「なんで 人を殺しちゃいけないの?」

もし 犯罪を起こしたのが 自分の子供だったら――

拘置所に 面会に行った自分に 息子が 唐突にこう尋ねる

静かに「なんで 人を殺しちゃいけないの?」

息子に 真正面から問われたら
なんて 答えたらいいんでしょうか

「ダメに 決まってる」としか 言いようが ない
共感なんか できない おまえ それ 
おまえの権利だ とでも 言うつもりか

凶悪犯罪を 普通の顔の人間が やるようになった

「当たり前すぎて 明確に答えられない問い」

寂しかったのだ 寂しさの本質は 常に変わらない
自分を 確認してくれる人が いないということなのだ
答えのないものの 答えが 見つかったとしても
それが 正しいなんて 誰に わかるんだろう

寂しさは 自己表現でしか 収まりがつかない
他人とだけ 手をつないでも だめだ

合法的殺人である「戦争」と「自殺」
品種改良された闘鶏が 意味もなく殺し合うように
罪もない人間を 人間は 殺す事ができる

人を愛するとは どういうことか
「自分を愛するように 他人を愛する」
その愛は 一歩間違えると
「自分を傷つけるように 他人を傷つける」
愛は そのことにも つながっていた

生きているから 嫌なことに遭遇する 逃げられない
それを 自分自身で 引き受けるものが ないと
生きていく 資格も意味も ないんじゃないか
生きていれば 嫌な事から 逃げることなど できない
つらいことがあっても 日常は 続いていく 残酷

生きていれば そのうち いい事にも 巡り会う

あなたの心と体はお元気でしょうか?
ごきげんよう ヤン爺です  今日も ダバオにいます 
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「気持ちも躰も まるで違う 60と70というもの 」

自分ペースで 独居を いつまで やるのか
朝 五時半ぐらいに起き 部屋の空気を入れ替え
顔を洗い ダバオ湾の海辺に散歩に出る
ラジオ体操をして テラスで コーヒーを飲む
朝ご飯は 果物を少し 変わりようもない習慣

そのあとは 自由時間です
お昼ご飯を食べたら 自由時間で
夜ご飯を食べた後も 自由時間
一日のほとんどが 自由時間
時間軸に ゆったりした空気が まとわる
この場所 ダバオの空間に漂っている

「喰う 寝る 読む」だけの一日が 繰り返される

週に1度 スーパーで 食料品などを まとめ買い
買い物を 終えて 誰にも 気兼ね無用の 昼メシ
ひとり飯 ひとり飲みの 快楽にひたる 
食べることで 励まされるものだ 
落ち着いて 不安もない

生活は いや 生きることは 衣・食・住につきる
おいしい食事をとると 体が 元気を 回復する
いとしいセックスをすると 心がやさしくなる
食も セックスも
上を見ればキリがないし 下を見てもキリがない
羨めば苦しいもの 八分目が ちょうど いい

ダバオに「隠居」する 前は
いくらあれば 生きていけるのか
確かめたことなんて ありませんでした 
貯えも 少しは あったしね

実際に暮らしてみたら 年収100万円でも
最低限 生きていけるってことが わかって
不安になる 理由が なくなった

自分なり 快適に過ごす 生活費が 100万
偶然 年金額とイコールだった
「もっと 安くて 狭い場所に住んでも いいな」
と なったら さらに 下げられるん ですけど
はたして 快適かどうか 賃貸物件と環境次第
今の暮らしが 自分には 丁度いい

お金は あれば あったで 使ってしまうでしょう
なきゃ ないで どういう風に 楽しみを作り出すか
そんなところだけに 頭を使っている

自分で 手入れが出来る 広さの庭
寝室 二部屋 この 小さな貸家に越して 3年

家に沿うように 風が通るテラス 気持ちいい
素晴らしい ご馳走  うわーッ いえぇぇぇー 
風に吹かれ 酔ってるような感じで いいんです
とても いい そして ときたま 強い風が 脅かす
そーう グーッ ナイス イェス! オーケイ!
風とのラブシーン いいなぁ すごく元気だなぁ
力が抜けて笑う もう笑うしかない

意味や 理屈や ストーリーで理解するのが 
知性だとしたら
「風に肌を 愛撫され 一息つく」のも
 紛れもなく 知性の一つだ

自分が決めたルールを 急に変えたって いい
その方が 生きていくのが 簡単になるんだから
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海外に住む 日本人の動機は 単純では ないが
大それた理由が ないという人が 多いのも事実

現地人と結婚したり
留学で来て たまたま仕事が 見つかったり
とんでもない理由で 海外に住んでいる方は 少ない

それでは 自分は? フィリピンに来たのは
当時 何か 大きな出来事が あったというわけでは ない
「日本を 一度出て 海外での生活を 体験してみたかった」
それが 一番の理由 その後
この地に縁があり 自然な流れで ダバオに住んでいる

近代的な高層ビルや ショッピングモールの足元に
東南アジアらしい夜市 屋台が どこまでも立ち並び
今と昔 富と貧が 混在する 小さな街

小さな街に 住むというのは
ほっとして 何も考えなくなってしまう

日本に帰国するたび 会う人に
「フィリピンに ひとりで住んでいる」と 話すと
「その歳で 凄いねー」という 言葉とともに
嫉妬と軽蔑の入り交じった 複雑な顔を される
自分は 反省してる感じを出すのが うまくなった
さぞかし 人に言えない 大それた理由が あって
フィリピンに 住んでいるのだろう
これ以上 聞いちゃ 悪いんだろうなと 思わせてしまう

今度 聞かれたら すぐに フランス パリ・7区に います
作り話しの嘘 どんな顔して 褒めてくれるんだろう 

むしろ フィリピン人に どうして こんな貧しい国
不便なダバオに 暮らしているのかと 不思議がられる
「ここなら やっていけるかなと思った」と 答えている
奥さんは フィリピン人か?  独身だよ!
訳の分からんヤツ 二の句が付けず 黙ってしまう

絶対に 友達にはなりたくないタイプ?
自分は 周りからは そう言われ続けてきた 
だから ダバオで やっていけるかな と思った
日本だったら とっくに 抹殺されている
ダバオだったから こうして 何とか残れた

日本に無知な方が 精神的に楽でいられる

様々な先行事例を見て 老いの生き方を決める
それも いいだろう
でも 自分に合った生き方は 能動的に作れる
頼れるものなんて 現実に 存在しない
自分を 頼る

自分が 自分であった
その 自分以外の自分で 生きてみる
そういう欲求が 高まる事が ある
自分が これまでの 自分であることの 
つまらなさみたいなものから 逃れたい時だ・・
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安らぎと孤独を 交互に繰り返す 老いの異国暮らし

老いた男の ひとり暮し 大変だなと思わせる

コンビニ弁当も売って無い フィリピンで
「かりにだよ 女が いなきゃ 何 食うの」
それぐらい 自分で・・ と 答えているが

言葉や文化が わからなくても
美味しいものは ただ 美味しいのだ
美味しいものを 食べたいだけ 食べる
瞬間 満たされた気持ちに なっている
食べ物は 不思議だ 馬力を 生み出す

食事を作って貰うのに メイドが 働いたところで
美味しいものなど作れない それを 見ているから
無駄を出さないよう 気配りし 自分で 料理してる
ただ フィリピン女性の洗濯と掃除の丹念さには 感服 
自分は 到底及ばない 仕上がれば 機嫌よくいられる

「それにしても ひとりになること自体 ストレスだろ」
悪態を つくことで 苦痛を緩和してる
下品な言葉を 吐き出して 悪態をつくと
痛みやストレスは 軽減されるんだよ
後は 笑いとばし 自分を励ましてる

悪いという 前提に立ってないか「孤独」がだ 
自分の感じている孤独と 世間が言う 孤独とは
ちょっと イメージが 違うな
孤独は そんなに悪いものじゃない 
むしろ 手放したくないとさえ思う
孤独は 自由という ひとりの 気楽

熱狂して おもしろく 遊んで暮らしたい
そのための パートナーを 欲するのなら 口説けば いい
いまは ひとり たまたま「独居」してる けど
来年 どうなっているかなんて 自分にも わからない

自分の周りにいる 大切な人や場所に
自分の自由時間を使う それも 楽しいはずだ

ひとり暮らし 完璧にやろうとすれば 壊れる
6割くらい できていれば 快適を 感じられる
ゆったり 普通の暮らしが 続いている
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熱を帯びる ダバオの街も ダバオの女も
昔は 自分とって 非常にくすぐったかった

いい女って パッと見の姿形だと 思ってきたからだ
男という生き物は 若い女に 反応してしまう

「大坂なおみ」のような
発展途上の日本語で 表現するフィリピン娘に 胸キュン 
自分を救ってくれる 女だと 錯覚してきた 男たち
本物の 大阪なおみは 素晴らしく いい女だよ

ダバオの娘たちは キレッキレ スタイル抜群もいる
破廉恥って 一周回ると すごくオシャレに変身
フィリピンのエロって 乾いて バーンと開いてる 
だから アートなんだと 面白がれば いい

そんな娘を 奥さんになんか しないよね
キレイなんて ほんの一瞬の ものだから

結婚は 恋愛のハッピーエンドでは ない
男たちは 皆 分かっている
結婚生活は 現実そのもの だけれど
それに対する 期待や想いは「幻想」なのだ

男と女は お互いの幻想が 共有できたとき
結婚するけれど 結婚生活を 送っていくうち
いつか その「共同幻想」から 覚めてしまう

期待や見返りなしに 
相手を愛することが できたら 素晴らしいだろう 
現実に そんなものは ない?
キョンキョン(小泉今日子 52)は 別だ
人間的魅力がある 「私は私」を 貫いていて
若さなんかに 全く 執着していない
年齢とは 違う次元の 魅力

男と女の 結びつきの裏側に あるもの
男が 言葉には しないもの 
男と女の関係性に 潜んで いるもの
すべてが 幻想だから 崩壊し消滅する 
その時 男は どうするのか

きっと たくさんのものを 捨てながら
男たちは フィリピンで アウトプットしてきた
女に対する 他人のやっかみも 多かった だろうし
説教することで 尊敬されたがる 年長者も多いと思う

自分は 男と女の事は
外から ごちゃごちゃ言うべきでは ない と 思っている 
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日本で 息を潜めるように生きていた 老い人
フィリピン娘の救いの手が?・・

恋愛が 人生のすべてなんて 言ってませんが
いくつになっても 女にドキドキする感覚って
失っては ならない 大切 間違っていない

だから 老いたら 老いたなりに
お洒落で カッコイイ やんちゃな カワイイ ジジイ 

老成 ブルース・ウィリス
世間常識という 狭い思考のしばりから 解放される

独自の思考回路が 組み込まれている
ジジイの存在が フィリピンでは 実に面白い

カッコ悪い ジジイと飲んでも
健康の話とか 墓の話になっては つまらない
若い娘たちと飲むから 面白い 無邪気になれる
人生経験だけが カッコイイ 老い人を 作り上げている

「おまえ! うまそうだな」食べられてしまいそうな女
「こういう女と 一緒にいたら 日常に飽きないだろうな」
情欲に身を焦がすより 結婚する方が いい と考えてしまう
お金で買った 買われた繋がりで 始まった 結婚生活
それで 気づいたら 70代も終わっちゃって
終わっちゃって 終わっちゃって 
気づいたら 80を越えてた

その都度 女と人生を 駆け出してたって感じだったよ
そんな戯れ言 見栄はって 言うジジイが いる? 
世間で言うフィリピン女と 自分の女は 違う 正気で言う
波の音は 金持ちにも 貧乏人にも 同じに聞こえているが

南国フィリピンでは 生身の感情が湧き出る
ジジイは 不器用でも 女にまっすぐ
想いを 伝えようとする姿には 
もどかしくも 切ないものだ 
一筋縄じゃ いかない 愛の蜃気楼を 追いかけている
遊び場所を見つけた 執着し 遊びほうければ いい

だが 全てが「そうだったら よかったのに」と いう 
「おっぱいたんてい」の 妄想だし 幻想だった

気付いた時は もう取り返しがつかない
そのぶん 余計こたえる
あとになって 気づいた ああいう女が
自分にとっての「重し」に なってたって こと
女の嫌なところを あげつらって
結婚した女を ダメにして 自分のことを自慢して
気がついたら 誰も 周りに いなかった

なかったことに したいだって

悲喜こもごもが 汚れたネオンの下 繰り広げられる
邦人老いの余生 フィリピンでは 普通の風景

映画館で 上映中の観客席に入ると
真っ暗で しばらくは何も見えないが
次第に目が慣れてくる
「暗順応」という 目の仕組み
毎夜 キラキラする酒場で 過ごしていると
この機能が 低下するらしい フィリピンが 見えない

女が いてくれたんで
どこかに すっ飛んで行かずに 済んだ
このまま 行けたら「お陰様」でと  
いうことになりそう フフフ
これで 余命を終えれば ちょうどいい 塩梅かな
今日より 若い日は ないんだから
人間には 今日しかない 過去も未来も関係ない

それぞれ フィリピンで 傷ついた男たちが
美味しいものを食べ 飲んで 立ち直るきっかけを
もらっていくという ドラマ

結婚なんてのは 若いうちにしなきゃダメなもの
物事の 分別がついたら できないんだから

同棲だって 男としての責任は とれる
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理想を満たす
自分好みの 女だと思って 近づいても
振り回されたり いいようにされたり
何か起きた時「フィリピンの クソ女」とか
その言い方 男として いさぎよくない

起きた 嫌な事 なにもかも 
きれいに 忘れてしまうことだ
命を散らされなかっただけ 良しとしないと

ま! 取り敢えずビール の女じゃ 駄目だって ことだ

ほんのちょっと 目線を上げれば 
いま そんな女とは 勝負できない
自分も変わった 老成の弱さを曝け出して
消去法で 女を考えるようになった

「面倒くさくない 生活する お金を持ってる女」
それが「いい女」と 言うんじゃ ないかって
最近 思うようになった

-そう考えるようになったのは いつ頃

女で あることで 
ある程度の 優遇をされていた時代が
ダバオでは 終わったと 感じ始めてからですね

若さとか 女性であることに 甘えている 
そんな女 付き合いきれない と 思ってる
イラだつのを 女のせいに したくないから

面倒くさくない いい女・・ キョンキョン

自分以外に 
大事にできる男が いることに 気づいた女
ダバオの女も 変わってきている
「いい女」への 変化とともに 恋愛観も変る

カッコイイ 好きに遊べる女と
付き合って 共に いい時間を 過ごせる女とは 違う
いい女との時間は 宝物に育てることが できる
日常を 特別な時間に変えられる そこに 気づいた・・
女への 理想なんて たいしたこと ないんだから
大事に持ってないで 捨ててしまった方が いい

-今 相手に最も求めるものは

「融通を利かせて 融通を受け入れる」
好意と厚意を キャッチボールできること

付き合っているのは 英語が カタコトの
頼りない感じの 女性だけれど
そこに 自分の 己の身を投影してみた

その女性は 身近な唯一の 自分のファン
そこにこそ あらゆる要素が
凝縮されているのでは ないだろうか

今は 1人 自分で 自分を考える立場にある
何年先のことなど 分からないけど
1カ月 2カ月先のことが
しっかり分かってる状態を 続けていけば
気づいたら10年たっていた それで いいだろう
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ダバオの懐に抱かれて 身終いするつもりでいる

病の皇帝「がん」
「最後は がんというのも 悪くない」

人類は ついに がん細胞だけを 選択的に攻撃する
分子標的療法という 魔法の弾丸を 手に入れた?
かに 見えたが・・
がんは 不死の細胞で 構成される 生命体同様だから 

母体が死なない限り 絶滅は あり得ない

老いて 体に限界が来てるのに
延命至上に こだわるのは どうなのかな

「最後の幕引きは 人間らしく」
がんが 全身に転移しても 女優として 生き切った
樹木希林さんの闘病は アッパレだった

「細い糸1本で やっとつながってる」 
声 一言も出ないの しぶとい困った婆です
ユーモアを交えて 闘病をさらけ出してきた

病と老いを受け入れ
食べたいものを食べ 飲みたいものを飲んで
当たり前の日常生活を 送っていたようだ
自らの死期を 見つめながら生きた
誰にでも なせる業では ない 
自分にできるかな? 自分も そうありたい

安室奈美恵の引退日と 樹木さんの訃報が 重なった
二人の「格好よさ」は 人を引きつける
強い意志とユーモアに支えられた 樹木さんの生き方
去り際のすがすがしさに 拍手を送る

才能ある役者の死を知った時
自分は 生きなければ いけないなと 思ったし
それも「今」を 生きなければ と思った
それが 生き残っている者の義務だ
別に 他人にどうこう言っている訳じゃない

生きてる限り ていねいに生きる
優しい「いい人間」を 懸命にやりとげる
偉くなくてもいい 強くなくてもいいのだ
ただ まともな男で いたいだけだ
いい人に成りたい欲が 出てきています