□□■─────────────────────────────■□□
ダバオ通信 ヤン爺のラストライフ・ダバオ
フィリピン社会に戸惑う ダバオ隠居物語 
「団塊 百年の孤独 老いの抗い
□□■─────────────────────────────■□□
「地球温暖化? もうすぐ死ぬから 関係ない」
「投票なんてするな 未来なんか かえられん!」
新聞週間が始った この日
全国の新聞104紙の全面広告を ジャックした
極めて異例な行動にでた
団塊の男から 放たれる挑発の言葉が 突き刺さる
「俺たち 団塊は これまで いい思いをしてきた
あとは 知らんぷりで ワルいか 文句あるか!」
挑発 おどしに 若い人は 果たして奮起できるか
原発で 物理学者として 働いていた
事故の後も 原発の近くで暮らす
物理学者夫婦の元に 友人の女性が 訪ねた
高齢にさしかかった夫婦と その友人
社会や人生 原発に 話しを繰り広げる
横たわるのは「世代の責任」
大量生産 大量消費を繰り返す社会は
地球規模で とっくに 行き詰まっていた
ふつうに 戻ること なんだろうな 違うだろうか
それでも なお 大企業を後押しする 日本政府は
ドンキホーテのように 幻に突っ込んでいく
大きな会社が
たくさんの社員の給料を 確保していくためには
消費のサイクルを 上げていくしかない
新しいものを 次から 次へと繰り出しては
『まだ そんな古いものを 使ってるんですか?』
ゆるやかな圧力を かけている
そんなことをしていれば アパレル業界のように
セール価格前提の ものづくりをしなきゃ いけなくなる
だから このことは とても根深い 問題なのだ
慌てて 売ることは ないと思うのだが
それよりも ゆっくり 着実に 永く売れるもの
「いいものは 劣化しない」世の中に 沢山存在している
新しい モノづくりは
『対象としたい客が こう思ってる』じゃなくて
『社会に こういうものが あったほうが いい』だろ
「消費者が 望むモノは 何か?」
人が集まり 会議で 突き詰め過ぎるから
作り出そうとするモノの良さが どんどん 薄まっていく
よいモノづくりは
理解を得る独善と 独りよがりが 生み出してきた
みんなで 話し合って
さまざまな意見を聞くほうが いいモノが 生まれる?
盲目的に 最大公約数的なモノ 安全神話にすがるモノ
そんなモノ 社会にあっても なくても いいモノ
目の前の ゴールに向かって 一所懸命なんだけど
目線を ゴールの向こう側に してみれば
何か 違うモノが 見えてくるんじゃないか
そうすると 一瞬で 広義な視野に なっていく
そこを 意識するだけで 日々の生活であれ 政治であれ
ビジネスであれ こねくりまわさない 意識が生まれる
夫婦は 原発を 気にしながらも 穏やかな生活を望む
妻は こう言う
「分からないの どうすれば 多くを 望まないで いられるか」
普遍の問題として 投げ掛けている
貫かれるのは 時代に 当事者として 向き合っていく姿勢
若い人ほど
所得が低く 低賃金 長時間労働をしいられる
非正規雇用の割合も 改善しない
若い人は 問題を 直接 肌で感じ取っている
だから 若い人が捉える 目の前の優先問題は
どうしても『経済の活性化』と なってしまう
日本社会が抱える いや 世界が 抱えた矛盾
「自分さえ 良ければ それで いい」
そこに 陥っている 内向き傾向が 強まった
「他の誰でもない わたしわ 私」
そうです それぞれの 自立が あってこそ
はじめて 他人を 思いやれる 余裕が生まれる
この時代を 逃げ切れれば・・
その先が あなたには 見えているんですか
誰にも 見えていないだろう
次の時代が 迫ってきている
貧富格差は 今のままでは 縮まらない
年齢ではなく 経済力に応じて負担する
社会保証制度の 再構築が 求められるだろう
今を 生きる 若い人の 一人 一人の選択や行動が
次の時代に とって 大きな意味を持つことは
間違えることのない事実 現実が そこに横たわる
政治も社会も
次の時代の当事者である 若い人に
すべて 任せていいのでは ないか
「たった1人の情熱が
新しい日本の スタンダードを 生み出す」
2030年頃に 団塊は ほぼ 死滅する
その時 すべてが 変わっている 景色は まるで違う
当事者となる 若い人が 動かなければ 日本は 変わらない
すべての日本 すべての日本人の尊厳のために
闘う意志のない政治家に 投票は できない
青年のバイタリティーと大人の分別を身につけた
闘う意志のある 若い政治家たちが
新しい日本を 作りあげるだろう
自分の価値観で 候補者を選び 投票しよう
ゴールの先にあるものを 見すえて
目の前の仕事や 社会と暮らしに 政治が向き合う
それが「あたらしい ふつう」を 生み出す
新日本の 第一歩なのだろう
世界は 意外に フツーに変えられる
あなたの 心と体は お元気でしょうか? 人生 一度っきり
ごきげんよう ヤン爺です 今日も ダバオにいます
過去の yahooブログのアドレスは 以下です
https://blogs.yahoo.co.jp/konobukonobu2000/18642110.html
■□■□■───────────────────────────
すでに 店は 客で いっぱい
くつろいだ様子で ごはんを食べている
店のスタッフは いい意味で「いい加減な 接客」
フィリピンの 話しでは ない
マニュアルな 接客ではなく
親しみをもって 接客することが
客との いい距離感を 作り上げている
たまに 食べにいっていた
駅に近い 住宅地の定食屋
近所の人が 足しげく通う
スタッフの顔を見るのを 楽しみに
通ってるんじゃないか 常連らしい客
忙しそうだからと
『配膳 手伝おうか?』なんて 客まで
スタッフは 総勢3名 驚くほど 少ない
ある程度の人数を 確保していたときも あった
その時には すべてのことが テキパキと運んでいた
店が 客をさばく 慌ただしい雰囲気が あった
客の回転が あがってくる 店が 立て込むのを 察し
『早く席を空けたほうが いいのかな?』という
客は そんな気持ちに 追い立てられる
自分の前で 会計をしていた男
お会計は「690円です」と スタッフが 告げた
男は まず 1000円札を 出して
そのあと 小銭「240円」を 加えた
スタッフは 何事もなかったように
「1240円お預かりします」と 男に確認したあと
「550円のお返しです」と手渡した
目の前で起きた その光景
自分の会計を したあと・・
自分なら 小銭が 690円ピッタリ なかったら
そのまま 1000円札を出して お釣りをもらうのだが
咄嗟に「1240-690=550」という
計算式も思いつかないし
この男 数学が得意なんだなぁ・・と 羨ましかった
後ろに お客さんがいたら
そこから小銭入れを出して
ゆっくり会計するなんて 自分の行動には 見当たらない
それにしても 驚かされる 会計だったなぁ
スタッフに対する 気遣いだったものか 分からない
ある日 やむをえず 1人になった スタッフ
満席で 座れなかった 客が 声をかけた
『ゆっくりで いいよ』と 座って 待っていた
混乱を見て 帰ってしまう客は いなかった
お互いに ゆったりした時間で
ゆっくりした時間を 過ごしてもらう
あえて 少ない人数で 運営するように なったのか・・
店が 傲慢になれば 客は ゆっくり楽しめない
味も落ちるだろう 店主が 何かに 気付いた
そうなのだろうか 多分そうだ 勝手な推測だがね
悪いものを 良く見せることではなく
良いものを より良く見せる
客から 信頼されるということは
あいまいさを なくすことだ
原因・結果というものは 常にはっきりしている
店主とスタッフの根底にあるのは「人が 好き?」
■□■□■───────────────────────────
駆け出しの勤め人 その頃から
最大のごちそうは 皿いっぱいの レバニラ定食
初めて食べたときは
外観も異様においしそうだったが
食べてみると これは すごい すごいおいしさだった
ある晩 スパゲティに カレーをかけて食べたくなった
若い頃よく作った 貧乏飯 おいしくて気に入っていた
記憶を頼りに 久々に作って 食べてみた
「こんなもん だったっけ」と その味に 落胆した
思い出を 美化し過ぎていた せいだろうか
ああ 思い出した 空腹だった うまいわけじゃないが
お腹いっぱいになれるのが 貧乏飯だったのだ
当時の生活は 厳しかった
稼いだ金は 家賃や付き合いで
ほとんど 無くなってしまうので
食費を切り詰めていた
自炊をしていた もやしやスパゲッティ
特売の豚こま肉ばかりに お世話になる暮らし
高くてウインナなど 買えない
おかずは 鯨の缶詰か 豚コマとモヤシの野菜炒め風か
どちらか だった
金は張れないが 生活には張りがあって 面白かった
定食屋では 一番安い
魚肉ソーセージの輪切り定食か
目玉焼き定食しか食べられない
そんな頃の「最大のご馳走」が「レバニラ炒め」
ボリュームが あった
大きな中華皿一杯に 山盛りになっていた
レバーが豊富だった 野菜も豊富だった
ニラとレバーともやしの他に
竹の子や 人参も たくさん入っていた
ゴハンが山盛りだった 味噌汁のワカメも豊富だった
タクアンの切り方が厚かった お茶も熱かった
ボリューム満点の中華料理店
お腹が 空いて仕方がない 20代の年頃
財政も緊縮状態でない時にだけ 食べていた
当時は 他の客の視線が なんとなく気になり
いや めったにない機会だから ゆっくり食べたかった
昼時なんかの ピークタイムを 避けていたから
ランチタイムの お得メニューは 頼んだことが ない
お金と 恥ずかしさ 天秤にかけて 後者を優先した
炒め物は「麻婆茄子」や「青椒肉絲」といった
12種類のメニューから 選ぶことが できるのだが
いつも同じ「レバニラ炒め定食」を 注文してしまう
どんなメニューに 浮気をしても
最終的に ここへ戻ってきてしまうくらい
取り憑(つ)かれる おいしさが あった
日本に 一時帰国すれば
金は無く 食欲だけは 旺盛だった 若い頃の
食の想い出を 今に 重ね合わようと 店に入る

注文したら 5分程で提供される スピード感が いい
プラス100円で つけられる餃子も お願いしたので
おぼんの上は いっぱいだった
ハッとした「注文を 大盛りと間違えられた!?」
疑ってしまったが これで普通盛り
ちょっと 左に片寄った盛り付けも ご愛嬌
シャキシャキの もやしと玉ねぎ
コリコリのキクラゲ ちょいクタ~ッとしたニラ
鮮やかな人参 ほどよい火の通りのレバーは
どこに箸を差し込んでも 当たるくらい
たくさん入ってるのが 嬉しい
それに絡む
しょうが・ニンニクたっぷりのソースが
ご飯を求めてくる う~ん この感じ! たまらない
続いて餃子
他店の2倍!! あるんじゃないかって くらい大ぶり
ひと口かじれば 肉汁が プシュッとあふれ出る
それを ご飯で受け止めて タレがしみた白米を ほお張って
餃子 ご飯 餃子を繰り返す

そして また レバニラ ご飯――ってのも いいけど
だんだん ビールが欲しくなる
ええい 追加でビール「生中」
若き勤め人の頃なら できなかった ぜいたく三昧
箸休めに嬉しい たくあん お腹に優しい玉子スープ

レバニラ変わらぬ味が 時の隔たりを 埋めてくれる
思い出の「レバニラ炒め定食」に 再会した
最初こそ その変わりのない姿と味に感激し
いいスピードで 食べ進められたが
だんだんスピードが 落ち 完食まで 45分もかかった
しかも 腹一杯で 動けない
お腹を空かして行ったのに なんだか情けない
若い頃は さぁ もうひと働きだと 元気に飛び出した
ほかにも 若い頃と状況が 変わっていた
昔は 懐具合いが 気になって
追加の餃子やビールを 頼めなかったのに
今は カロリーも 残してしまいそうなのも 構わず
注文を 躊躇(ちゅうちょ)など しなかった
昔なら 無料で大盛りと聞けば 喜んで食べたのに
今の自分には 食べきれない
老人ともなれば 自由が増えるが
同じくらい 不自由も増える
こんな暮らしの些細な所にも 現れる
いまでも「レバニラ炒め定食」が
「ご馳走」であることは 変わらない
昔は 節約に頑張った自分に
お腹いっぱいの ご褒美をくれたし
老人になった 今は 若い頃の自分に戻す
魔法を かけてくれる
いつも変わらず そこにある中華料理の定番は
自分を 原点に連れ戻してくれる タイムカプセル
ビールの銘柄と 空気感こそ違えど
東京も 東南アジアでも フィリピン・ダバオも
騒がしさと 酒に身を委ねてしまう弱さは 同じ
タガログ語と英語に交じって聞こえてくる
中国語や韓国語が 昨今のボーダーレスぶりを
あらためて 浮き彫りにする
一体 ここは どこだったか 今や どこに行っても
大きな差は ないように思えてくるから 不思議