の「条件付き容認」を 決議した
県外も どこも移設を 引き受けない中での 決断 
我々のなかでは もう 結論が 出ている
そのかわりに 各世帯への補償金や
地域振興策を 政府に求めてきた

だが、その「条件」が 全て
まぼろしに終わるのでは という不信感が 
住民の中に 広がっている 政府が昨夏 
補償は 難しいと 地元に説明したからだ

「国は あらゆる期待を 持たせ  裏切った」
辺野古商工会の会長(69)は 怒りを 顔にした

集落の入り口にある 食料品店には 
夕方になると 米兵が タコライスなどを 求めて
やってくる

米軍普天間飛行場のある宜野湾市
米軍機が 爆音を振りまきつつ  
住宅地の上を 機体の文字が 読めるほどの高さで 
飛んでいった 日常化した光景に 街の人が 
空を見上げることは ほとんど ない

12年に オスプレイが 
普天間に初めて配備される際には
反対を訴える県民大会に 地域ぐるみで 参加した 
結局 何も 変わらなかった 

国は 沖縄県民が 疲れはて 諦めるのを
待っとるんだとしたら とんでもない 
沖縄の根性は 絶対に 諦めない

国が 沖縄の声に 聞く耳をもたぬのなら
辺野古に移す計画は 変えられないだろう
普天間が 今のまま残り続けることだけは 
耐えられない 何度も 何度も
「やむを得んなあ としか 言えないですよ ねえ」と
繰りかえした 
憤りも込めて「賛成」に 投ずるつもりだ
82歳のばあちゃん TVインタビューに そう答えた

これまでの選挙では 基地より生活を 考えてきた
昨年の知事選も 経済振興に期待して
自民などが 推薦した候補に 投票した 会社員

でも 今回 問われるのは
「辺野古の埋め立ての是非」だ

「反対」では 普天間が そのまま残る不安
「賛成」すれば 嫌な思いを 辺野古に押しつける
いままでで  最も「基地」について 考えている
まだ 迷っている

また 夫が アメリカ軍人だという 40代の主婦
「反対です 新しい基地を 造ってはいけない」と語った

 

次号に つづく
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