□□■───────────────────■□□
           
ダバオ通信  ヤン爺のラストライフ・ダバオ 
                Last Life Shift In Davao Philippines


             フィリピン社会に戸惑う ダバオ隠居物語
                   「団塊 百年の孤独 老いの抗い」  
   □□■───────────────────■□□
 

でに 12月だ 
一年が 早く過ぎる というのは
老い人の感慨かと 思っていたら
そうでもないらしい

SMモールのスタバで 
大学生とおぼしき 娘たちが
「一年たつのが 早いよねえ」
「どうしよう」その話しが 聞こえてきた
フィリピン人は この年頃が 美貌の絶頂期 
見惚れてるだけで 強壮 無遠慮に 眺めていた

「どうしよう」などと 
意味の分からない事を 娘は言うが
何を 考えているのだろうか
いや 何も 考えてるわけが ない

1968年12月10日朝 事件は 発生した
新鮮な記憶だが すでに 50年前に遡る 
若者だった 犯人は 75を 越えているだろう
亡くなって いたとしても
遺品整理などで 見つかる可能性も あるが
そういった話は 今のところ ない
犯人は まだ 生きていて 3億円の一部も 残っている
半世紀が 経った 死ぬ前には 名乗り出るのだろうか

ついこないだの 江戸期 師走には 

年の 借金を払い 清算をする
とぼけて 居留守を使ったり 逃げまわったり 
晦日を越してしまえば 時効 借金持ち越し
また 一年なんとかなる 庶民の師走の過ごし方



 

フィリピン庶民は クリスマスを迎えて
師走を 借金に駆け回る
借りられる所 すべて 飛び回って 大忙し

一年が 早く過ぎる とは
時間の感覚が 延び縮みするということ
一日が やたら長く感じられる時も ある
その反対に べらぼうに短いと思われる時も ある
時間も距離も 主観の影響を 受け
人は その中に生きている

 

ごきげんよう 
みなさんの心と躰 お変わりありませんか
ヤン爺です 今日も ダバオにいます
過去の yahooブログのアドレスは 以下です 
https://blogs.yahoo.co.jp/konobukonobu2000/18642110.html  
■□■□■──────────────────────


暮れが 早くなった
午後5時を 過ぎると もう街は 暗い
店のネオンが 輝き始め 街は 厚化粧に変わる
暗い街に 車のライトが 流れていく

「こうして また 今年も暮れるのか」と
毎年 おなじような感慨を 抱きつつ 人は 師走を迎える
師走の夜の街 口笛を 吹きながら歩く 悪くない

自分には 暮れても 予定もなく 忙しくもない 

オーバーを 着る時期だが
とんと この言葉を 聞く事が なくなった
重厚長大な オーバーコートは
どうやら すでに 時代遅れに なっていたらしい

シモヤケ ヒビ アカギレなどという言葉も
もう とっくに 死語なんだろうな

12月も 半ばを過ぎれば
なにもなくても 気持ちが せいてくる
新らしい年を 迎える前に
やっておかなければ ならない事が
いくつもある感じが するからだ

今年の デジタルデータの掃除とPCの整理整頓
必要データの記憶媒体への保存
ガラケー内の 使われない電話番号の削除なども

今年一年を 振り返って どうでしたか
挨拶代わりに 聞かれることが ある 年末
べつに 変りは ありません と 答えておく

つまんねえ ヤツだなぁ〜

ま とにかくだ 
自分にとって お酒は その日の ご褒美
いくつになっても お酒を おいしく飲みたい 
つつましい食事で 元気に なれる
いとしいセックスで 心が やさしくなれる
いずれのものも うらやむと 苦しいもの 
老い人なら 八分目 ちょうど いい



 

でも この1年で 視力が 急激に落ちた どうしょう

 


■□■□■──────────────────────

んでいる場所を 離れて
違う土地を 訪れることを 旅というらしい
確かに 出張なんかで 新しい土地へ行くと
仕事では あっても 旅という感覚が ある

無視できない引力が ダバオには あって
自分は この南の島に 呼ばれたかった のだ

心が 溶けた と思うほど 能天気では なかったが
旅の途中で居続け 気付けば 15年も 経っていた
今 はじめて ダバオと 対等に なれた気がした

だから この街を 正しく叱れるし
正しく 褒めることだって できる

自分は とても ちっぽけで
ここでは 誰も 自分のことを 知らない
好きな人や 贔屓の店が できたことで
ダバオの土地に 親しみを 覚えた

情報や先入観など 何も 持たずに
ダバオに来ることが 一番いい
現地に入ったときは 何も知らないので
よそ者目線を 生かして 探す “その土地らしさ” 
少しずつ わかっていく そんな 感じ

あまり 熱い感情に 縁のない自分を
こんな気持ちに させるのも
ダバオという土地の 魔力なのだろう

生きてきた 辛苦艱難 喜怒哀楽 利害得失 栄枯盛衰
それらの事実 生活を 勇敢に 体験してきた
体験に 信念を 生かしていって 知行合一に なる

そうして 自分を 練ることが 出来た

過去の痛みとか 失敗とか 完璧じゃない部分も
幸せな部分も 傷つきやすい部分も 躰の衰えも
全て 自分のものだとして いま 受け入れている

自分の人生を 締めくくる時が 近付いている
人生の締めくくりは 自分だけにしか できない
そう 思ってきたが・・ 思い上がりだった

 

『さようなら ありがとう』って
言わなきゃ いけない日を 待つ

待つのは 

物事が 自分一人の思いでは 動かないと 知るから
祈りを込める 待つことは 人を ちょっぴり 大きくする

70歳・・  とても落ち着いている 
弱音を吐くが 躰の衰えを 愚痴らない

家族とか 周りのために尽くしてきた 男が
ふと「残された時間を どう生きよう?」って
思う歳 なのかもしれない

時間は そんなに長く ないかもしれない
そう 気づいている 大それた事なんか 考えてない
「残された時間で 何を しよう」自分の声を 聞く

怖がるのは 良いことだよ! 
今まで やったことのないことを
しようと しているって いうことだからね
恐れを 知らない人には 勇気も いらないだろう
死ぬほど 怖いけど やりたい方に 進んでみる
そういう人のために 勇気は ある

次のステップが 怖いと思うなら それは 良いこと
何かを 始めようとしている 印ですからね
■□■□■──────────────────────


実した「イケてる毎日」を 目指すと
生活は とても忙しくなり 疲れてしまう

たまに 刺激的な人と おしゃべりしたり
往年の名作映画を 観てみたく なったり
自分への投資として 情報を 仕入れたり
そして 妄想にふけることにも 時間を使う

特別な事は していなくても
好きなことに 没頭しているうちに
気がつけば 日は暮れている
ただ それだけ 日常の物語り

忙しくても ぼんやり していても
掃除や洗濯 料理など しなければ いけない
自分は 良いジジイを とっくに やめていた
無駄な努力も したくないし していない

遊んでいるように 暮らしていると
「胡散(うさん)臭い」時には 怪しいヤツ
自分は 「スマートな怠惰」を 身につけた
「苦手なこと」から 解放されている

いつの日も いちばん大事なことは 
きっと「楽しく過ごすこと」だ
そのために もっと「スマートな怠惰」を 愛し
思いきり 甘えていくべきだと 思っている
■□■□■──────────────────────


木県日光市に「男体山」が あるけれど
日常的に 男の体を「男体」とは 言わない


なにそれ? と 聞かれた

勤め人の頃 

長野県の温泉旅館で 宴会したときに
「女体盛り」というのが あった
あの時の経験を いま 思い出した もんだから ・・

 



宴会場の隣室で 板前が 仕込んで いたんだね
宴が 頃合いになるのを 見計らって 
芸者が 左右から 襖を すっと 開け放つ

そんな時 驚きの声など 出ないもんだ
みんなが 息をのんで 見つめた

仰向けに横たわる 若い女 

裸体の躰を 器に見立てた
握り寿司 巻き寿司 刺し身 ツマの白 大葉の緑 
熟れていない裸体を 覆い隠すように 

美しく 見事に飾りつけられ 盛られていた

当時は 各地の温泉宿で はやっていたのだろう
宴会案内のパンフレットに「女体盛り承ります」
その文字が あったことを 覚えている

そういえば と 他のひとりが 言う
『わかめ酒』というのも ありましたよね

足を閉じた 女の股間に 酒を注いで飲む
バカげたことだが 男たちは「口福こうふく」
「オッ オー」と 言いながら 大騒ぎした

 



この歳に なっても
好奇心を 持つことは 脳を 劣化させない
ワクワクしながら その日を 暮らしたいの だが
70ともなると ワクワク感を 見失ってしまい

そうも いかない
 

意識して 刺激を 与えていないと 脳は 萎縮する

脳に 刺激を与える方法は いろいろある
自分は 右利きだから 左手を使うようにしている
利き手と 反対の手を 使うことで 脳を 刺激する

左手に 箸を持って 食事する
散歩の道も 同じ道ばかりを 通らず 違う道を いく
スーパーでの買い物も 店内を回る順路を 逆にする

自分は まだ まだと 慢心しているが
やがて くるかもしれない

認知症を 警戒して おかなければ ならない

認知症の人は
自分が 認知症であることを 認識していない
世間では そう言いますが それは 傲慢な想像です

当たり前にできていた 料理が うまくつくれない はて
なぜ いま 自分が ここにいるのか わからない
そんな時 誰よりも 不安や 恐怖を 感じているのは
その人 本人です そして そのつらさは 体験している 

当の 本人にしか わからない
ついに 始ってしまったか と 分かっているのです
そのことを 理解してあげるだけでも ケアなのです
■□■□■──────────────────────


ころで 忘年会 どうする 
飲み会は わかめ酒を 飲んでみる? と
みんなに 持ち掛けてみた 

驚きの表情で
「えっ どこで やるのですか?」口を 揃えた

「自宅で やるのさ」って 言うと
「それって デリバリーですか?」
彼らは 金で女を 呼ぶと思ったのだ

バカもん! 何考えている

おこちゃま ジョリビーじゃないだろ・・ たく 
 

徳島産の 鳴門わかめエキスが 入った 
正真正銘の吟醸酒 わかめ酒だ

一同 なんだ そうなのか と 声を落とす
ガッカリした顔  だがな  いいか 

一瞬でも エッチなことを 想像して
ワクワクしたのなら 脳を刺激したことになる

大いに 結構な ことじゃないか

みんなで 飲んでいた テラスに
いい風が 吹き渡ってくる なんという 快感
ゆるやかな風が 肌をなぶって 通り抜けていく
このまま ずっと 風に 身をまかせて いたい