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祝ってくれない記念日

あまりインパクトが強くないのか、増収対策にもならないのか、もしくは不都合な事情でもあるのか、ひょっとして誰も気づいていないのか、ともあれ、今年の12月11日は名鉄羽島新線が開通して30周年を迎える日です。


手元にある書物「鉄路風雪の百年(中部経済新聞社、刊)」によると、羽島新線の建設に至るまでには、モノレールで岐阜市内と岐阜羽島駅を結ぶ案や、近鉄養老線が大垣から羽島を経て岐阜市内に入り込もうという計画まで練られていたり、なかなか思いもよらぬ構想が持ち上がっていたようです。



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新羽島駅近くで撮った建設中の高架線。過去のフィルムに、なぜかこんなカットがありました。1979年夏のこと。



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記念列車の発車式を新岐阜駅で撮ろうとしたら、所々の判断を誤って、こんなカットが精一杯でした。<1982年12月11日、942レ>


開通当初は新岐阜から直通急行が運転されるなど、新線を優遇したダイヤが組まれていましたが、JR在来線がこれほどの勢いをつけてきた今日、岐阜市周辺から鉄道を乗り継いで新幹線を利用するなら、う~ん、やっぱり岐阜羽島より名古屋へ向かったほうが便利ですね。今となっては、羽島新線の延長元となっている竹鼻線を活性化させないと、せっかく建設した新幹線アクセス鉄道もやがては姿を消してしまわないかと心配です。


【2013年の主な記念日 名鉄関連 ざっくりと】

●小牧線ー地下鉄上飯田線相互直通10周年 3月27日

●犬山線ー地下鉄鶴舞線相互直通20周年 8月12日


しかし、記念イベントを催せば、いろんな輩が出没するんだろうな~(出札掛)

【アーカイブス】近江鉄道のED31

 近江鉄道には、ED14とともに5両のED31が活躍していた。装甲車のような外観の凸形電機で、大正12年に製造された元伊那電気鉄道のED31である。ED14が多賀からの原石列車を牽引したのに対して、ED31は軽量貨物が中心で、もっぱら鳥居本にある石油基地への原油輸送と、八日市線の貨物を担当していた。まれには、多賀線のビール列車を牽引することもあったが、2度しか見ていない。

 このように運行区間が限られていることから、ED31を撮影した回数は、ED14と比べると随分少ない。撮影したのは、もっぱら彦根と鳥居本の間で、八日市線は1回行っただけである。


 ED31の撮影地として、もっとも気に入っていたのは国道8号の脇から彦根を出た築堤を見下ろすアングルで、彦根城と琵琶湖がバックに入るという近江鉄道らしい写真が撮れた。


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 鳥居本からは、緩急車を1両だけ連結して米原まで運行した。編成が短くて絵にならないので、流し撮りで誤魔化している。貨物の最末期には、この運用はED14に代わっている。


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 彦根に戻ってきた原油列車。駅裏は、現在と違って長閑な雰囲気である。


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 八日市線には1度しか撮影に行かなかった。平坦線だったので、絵になりにくかったためだろう。


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 最後にED31のシルエット。どこの場所か、最初思い出せなかったが、どうやら夕方の多賀へのビール列車のようだ。


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 独特の外観のED31が夕日にうまく浮き上がったので、印象的な写真になったと思う。先に書いたように、ED31がビール列車にはいるのはごく珍しいが、それを知っていてこう狙ったのか、あるいは偶然か、そのあたりはまったく記憶にない。(駅長)


鳩の特急-3(久々の玉砕編)

 いやー、やってしまったのである。(>_<)


 最近、撮影回数が少ないので、油断した、というべきなのだろう。考えが甘かった、というべきか。いずれにしろ、久々の玉砕である。ここで書くのはお恥ずかしい次第だが、これから撮影に行く方の参考になるかと思い、恥をしのんで記すことにしたい。


 以前、書いたように、12月2日には関西方面に行くことになっていた。所用があるのは午後から大津なので、午前中は時間がとれる。ここで京阪の旧3000系を狙おうと以前から考えていた。


 しかし、ここに思わぬ伏兵があった。何とこの日、旧3000系は京橋~七条間ノンストップの特急「洛楽」に使われることが予告されたのである。これは、一見、千載一遇のチャンスであるが、なまじ予告されたことから、沿線に多くの同業者が出没することが想定された。こちらは、そんな貴重な写真ではなく、単に綺麗な鳩の特急の姿が撮れればいい。逆にこんな列車として走ると多くの同業者が集結することで、撮影場所に制約が生じることが懸念された。


 事前にネットで撮影地を検討するが、なかなかこれは、と言った場所がない。後の用事を考えると、撮影はできれば京都方で行いたいので、出札掛さんが撮影された橋本の西側が候補となった。しかし、確認すると数人しか入れない、という。これでは場所の確保が難しい。

 さんざん悩んだ末、ホームなら三脚や脚立は制限を受ける筈だし、こちらは手持ちなので後ろから抜けばよい。名所の大和田はホームの反対側から撮るのでポジションは限られるが、もうひとつの名所である西三荘はカーブした京都行きのホームから撮影するのでポジションが多いとみて、西三荘に行くことにした。カメラもフルサイズではなく、普段は予備機ながら、望遠効果の高いAPS-Cの機材とする。これが如何に甘い考えであったか、現場に行って知ることになるが・・。


 京都から奈良線東福寺で京阪に乗換え、西三荘を目指す。必ずしも西三荘でとる必要はなく、どこか良いところがあれば、そこで撮ればいい。しかし、さすがに京阪カーブ式鉄道と呼ばれるだけあって、沿線はカーブだらけ。数少ない編成が抜ける踏切やホームの端にはすでに同業者が陣取っている。結局、どこも降りることができず、守口市まで乗ってしまう。途中、枚方では旧3000系が待機していたので、すぐ回送でやってくると予想された。そこで、後打ちとなるが、駅の京橋側で撮影することにした。


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 ここまでは良かった。うん、この角度なら何とかなりそうだ、と思ったのが運のつき。


 次の普通列車で西三荘へ戻るが、すでにホームには三脚が数段に並び、さらにその奥には脚立・・・・。撮影地ではなく、10分おきに電車が止まるホームである。京阪さんの懐の深さには驚く他はない。それがホームのほぼ半分の長さにわたり続いている。


 無理をすれば何とかなるかもしれなかったが、守口市の進入の方が、人も1人しか居なくて撮りやすそうだと判断した。そこで、次の普通で守口市に戻る。まずは、直前の特急を撮影。

 


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 ここで天候がやや回復。先頭車に影がかかることに気がついた。しかし、いまさら場所を変えることはできない。まあ、手前に引けば、何とかなりそうだ。


 続いて中之島行きの急行が撮影しているホームから発車するはず・・・あれ、なかなか来ないな。お、やっときた。早く扉を閉めて・・・・その時、反対ホームで列車通過のアナウンスが(>_<)


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 いつまで経っても読みが甘い。やはり、計画の建て方が大甘だったのか。猛省である。


 京都方面へ戻りながら、帰りの列車の撮影地を探す。中書島で撮ることにして、ホームのうどん屋で腹ごしらえ。これも判断ミスであった。


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 その間に、同業者がやってきて、ベストポジションが撮られてしまったのである。さらに、直前になって撮影者が反対側ホームの先端に・・・・。そんなところではまともに撮れないのに・・・・またも涙、涙である。


 失意の中、三条で乗り換えて、浜大津に向かう。次の狙いは、京阪特急色に塗り替えられた600形。さて、運行しているかどうか・・・。


 待っている内に、地下鉄直通の800形がやってくる。折角、APS-Cのカメラを持ってきているので、300mmの構図で狙ってみる。


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 あとで、モニターを見て気がついた。液晶が切れている・・・・(>_<)

 この角度なら、もっとシャッター速度を落として、全部を表示しなくてはいけないのに・・・・これは、不運というより、単なる未熟というべきなのだろうが。


 では、大津線の特急色は・・・・


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 待つことのできる最後の列車でやっと来てくれました。(^^)v

 しかも、普通色の600形とのすれ違い。まったくツキに見放された今回の撮影だったけれど、ようやく最後に溜飲を下げることができました。

 まあ、これが撮れたので、今回の目的は最低限、達することができた、としまましょう。


 それにしても、悔いが残るのは旧3000形。これは何としても、再履修をするしかありません。今度は万全の備えをして、撮影に行くしかない、のかな(^_^;) (駅長)





DD重連

 今年も早12月、寒くて日の短いこの季節は活動が鈍りがちになります。こんな中、愛知機関区DD51の国鉄色重連が動いているということで出動しました。はじめは近場でお手軽撮影だけで済ますつもりでしたが、周囲の同業者の会話を聞いているうちに欲が出てきてちょっとだけ遠征しましたので簡単にご報告いたします。

 先ず塩浜へ行きましたが、近くの橋には20~30人ぐらい集まっていました。自分もその一人ですが、こんなものにも人出があるのはネットの影響なのでしょうか。この後とりあえずここまで戻ってきて太陽と雲の位置を気にしながら待ちました。思いのほか反射がきつく、色がよくわからない状態になってしまいました。



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 駅停車時間中に先回りしてもう一発。時間切れで太陽は雲(山?)の中に消えましたが何とか撮影できました。今頃が一年で最も日没の早い時期です。いつまでこのコンビが続いてくれることやら・・・・


 


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195.銀杏鉄2012(尾西線) 2012.12.1

 季節はもう師走、早いのもで今年もあと1ヶ月を残しだけとなりました。年をとるごとに本当に1年が過ぎるのが早く感じられます。この頃になるとこの時毎年中日新聞の1面に祖父江町の銀杏が見頃になっという記事が掲載されるのですが、今年はちっとも掲載がありませんでしたので、どうしたものかと様子を伺いに行ってみました。例年12月には銀杏の黄色い葉っぱは散ってしまって、残っているのは枝だけということが多いのですが、今年は黄葉が遅れていたようで、ギリギリ間に合ったっていう感じでした。活動を終え、家に帰ると夕刊の1面に黄金色に輝く銀杏の記事がちゃっかり載っていました。新聞の写真はヘリからの空撮ですが、これがまたカメラマンは鉄分が相当濃いのではないかと勘ぐってしまうほどのベストショット、この時期になると毎回自家用ヘリがほしいと思ってしまいます。いつもなら日の出とともに活動開始となりますが、朝起きたら空はしっかりと雲に覆われ、速攻で2度寝となりました。9時頃に目が覚めると平野部はバリ晴れの様相、当然のことながらスクランブル発進となりました。

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 まずは玉野~萩原の築堤へ向かいました。ここは午前中の順光ポイントです。銀杏の木がもう少し大きい木だとバランスがよくなりますが、こればっかりはどうしようもないですね。去年の3月のダイヤ改正で尾西線の森上~一宮~玉ノ井間がワンマン化された際に車両は金魚鉢タイプの6800系ばかりになってしまい、面白味はありません。

【2012.12.1 玉野~萩原】(電車運転士)


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 右側にもっと大きな銀杏の木があったので、サイドに回り込んでみました。本当はもっとカメラを右に振りたかったのですが、大きな御屋敷があってこれ以上は無理でした。

【2012.12.1 玉野~萩原】(電車運転士)


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 場所を移動し森上方面へ向かいました。たまには違ったアングルで撮ってみたいと思い試してみましたが、左の銀杏は葉っぱが散ってしまって骨だけになってしまっていたのが残念です。

【2012.12.1 山崎~玉野】(電車運転士)


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 森上の少し山崎寄りに来たらしっかりと葉っぱが残っている銀杏かあったので下から見上げてみました。この木は以前は枝がもっと線路寄りに張り出していましたが、枝が伸びすぎて台風の時に危険だということで数年前に伐採されてしまいました。一見変化がないように見える風景も毎年少しずつ変わっているのが実情です。

【2012.12.1 森上~山崎】(電車運転士)


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 前のポイントから山崎寄りに少し行ったところに大きな銀杏の木があったので、どう料理しようか試行錯誤しましたが、無理を承知で広角で思い切って銀杏を取り込んでみました。

【2012.12.1 森上~山崎】(電車運転士)


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 尾西線での撮影をひと通り終えて、帰路につきましたが、ダイヤを確認すると5885列車に間に合いそうだということがわかったため、急遽、予定を変更して高蔵寺のカーブに足を運んでみました。逆光で列車はつぶれ気味になってしまいましたが、背景の紅葉が逆光に光って思ったよりいい感じになりました。機関車も運よく国鉄色が先頭でした。

【2012.12.1 高蔵寺~定光寺】(電車運転士)

2012年、秋  終章

秋も深まる11月三連休の最終日25日(日)、紅葉と雪山のコラボレーションに再び巡り合うことができました。


既に冬の装いとなった御岳と乗鞍を遠くに眺めながら、鮮やかに色付いた紅葉の山すそをツートン色車が走っていくところを撮りたくて、うぬまの森を目指しました。



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うぬまの森に登る前にウォーミングアップ。自分が運用予測したツートン色車が予定通り入っているのかを確認することも兼ねて、手始めに坂祝の日本ライン景勝地で岐阜行を撮影しました。よく見ると列車の背後の辺りだけ木々が伐採されており、少し残念。



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昨年あたりから木の枝の成長が気になり、線路が見通せなくなるのではないかと案じられましたが、まだ大丈夫のようです。ただ、以前よりも木曽川が見えにくくなってきたように思えますが、逆手にとれば国道や建造物を若干隠すことが出来るので、痛しかゆしでしょうか。

ところで2両のキハ48ツートン車は未だにユニットを組まずにバラ売りをしています。こうして見るとやはりツートンは2両揃いのほうが見栄え良いのですが、せめて1両のみであっても岐阜方が先頭に出たときに目標のカットを押さえておかないと、同じシチュエーションに二度と巡り合えずに後悔することになります。「撮れるときに撮る」ように心がけましょう。

この列車、実は後追いですが、時と場合によっては、そんなことを気にしていたら何もできません、よね?



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一つの目的を達成した後は、御岳バックが撮れる名鉄広見線西可児に移り、ここでも紅葉とのコラボを楽しむことができました。



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善師野駅付近での彩り。やはり今年の紅葉は鮮やかでしょうか。

以上は2012/11/25撮影。


話は前後して24日(土)、鉄活動が今後も円滑に行えるように、たまには同居人を接待しておこうと(つまりご機嫌取りですね)行楽に出かけました。目的地は、やはり紅葉が美しい明治村。皆様ご存じのとおり、蒸気と京都市電が2年ぶりに復活を遂げましたが、けっしてこれを見に行くのが目的ではありませんので念のため(→たぶん誰も信じない)。



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機関車を見た同伴者の「何かカンバン付いてるよ」の一言で、鉄チャン根性に火が点いてしまいました。

ここ“東京駅”では機回しの様子を撮ろうと大勢の観光客がカメラを向けていました。人気の高さがうかがえます。



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復活の秋。敷き詰められた落ち葉の上を“名古屋駅”に向けてゆっくりと進んできました。


さて、いよいよ枯葉が舞い散る季節を迎えました。予報によると今年の寒さは厳しいようなので、昨年達成できなかった「雪景色を走るツートン色車を撮る」を再び今冬の目標に掲げましたが、今度こそ期待できるかも・・・。(出札掛)


【アーカイブス】35年前の三岐鉄道貨物

 先に近江鉄道のED14が牽引する貨物の写真をお見せしたが、そのコメントを拝見すると、この頃、多くの方が私鉄の貨物に関心がなかったりして、あまり撮影していないことがわかった。反面、近年は撮影したくなる対象が減ってしまったことから私鉄の貨物にも関心が高まり、特に重連運転の貨物が運転される三岐鉄道の貨物が絶好の被写体になっている。


 三岐鉄道の貨物については、昭和52年の10月に撮影に行っている。今から35年前である。その頃の三岐鉄道の貨物はどんな状態だったのだろうか。


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 これは伊勢治田と丹生川の間の鉄橋だろうか。こうしたカットを撮っているところをみると、結構頑張って、朝から撮影に行っているようだ。


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 続いて、順光側に場所を移して撮影している。この鉄橋、今撮影しても、同じような写真が撮れるのではないだろうか。


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 続いて富田行きの貨物。当時は単機での牽引もあったようだ。


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 この時、カラーで撮影したのは4カットだけで、最後の1カットは三里と丹生川間のお立ち台の陸橋である。

 この場所は、今、こんな感じ。


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 線路脇に道路ができたのと、若干、家が増えたものの、イメージは大きくは変わっていない。

 

 機関車の前照灯も改造されいるので、さすがに35年前の写真を最近の撮影とはいえないものの、沿線風景はさほど当時から変化していないように思える。もちろん、アングル次第ではあるけれど・・・。

 こうやって見ると、三岐鉄道の貨物は、鉄道が輝いていた時代そのまま、といっても過言ではないようだ。今、人気を集めるのも、当然かと思う。(駅長)



【アーカイブス】続・近江鉄道のED14

 先の3連休は、出撃したいところはあったが目的地の天気予報が芳しくなく、また、天候に恵まれた日曜には用があって、結局、2日にわたり自宅に居て、スキャンをする羽目になった。今回、スキャンしたのは昭和52~54年に撮影した近江鉄道の貨物列車である。

 すでにここで何度も書いているように、この頃、仕事の関係で多賀線に至近の場所に住んでいたことから、近江鉄道の貨物を撮影する機会があった。その一部は以前お目にかけているが、今回、スキャンした中からいくつかをご覧にいれたい。


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 以前にもご覧にいれたが、多賀駅から多賀大社の裏を通り、多賀中学校の横を抜けて住友セメントの石灰石原石の積み込み場まで、1km強の専用線が伸びていた。この専用線は築堤となっており、丘の上にあった多賀中学校への通学路から俯瞰で撮影できたので、好んで何度も撮影している。


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 中学校への通学路には桜が植えられており、まだこの頃は木が若かったが、それでも花が咲く春には良い構図が得られた。


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 これが貨物の出発点である原石の積み込み場。これは出発線で、実際の積み込み場はもう少し奥にあったと思うが、あまり記憶がない。貨物は1~2時間に1本くらいの運転であったが、時にはED14の並びも見ることができた。


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 これは原石積み込み場から築堤を降りてくるところ。多賀大社の裏のあたりである。現在、この築堤は無くなり、道路となっている。この築堤上を走るED14の写真は、ほとんど見たことがない。旅客列車が走っていないので、行きづらかったためだろうか。


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 多賀駅で専用線が分岐するあたり。多賀駅は右側にある。専用線の上を名神が跨ぎ越している。


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 多賀駅を出ると、平坦線となる。多賀から少し高宮寄りには、踏切脇に1本の桜の木があり、ここも春には好んで撮影した。


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 高宮と彦根口の間の国道8号のアンダークロスの先では、伊吹山をバックに撮影できた。


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 一方、多賀駅の高宮寄りには麒麟麦酒の工場があり、ED14はその製品輸送にも活躍した。貨車はワム8000で、最大20両を牽引し、実に見応えがあった。

 なお、元東武のED4000は、この輸送用に購入したと書かれることが多いが、少なくともこの時期に貨物を牽いているのを見たことはなく、もっぱら彦根の入れ換え用であった。


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 線路から少し南側にアパートがあり、ここからの俯瞰も何度か狙っている。四季それぞれに記録しているが、雪原を走る時が一番絵になったように思う。


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 ビール列車は、撮影可能時間帯には、昼頃と夕方に運行されていた。多賀まではED14が牽引し、多賀からの専用線は非電化のため、DLが牽引している。夕方の列車を狙うことはあまり無かったが、このような印象的な写真が撮れるなら、もう少しまじめに撮影すれば良かったと思う。(駅長)

【アーカイブス】岡多線にゴハチが走った日

 岡多線といっても、もう四半世紀前に線名が無くなっているので、どこの路線かわからない方もおられるかもしれない。現在の愛知環状鉄道である。自動車輸送を目的として昭和45年に岡崎から北野桝塚まで開業し、昭和51年4月26日に新豊田まで延伸、同時に旅客営業を開始した。昭和63年1月31日、高蔵寺までの開業にあわせて愛知環状鉄道に移管されている。

 この岡多線が鉄道ファンに記憶を留めることになったのは、昭和54年5月27日のお召し列車の運転であろう。藤岡町で開催された植樹祭に向かう天皇を乗せて、宿泊地の三河三谷(蒲郡だったかも)から新豊田まで運転された。EF5861の牽く1号編成が岡多線を走ったのである。


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 この時には、お召し列車の歴史に残る運転が行われている。なんと、お召し列車が退行したのである。

 戦前に天皇が神格化されていた時代、お召し列車は如何なる理由があろうと、退行することが許されなかったという。戦後はそんなことはなかろうが、それでもイメージ上、退行することは好ましいことではないだろう。では、この時、なぜ退行したのか。

 当時、新豊田駅は分岐線のない、行き止まり式の終着駅であった。このため、駅に到着しても、機関車の機まわしはできない。こうしたことから新豊田駅に到着したお召し列車は、そのままポイントのある(ということは閉塞の境である)北野桝塚駅まで退行を余儀なくされたのである。


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 この後、北野桝塚から岡崎まで、今では伝説ともなっている運行が行われている。お召し機EF5861と同時に製造されたEF5860とのプッシュプル運転である。 

 EF5860は、いつでも61号機の代役ができるよう、同一の外観で製造されたが、浜松区に配置されたこともあって、新製直後はともかく、その後は実際にお召しを牽引したり、その予備機になったことはあまりなかったはずだ。しかし、この時には晴れてお召し予備機になり、万一に備えた。そして、北野桝塚から岡崎まで、回送ではありながら、お召し列車の先頭に立ったのである。


 このお召しの写真は以前、ご覧にいれたことがあり、再掲である。再掲の目的は、この写真をお見せするため。お召し列車の運転に際し、その前に行われる訓練運転の写真である。

 訓練運転では、さすがに61号機やお召し編成を使うわけにはいかないので、同じくらいの重量の編成となるよう、客車を寄せ集めて運転した。この時、何日くらい訓練運転が行われたかわからないが、5月のある1日、それを撮影に行っている。


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 これは永覚と三河上郷の間くらいであろうか。(違っていたら教えてください)

ゴハチが牽引するグリーン車2両と寝台車1両が入った7両編成は、結構魅力的である。


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 これは、多分新豊田からの戻り列車で、推進運転中のものだろう。場所は、上の写真の少し北側であろうか。

 こんな列車が毎日走っていたのだから、今にして思えば、もう1日くらい撮りにきていれば良かったのだろうが、残念ながら、撮影はこの1日だけであった。ただ、平日のためか、まわりに同業者はおらず、ゆっくり撮影した記憶がある。昨今の状況からは信じがたいが、訓練運転はイレギュラーのため、あまり関心を呼ばなかったのかもしれない。(だから、良いとの話もあろうが・・・)


 以上、岡多線を走ったゴハチの記録であるが、意外にももっと貴重なのは、こうした写真かもしれない。


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 同じ場所での撮影であるが、意外に岡多線の113系なんて、撮影している人は少ないのではないか。

 もっといえば、北野桝塚からの自動車輸送の貨物があれば誇れるのだろうけれど、さすがにそんなのは撮っていない。(駅長)




194.街中紅葉鉄2012 2012/11/24

 11月後半の3連休、23日以外は天候にも恵まれ、今シーズン最後の紅葉鉄をお楽しみの方も多いのではないでしょうか。かと言う自分は3日間とも家族運用に縛られて自由が利かず、好天を横目にスキャンとブログ書き込みというストレスのたまる毎日でした。そんな中、24日の昼間、ちょっとだけという約束で自由な時間がもらえましたので、金山の公園の街路樹が紅葉しているだろうとの思惑から、昨シーズン撮りそびれた都市センターの11階に昇ってみました。


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 予想どおり、公園の街路樹はちょうど紅葉のピークを迎えていました。手前の桜は赤く、奥の落葉樹はカラフルに紅葉しており、街中にしてはボリューム感のある紅葉でした。3088列車が通過中に2000系が金山に進入して来ました。

【2012.11.24 金山~山王】(電車運転士)


「はなぶさ」に集まる仲間たち

 ここは名鉄・東海道本線・中央本線と3本の路線が並行し、列車は次から次へとやって来て、飽きることがありません。調子に乗ってバシャバシャ撮っているとデジカメのメディアの消費量が予想以上に多く、予備を持って行った方が得策かと思います。東海道本線をEF210の長大貨物列車が走って行きます。東海道本線はアングルとビームの位置関係から望遠で引っ張ってみました。

【2012.11.24 金山~尾頭橋】(電車運転士)


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 展望室の反対側は中央本線が何とか撮ることができます。春日井からの2087列車が金山手前のカーブを曲がってきます。8両が限度なので、編成の長い貨物列車は後部が切れてしまいますが、おまけの感じで撮ったということで割り切りました。

【2012.11.24 金山~鶴舞】(電車運転士)


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 昨シーズン、81列車と5875列車は跨線橋の上から撮りましたので、今回はそのまま居座ることにしました。81列車は土曜日なのになぜか運休、こうなると後続の5875列車も運休かと不安がよぎりましたが、国鉄色先頭でやって来ました。こんなことなら下で撮ればよかったかなと少し気持ちがぐらついてしまいました。

【2012.11.24 名古屋~金山】(電車運転士)