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ダバオ通信 ヤン爺のラストライフ・ダバオ
Last Life Shift In Davao Philippines

フィリピン社会に戸惑う ダバオ隠居物語
「団塊 百年の孤独 老いの抗い」
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思い返しても 人は ある行為へと
自らを動かしたものを 自分で見通せない
ダバオで 生活している事なども そうだ
今と なっては したかったのか
せざるを えなかったのか さえ
時間が 経ち過ぎて 曖昧模糊となった
「逃げることは 生きること」
なぜ 逃げる? 私には 私の人生が あるから
57歳で 家出した行為だけは 確かな事実
日本の世間が 自分には 窮屈だった
あんな人には 成りたく無いと 幻滅
あんな人に 成れたらと 憧れた
自分は 自分で出会った人で 出来ている
世間に 縛りつけられるのは ごめんだ
それこそ 息苦しい
人は「自分のものである」時間を
最大化するために 生きている
ごきげんよう
みなさんの心と躰 お変わりありませんか
ヤン爺です 今日も ダバオにいます
過去の yahooブログのアドレスは 以下です
https://blogs.yahoo.co.jp/konobukonobu2000/18642110.html
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大志を持って 海を渡ったわけでは ない
我慢できないものから 逃げただけ
自分は とうとう「日本に住むのを やめた」
そして 異文化の国の下で暮らし
受け入れられない価値観を 黙殺してきた
自分には ここが 合っているのだろうと思う
ここに居たい理由は、空が青くて 時間がゆっくり流れて
南の島ならではの 人間関係に 恵まれているからだ
思いのほか 良い関係が 築けた それが 自分には 貴重
だが それは 自分を 言い繕っているに すぎない
日本を愛し この国の人にも 自慢している
食べものが美味しくて 買い物が楽で
医療機関への アクセスが容易 全体的な衛生環境が良い
人生の満足は どこにあるのだろう そんな事も思う
日本とフィリピン どちらが良いか ということでは ない
人生は どこで過ごすかよりも
誰と過ごすかが 大切なのだろうと思う
永住ということなら 普通の老人なら 日本だと思う
年取ったら 日本に居たほうが 快適だろう
冬の季節 南の島で避寒 それなら いいだろう
何故 日本かって? それは やはり 日常の便利さ
自宅の衛生環境の 整えやすさ だったり
機密性の高い住居で 快適に掃除 洗濯をし
布団を頻繁に干し 高機能トイレで 用を足し
やはり高機能な風呂に 毎晩入る この幸せ 他に無い
考え方が どう変わっても 自分は 日本人
ダバオの住居では いくら気をつけて 掃除し
生活を整えても 納得できる 清潔度には ならない
家の造り 材質が違う
ただ 人間関係については どうなのかと 考える
一緒に 年齢を重ねていけたら 楽しいだろうな
そう思える女友達と 知り合った
どうせ いつかは 必ず死んでしまう人生
死なずに 生きていられる程度には
ダバオで 何をしたって いい あるいは
何も しなくたって いいだろう
日本に住むのを やめた
知らない国で たっぷりの余白を
好きに使えば いい ことだ
そんなに 何でもかんでも 投げ出して
空いた時間で いったい 何を するんですか?
そう質問されたら こう言う
『何もしない』を していたいんですよ
この静かな興奮 ワクワクを 日本語で
きちんと伝えられる 自信が ない
せずに済むことを
手元で 一つ一つ数え上げて 削いでいく
暮らしの中には してみてもいいことが 多い
しなくてもいいことだって 多い
何でも かんでも やめてしまって
ぽっかり 時間が 空いたとしても
恐れることは 何もなく 慌てて埋める義理もない
その時間こそが「自分のもの」だ
自分にとって あなたにとって 誰にだって
「あってもいい」もの
みんなと同じ道で 一緒に頑張らないと
そのうち 独りだけ脱落して
飢え死にしてしまうよ
子供の頃には そう教えられ 諭された
ダバオの 様々な環境に翻弄されながら
孤独を選び なんとか 生きている
南国の気候が 励ましてくれる からだ
共通言語は タガログでも 英語でもない
微笑みを交わしていれば 通じ合える
振り返っても 自身の動機を 読み違えもする
個人の行為は 「何を為(し)たか」以上に
時間の経過で「いかに為たか」だ
「勉強で 異国の暮らしは 身に付かない」
いろいろな体験 経験することが
「異国」を 学ぶということ
「ダバオ」という場所で 生活するのも
誰もが 経験できることでは ないのだから
わきまえた老人には 豊饒で 面白く 刺激的だ
永遠に 不良のままで いたいと 思うだろう
強いから 異国で 生き残れるのか
異国で 生き残れたから 強いのか
「生き残る」を 可能にする ダバオは
老人にとって ただの素材に すぎない
自分の「強さ」が 実際の強さとして
実現するかは 実際に 住んでみないと
分からないというわけです
人は ほとんど 自分に関するかぎり
行為に 真の動機を 知っていないものです
時間だけが 何かを 知っている
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徐々に 涼しくなっていく この季節
夜空の星も 鮮明に見えるようになった
スーパーで 小粒のみかんを 目にした
ゴルフボールより 一回り大きいか
20粒程が 網に入れられ 売っていた
買ったみかんを テーブルの上に並べ
手にして 眺める 皮をむく ほおばる
甘酸っぱいジュースが 口中に ひろがった
この味 遠い日本の正月を 甦らせる
みかんを食べても 一人
むせって咳をしても 一人
圧倒的な 淋しさの余韻が 尾をひく
「あんたは 歳をとるって
どういうことか わかってる?」
もう 年齢しか 聞かれなくなるって ことよ
どんな人生を 歩んできたか
何に 関心があるかなど 訊(き)かれず
「お元気ですねえ」と 言われ続けるうち
しまいには 腹が立ってくる
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なつかしき 郷愁の食べ物たちが いとしい
それは 少年の日の祭りや
縁日の綿菓子やニッキ菓子
学校帰り 駄菓子屋に たむろして食べた クジ菓子
野山を かけずり回って むさぼった木の実の 数々
ほの暗いアセチレン灯の屋台で食べた 中華ソバ
ここダバオでも 朝夕
住宅地の路地を縫い 引き売りが 往来する
少年時代 朝早く 納豆売りが 廻って来ていた
豆腐屋には あのププーという ラッパが あるが
納豆売りには それが ない
掛け声を それぞれが 工夫していた
”ナット ナット〜” あの調子が
明けたばかりの空気に 響かせて 滲み届く
”イトキ〜 ナットッ”と いうのも あって
イトキ〜と かなり長く延ばした 後に ナットッと
短く添えるような 感じだった
母親にいいつけられ 急いで道に買いに出た
藁に包まれた ナットだった
子供の時分だから よくわからず
”イトキ〜 ナットッ” それが
”糸引き”の 意味と わかったのは
だいぶ 後のことだった
”イトキ〜 ナットッ” と
自転車で よく連呼してやってきた このおじさん
朝夕は 新聞を配り 時間をずらして 納豆売り
昼間の時間帯は 夏なら アイスキャンデー売り
ほかの季節は 公園で ボンボンを 売っていた
戦後 街全体が あか抜けせず
まだ まだ どの家も貧しい時代だった
親たちは 貧しさから
何とか 抜け出そうとして 必死に働いた
今日も 魚の行商人が 家々に声を かける
うっすらしていた 子供の頃の記憶が
鮮明に想い出された
自分が 過ごした東京では
納豆は ごくありふれた 朝食のおかずだった
ご飯 みそ汁 納豆 おしんこ それが 常の食事
両親は 秋田県人で
納豆に 砂糖 ネギ 醤油を まぜて 食べる
え! 砂糖 そう思うかもしれないが
それが 納豆の食べ方だと 思っていた
熱々のご飯に 納豆を乗せ 少しかきまわし
ご飯と一緒に せせりこむ うまかった
その納豆 今では パック詰めにされ
調味料とカラシが 付いている
関西以西では 嫌われ ついぞ見たことも
口にしたこともない そんな人が 大勢いる
知らなかった 思いも よらなかった事だ
魚や肉が 食卓に乗らなかった 昭和20年代
日本人の躰は 味噌 醤油 納豆などの
大豆タンパクで 作られた そう 思ってきたが
関西人は どうやら そうでは なかったようだ
納豆は やっかいな 食べもので
箸に ちゃわんに そして口のまわりに
ときには 指先にも ベタベタネバネバと
糸を引いて まとわりつく
食べ終わった 食器のありさまも
はなはだよろしくない 後始末も大変 めんどうだ
ネバネバが なんとも気持ち悪い・・と
潔癖症の人の中には なかなか口にしない人も
思うに 関東 東北の人には 納豆とは
”こうしたもの”と いう ものわかりが あるが
関西の人たちには、伝統的(?)に
どうにも 相入れぬものが ある あるいは 納豆なぞ
人間の食べるものじゃない というような
潜在的な意識さえ あるのかもしれない
かくして 西日本の家々では
関東では 食するらしいが
納豆なぞ 決して 口にしては なりませんよ
そんな 不文律の伝承さえ 何代か 伝えられてきた
そんな事態も ひょっとして あるのでは・・ないか
「もつ煮好き」が 多いのは 群馬県民
名店が点在し 長蛇の列ができる店も あるらしい
お好み焼きを ご飯のおかずにする 関西人と同様
もつ煮で ご飯を食べる文化が あるようだ
珍しいというか 驚きの食文化が 日本には 沢山ある
だから 面白い
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「Wi-Fi」を「うぃーふぃー」と 読んでいた
「シャ乱Q」は「シャみだれキュー」と 読んでいた
読み間違える人がいて 悪いか 基の意味なんて 知らない
世の中に 絶対なんてものは ないんだよ しみじみ考えろ
みんなが みんな 同じものを 好きだったらつまらない
同じ社会で 共存している 異なる価値観を 否定するのか
キャッシュレスだの 自動支払機だの
年をとれば 誰だって 新しいことを 覚えるのは 難しくなる
それは 努力不足でも 恥ずかしい事でも 何でも ない
それなのに ただ 日々の買い物をするだけで
まごまごさせられ
自分は世の中から 取り残されているのだと
公衆の面前で 感じなきゃいけないなんて
なんと 残酷なことだろう
それが イヤで 買い物に行きたくなくなる
そうした人だって いると思う
ますます 高齢化が 進む社会で
それは 決して軽視できないことでは ないか
買い物は 社会とつながる 大切な営み
家から外へ出て 自然の空気を 感じながら てくてく歩き
店で いろんな商品を見て 欲しいものを 吟味して選び
店の人に お金を払い お釣りを貰う 商品を受け取る
その 何げない一連のことが どれほど 人のつながりと
健康に 役立っていることか
そう考えたら モノを 売る人の責任は 少なくない
効率化も 大事ですが
なくしては いけないものも あるのでは ないだろうか
誰のために 何のために 商品を売るのか
それは 人の幸せのためなのだと 思われる
もし 客を不幸にする 効率化ならば それは 本末転倒
だがね・・
そう これこれ
この「できないが できるに変わる瞬間」が
自分は 好きなんだよね・・と 改めて気づいたら
目の前を 覆っていた 老いの憂鬱が 晴れたのです
老いれば できなくなることが 増えていく 一方だけど
それは チャレンジが 増えるってことでもある
つまりは 楽しいことだらけ どんとこい老後!
素敵なひとたちは 皆さん
自分のことを よく分かっている
日々の暮らしのなかで 自分が 穏やかになれたり
喜んだりできる時間や アイテム リズムを
うまく見つけて 大切にされているなと つくづく思う
モノには 体験が伴う
その特別な体験や モノそのものの価値は
未来永劫 失われません だから 生き残っていく
自分は 孤高の存在でありたい どこにも 属していない
無国籍な人間として 余生を送りたいと思っている
「朝立ち」に 気付いて 目が覚めるときがある
男が漲っている よしよし 何の意味もなく 声を掛ける
陰茎の血管は 直径1~2ミリメートルと体内で最も細い
動脈硬化は 細い血管から始まり
朝立ち消失は 動脈硬化リスクの表れという
月経が 女性の健康のバロメーターで あるように
朝立ちは 男の健康の指標となる
「老人よ すべからく不良たるべし」と メッセージを 送り
「老人は もっと危険で 無責任で いい」と 自分を 励ます


