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ダバオ通信 ヤン爺のラストライフ・ダバオ
Last Life Shift In Davao Philippines

フィリピン社会に戸惑う ダバオ隠居物語
「団塊 百年の孤独 老いの抗い」
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軒先につるされる 青々とした 大きな球
「杉玉(すぎだま)」あるいは「酒林(さかばやし)」
新酒 できましたよ~ の酒蔵の合図 季節ならではの印
新しい年を 生酒で祝う準備が 出来たようだ
「ワイン大国」に立ち向かう 日本の小さな酒蔵
確固たる信念のもと 独自のスタイルを貫き守る
それぞれの酒蔵の 個性豊かな流儀が あった
酒造りには よけいな情報に 惑わされず
ひねくりまわさないこと
いままで培ってきた 酒造りを 愚直に続けること
これが 蔵の味を守るということだと 言う
地元の人が 土地の料理を 食べながら
ちびり ちびり飲んでくれる酒が いいんです
流行を追いかけて 個性を出そうとすれば
かえって 没個性になってしまう
余計なことは せんでいい
いままでで いちばん嬉しかったのは
コンクール『kura master』の プラチナ賞
パリで行われ フランス人ソムリエが
食とのマリアージュという観点から 酒を選ぶ
酒は 料理のそばにあるものだと 思っています
『知らないうちに あれ こんなに飲んじゃった』
そう言われる酒で ありたい
そんな想いが 海外の方にも 伝わったのかなと
何年もかけ じわじわと フランスに 生酒を浸透させた
そんな 誇らしい 小さな蔵元が 日本には 有る
行動力も判断力も 異国では 即決
自己責任で判断 商談を その場でまとめる
余計な根回しや 責任逃れなども 無い
だから 異国で 生き生き商売し 成果を上げた
森永乳業の 常温保存できる豆腐「絹ごしとうふ」
大苦戦の末 アメリカで 受け入れられた
今では フィリピンでも 売られている
鍋には 欠かせないものだが なにせ 高価で・・
南国ダバオで あっても
暑い日が 遠ざかり 秋に突入せんとしている
涼しい風が吹き 日の入りが 早くなった
まこと 過ごしやすい 夜半ともなれば
虫の かすかなさえずりが 聴こえたりする
なんだか うれしくなる
酒飲みなので
居酒屋で飲む 燗酒が おいしく感じる頃だろうと
ダバオで 日本を想い 懐かしんでいる
この季節であれば 1杯目から 熱燗を注文する
合わせて頼むのは まぐろ納豆 レンコンきんぴら
塩らっきょう などか ・・
自分に続けて まったく同じ注文をする客が
・・む? と その客の横顔を さりげなく覗く
それが 三十路の女「ナツミ」だった
お酒と肴の趣向が
ばっちり 合っていたのも あり
自然と会話が はずんでいった
この日を きっかけに
お店で偶然会えば 自然 一緒に飲む仲になる
待ち合わせは 特にしない
カウンターで 横に並び それぞれ 自由に飲んだ後は
別々に お会計をする それが 2人のやり方 だった
居酒屋には
飲ん兵衛向けの おつまみや 季節の料理があり
冬になると 1人用の鍋料理まで 提供してくれる
そんな ”ちょうどいい居酒屋” が 日本には 有る
あ! こんな事も あった
どんなにおいしくて 見た目が 良くても
リラックスできない店では 気疲れしてしまう
食べ物屋や レストランは 胃袋を満足させる場だが
居酒屋は お腹も精神も 満足させる所だからね
ナツミと 自分には 馴染みの居酒屋が
2人の仲を 満たしてくれる いい場所だった
居酒屋は 1人で入れば
カウンターへ座った瞬間 気持ちが 満足する
お料理から 季節や ぬくもりを感じ取っている
人と 一緒ならば 会話と お酌を通じて
心を 温め合うこともできる
良心的な価格は 懐にも やさしい
”ちょうどいい居酒屋” が 大好きだった
ダバオにも きっと そんな店が あるのだろう
だが 自分は まだ その店「居酒屋」を 知らない
ごきげんよう
みなさんの心と躰 お変わりありませんか
ヤン爺です 今日も ダバオにいます
過去の yahooブログのアドレスは 以下です
https://blogs.yahoo.co.jp/konobukonobu2000/18642110.html
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クリスマスと新年を迎え 家族と過ごすため
危険を背負い 地球の果てまで 働きに出ていた
フィリピン人たちが 母国に 帰郷してくる
家族のために・・ 異国で
力つき 病で 現地で 亡くなった人
レイプされ 殺されてしまった人
家族と連絡が 取れなくなった人
今年は 必ず帰るという
希望に身を委ねた末の 落胆が
彼女ら 彼を 家族の涙が包む
「生きてるか?」「生きてる!」
日本の人口減少を 考える上でも
外国人労働者の受け入れは 重要なテーマ
はたして そうかな どうにも 腑に落ちない
誤摩化して 働かせるのは 正しくないだろ
米国や 欧州での 移民問題の難しさを知る
地域共同体に 溶け込めない移民が 孤立し
治安や社会保障のコスト面で 社会の負担になる
日本も このままでは 同じ轍を 踏む
移民受け入れに関する 英政府の案は
非熟練労働者に頼る業界を 保護するため
技能水準を問わず 最長1年間の 短期就労ビザ制度を
新たに設けた
英国定住を認める 労働者の年収の基準は
現行の「3万ポンド(430万円) 以上」で 維持した
妊娠した 技能実習生が 中絶か 帰国かを 迫られた
非人間的な扱いは 日本人に対しても 行われてきた
日本は 若者を 非正規雇用で 安く使い倒してきた
彼らは 不安定な立場のまま 40代に なった
さらに 安く使える外国人にも 同じことを してきた
働く外国人を見ては 自分の暮らしと 地続きだと
非正規で働く若者は 感じているだろう
外国人の置かれた現況に 自らを重ねている
自分は フィリピンでは「受け入れられる側」です
もし 自分が フィリピンで 真面に働こうとするなら
高度な英語力が必要とされる その仕事には 就けない
そう思った時 日本にいる 外国人労働者たちも
日本語の壁で 大変な苦労をしてるんだろうな と
身近に 思いを寄せる事が 出来る
政府は「優秀な外国人材の確保」との 詭弁を弄し
これまで通り 低賃金の単純重労働を 担わせたいのだ
その思惑も 海外労働希望者の 日本に対する評価は
すでに 働きに出たい国では なくなっていた
若年層では 若干の労働希望者が 見込めるものの
低学歴の単純労働者が ほとんど と いうことだ
労働力が 今 足りないから? 当座の穴埋め
日本人が やりたがらない 低賃金 重労働だから
外国人単純労働者を 大量に導入し 仕事に就かせる
その中で 良い者は 定住させて
人口減少対策のために 定住民として 認めていこう
そんな発想で 日本の将来が 切り開けるはずが ない
労働者の人気国は カナダ
多くの競争相手国の中から「日本」が
はたして 外国人から 選ばれるだろうか
目の前の難題を とりあえず 切り抜ければ 良いと
「低学歴の 外国人単純労働者を かき集める国」で
彼ら 彼女らは 未来は 拓けるのか 考えているだろう
日本人よりも 低賃金で 重労働
逃げられないよう 旅券を取り上げ 囲い込み
働かせている現場 そう勘繰られて 仕方ない
都合良く使い いらなくなれば 簡単に捨てる
悪徳斡旋業者を 野放しに のさばらせる
実際の受け入れ態勢は 現場任せ これまでの ままだ
ドイツは 戦後間もない頃から
「やって来るのは 人手ではなく 人々だ」と 自覚し
外国人労働者の 将来的な定住を視野に 制度をつくった
長期的な視野をもって「開国」を 進めてきた
だが 今 難民政策への視線が 厳しさを増し
そのため メルケル政権が 終わりを迎えるのは 皮肉です
日本さえよければ 自分さえよければ
そんな人が 増えているのは 確かだと思う
けれど 人は誰でも 自分のことが かわいい
それは ごく 当たり前のことで
そうでなければ 自分を 大切にしたり
向上心というものも なくなってしまう
ただ 大人になったら
自分のためだけに 生きるのは 間違いだからね
己の 幸せだけのために 生きるのは
自分は 卑しいと思う
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「2018年 最後の大収穫だ・・」と 手に入れた キムチ
来年は あっという間に過ぎた1年には したくないのだ
ダバオに流連る 70歳 独居のジジイ
いま 自由で楽しい 退屈も友達
何年も かかって やっと 一人暮らしに 慣れた
結婚なんて 考えてもいない 女友達が いる
100% 自分を理解してもらおうとしたり
100% 相手を理解しなければならない
そんな事を 思う必要は ない
恋慕は 誤解の上に 成立している
凡そ 男女の間の恋慕は
相互の誤解の上にこそ 支えられている
誤解が 深ければ 深いほど 恋慕の情も深い
うむ どうやら 惚れ直したようだ
人が 誰かを 好きになる というのは
「その人といる時の 自分が好き」ということだ
他の誰といるよりも その人といると 笑顔になれる
快活になる 生きていることが 楽しい
人は 自分一人で 自分を好きになることは 出来ない
この人と いる時の自分は 好きと言うことは 出来る
だからこそ その相手を 大事にする
生活費は ギリギリでも
言葉や料理が 完全でなくても
一人暮らしに なんら 支障をきたす事は ない
車がなくても 生活できる地域に 住んでいる
消費社会が これなしでは やっていけないと
信じ込ませたがっているもの すべてに ついて
本当に 自分に必要なものか? 疑って掛かる
自問が 行動を誤らせない きっかけとなる
年金以下の 倹約生活を するのは
経済的自立を 確保するためだ
強がりを 言っても
自分が 病気になって 初めて
老いや 病気に 一人で立ち向かうことの 恐怖
怒り 悲しみ 不確実な不安が わかった
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老後の時間を 犠牲に・・
「70歳まで働く社会」は 幸せなのか?
バリバリ仕事を続けていた 評判の先輩
75歳になった 途端 がんだと 分かり
あっという間に 亡くなってしまった
こうした 亡くなり方を 見れば
何が 楽しかったの だろうか
もっと 楽しい老後が あったのでは と 思う
年金が 払えないから 雇用延長を 企業に迫る
政府の失態を 老人に押し付ける それは 間違ってる
もう少しで 今年1年を 生き抜いた事になる
それは 寒さで 死ぬ事が ない 南国だからか
そうだと思ってる 南の島への 淡い恋
それでも 今年も 何人かが 日本に帰っていった
初めての天地には 神秘がある
未知の風物にふれる 喜びの中に
自分の根源に 巡り会うような
いいようのないノスタルジアを おぼえるのだ
フィリピンの中で わたしは 自分自身を 再発見した
「それは ひとつの 恋のようなもの だった」
そう 漏らしていた 彼らだった
再び この地 ダバオに舞い戻る事は ない
何人 この地を 去る人を 見送った ものか
どんな事情が あった? 何が あった?
そんなこと 聞かないし 聞いても 仕方ないこと
南の島への恋慕が 終わった 後の事なのだから・・
仲間たちは みな老いていく
それぞれが 自分と向きあい
より よく生きようと 努力していた
誰にとっても 人生の終末は
ドラマなんかじゃ ない
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ダバオでの暮らしや 日本の出来事
日々 自分が 何を どう感じているか
今年1年も 思う事を 率直に書いてきた
知らないことを 褒めることは できないし
知らないことは 研究することも できない
自分に 残された時間は どんどん減り続けている
書き残しておくのは ここしかない
それは 分かった が なんで ブログなんだ?
そんな事 聞かれても 答えようが ないんだよ
自分が いちばん大事に 思っていることや
辛いこと 嬉しいことを 平明に書く
自分にしか書けないことを
だれにでもわかる 文章で書く それだけ
何が 正しいかなんてことも 自分でも わからない
ただ 生きるレシピを探し 実践してるのは 事実
ブログを きっかけに 頭を 整理できる
書きつらねる モヤモヤを 明らかにする
文章として 形に残す それだけで いい
書く事を 止めず 続けていたなら
誰かの役に 立っているんじゃないか
と いうくらいの もんです
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周りからは「ストレス なさそう」
「自由で いいね」などと 能天気に からかわれる が
人生も 生きることも そんなに うまくは いかない
「自分は まだ まだ 何も できていないな」と
急に 自信を失い 落胆する事も あった
自分が してることは 日常を重ねることで
直感的に 人々の生活を知り
暮らしの中で 自分の意識を 変えていくこと
年老いるたび 毎年 自分を 更新してきた
揺るがせない 心底には
「人が 人らしく生きるため」という
真っ当な 発想がある
隠し事をしたり だましあったり
少数者だけが 優位に立つような 考え方や
腹の中では 何を考えているのか わからない
そんな 生き方は したくない
ここに書くことは 愉快なことばかりでは ない
世界が 日本が 歪み始めた 世の中の理不尽への憤り
人間の 何かの都合を 優先する世の中は
もう たくさんだし うんざりしている
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米国型の低負担・低福祉政策は
社会に 極端な貧富格差を もたらしていた
我々 団塊たちが 働いた 高度成長時代
日本では 政府や地域共同体が担う機能を
企業が担っていた 低負担・中福祉が 実現していた
現在 高齢化が進み 中負担・低福祉
あるいは 高負担・低福祉という状態に至る
制度設計の立て直しが 不可欠となった
十数年後 団塊が 死滅すれば 社会は 一変する
人口減は 著しいが 正常な人口構成に戻る
我々の死を じっと待っている者たちが いる
今 無駄な金を 高齢の団塊に 使う事は 無駄金
官僚たちは そう考え 現状には 手をつけない
なら それでも いいが
日本の未来を 担う者たちがいる その場合
高負担・高福祉というモデルには 魅力がある
すべての人びとが
必要とする 必要としうるので あれば
社会サービスは それらを 無償で提供する
その 社会サービスでは
人びとが 安心して暮らしていける 水準を 満たす
「ベーシック・社会サービス」と ここでは 呼ぶ
ベーシック・社会サービスは
すべての個人に 一定の現金を給付する
ベーシック・インカムとは 異なる発想
現金給付と異なり 社会サービスの提供なので
必要とする人 必要とされる人だけに 給付される
平等 公平で 財政支出も 少なくてすむ
高負担 高福祉社会
ベーシック・社会サービスが 具現化されれば
生活全般に お金に頼らなくていい 環境となる
子供を産みやすく 人同士の 信頼関係も生み出す
ご近所の助け合い お互い様文化が 甦る
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高負担 高福祉社会 いま そうなって いないから
みんなが「老後のために お金を貯める」と 言う
「お金しか もう信用してないん だな?」
そんな 人生って寂しく もう 終末期だよな?
いまさら 愚痴っても 後の祭りなんだけれど
あんた いつから そんなこと 言うようになったんだ
いや ずっと前から 言っているって
病気とか 事故とか 不幸な出来事が 起こったときに
誰も助けてくれない人生って 寂しいだろ
そのときに 頼りになるのが 自分のお金だけって
「そんな 価値のない人生を 送ってきたの?」って
うん
うん じゃなくて いざというときに
誰かが「大丈夫ですか?」と 声をかけてくれる
その人のために 人生を 生きる
今からでも まにあうだろ
そうだよね 家族も 大切だけど
いざってときに 頼れるのが 家族だけ
それっていうのも 怖いし 危険
怖い 逆に 家族は 頼れないですよ
見切られたときの 冷たさは スゴいからね
結婚さえしておけば
自分が 寝たきりになったときに
相手が 介護してくれるって
みんな 自信満々に 言うんですよ
「ホントか?」と 思う
むしろ 距離が 遠い人のほうが 大切だったりする
徳を積んでいる人と 一緒にいるほうが いいですよ
そうなんだろうな 身につまされる どうしょう
しかし なぁ〜 70過ぎて そんな事 心配してる
もう 情けない そうじゃないか
ま! なるようにしか ならないか そうだな
でもな 我々「団塊」って まだ いけるぞ
実年齢としては もう “おじいちゃん” なんだけど
“オヤジ”っぽく ないか?
昭和22年生まれの ビートたけしさん
いま 71歳 なのに まだ まだ 元気ですもんね
あの人 ほんとは “おじいちゃん” なんだよ
なのに まだ “オヤジ” なんですよ
誰からも ほめられないのに
コード進行の研究を 何十年も 続けてきた
誰からも お願いされてるわけじゃ ないのに
一人で 粛々とやり続けられるか どうかって
“おじさん” の 生き物としての 存在価値
好きなことを やり続けよう というのが
たけしさんから 学ぶ “おじさん” ですかね
それもな しなやかに 柔軟に
情けない自分を 受け入れる前提で・・
それでも「やるときは やるぜ!」って いう気概
言い訳はしない 言い訳して
そっちの方に 目線を送っちゃうと
周りに いろいろと バレちゃう
それこそ 恥ずかしくて みっともない
情けないけど でも 生きるんだって いうのが
オヤジの 強さだから
オヤジの 品性 品格ですかね
それを つかめば うまく生きていけて
わりに いい感じで 死ねますよね
じゃあ 品性 品格の根本は 何か やっぱり
自分のためだけに 生きない そのこと だろうな
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大阪万博 反対を表明する人の 少なさ
「エッ そうなの」と 驚く 大阪らしくない
ならば 不肖 自分も 書いておこう
東京五輪に続いて 大阪万博・・って
「高度経済成長アゲイン」って ことでしょ
夢よ もう一度と 開催決定を 喜ぶ
そんな政治家や 企業経営者の方々を 見て
目指す日本の 明るい将来ビジョンは
結局 そこにしか ないんだな と
大量生産 大量消費 カムバ〜ック
シェ〜ン カムバ〜ッじゃ ないだろ
モノをガンガン作れば ガンガン売れて
会社員の給料も上がり
ゆえに また モノが 売れて また 作る
みんなが 中流 豊かになって・・って いう
当時の黄金の方程式が 成り立たないからこそ
今の現状が あるんじゃ ないのか
我々団塊は バブルを謳歌したよ 悪いのか!
モノが 売れないのは
デフレとやらの せいじゃない
もう欲しいものは そんなに ないんです
スマートフォンも みんなに 行き渡った
なのに どうにか 売り続けなきゃ
すべてが 回らないという
ビジネスモデルを 変えられないから
あちこちで 無理が 限界に達している
それでも その方程式に しがみつく以外
エラい人たちは 何も 思いつけないのだな
いま 多くの人が
切実に 欲しがっているのは モノより安心
年を取っても お金が そんなになくても
そこそこ幸せに 満足して 死んでいける 人生
それが 手に入りそうに ないから 子供も生めない
みんな モノを買わず 金を貯めて 備えてる
ハッキリいおう もう限界なのだ
とらぬ狸の皮算用
大金注ぎ込んで 万博なんぞ やらないでも
大阪には 大きな財産が あるじゃないか
・・大阪のおばちゃん! だよ
絶えず 人にアメを配ることで 知られる 文化
おばちやんたちは コミュニケーション力の塊
あれほど おせっかいを さらりとやってのける
おばちゃんたちは 他で 見ることが できません
あ それ ウチらのことやで
ヒョウ柄を めかしこんだ「おばちゃん」
なに 言うてんの
私らが「ナニワのおばちゃん」やんか!
「大阪のオバチャ〜ン パワーで 世界を元気に」
とにかく みんなが ヒョウ柄
一匹くらい チーターが 混ざってても
気づかないんじゃないか そう思うくらい ヒョウ
地肌に ヒョウ柄も いるの?
大阪のおばちゃんの 世界遺産登録を目指す
おばちゃん見たさに 世界から わんさか人が押し寄せ
おばちゃんパワーは ますます活性化し
助け合い文化の復活に つながるかと 思いますね
大阪では 世界遺産登録に向け
期待と不安の双方が いま 高まっている
ウソだよ だがな
「ヒョウたんから 駒」といことも あるからな





