202.1980年冬 東北周遊の旅(11号車)1980/3/11 | 「はなぶさ」に集まる仲間たち

202.1980年冬 東北周遊の旅(11号車)1980/3/11

 東北周遊の旅11号車はもう1回津軽鉄道です。津軽鉄道はこの時が初めての訪問でしたが、青森ステーションホテルをベースに2日連続のスケジュールとしていたようです。前夜、青森まで戻った時には吹雪の様相を呈しており、当日の天候が心配されましたが、列車はほぼ定時で運転されていたので、とりあえず奥羽本線の始発列車に乗り込み、津軽鉄道に向かいました。


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 川部で乗り換えた五能線の列車はちょうど沿線の高校の通学列車に当たっており、それぞれの最寄り駅では多くの高校生が下車して行きました。天気は吹雪模様となっていましたが、高校生たちはそれに臆することもなく、いつもどおりの通学風景が展開されていました。

【1980.3.11 林崎】(電車運転士)


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 五所川原に着くと雪は小康状態となっていました。前日の夕方と同じアングルですが、ホームは積雪で真っ白になっており、同じ列車から乗り継いだ女子高生が津軽鉄道の列車に乗り込んで行きます。彼女たちの聖子ちゃんカットのヘアスタイルが懐かしいです。

【1980.3.11 津軽五所川原】(電車運転士)


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 中途半端に雪が溶けていた状態だった田んぼも前夜の積雪で真っ白な雪原に変わっていたため、ストーブ列車は前日と同じポジションで待つことにしました。風が強まり、積もったばかりの雪が巻き上げられ、天気は荒れ模様の雰囲気を漂わせていました。

【1980.3.11 嘉瀬~金木】(電車運転士)


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 風はますます強まり、とうとう地吹雪の状態になってしまいました。強風に巻き上げられた雪が顔に容赦なくたたきつけられ、体感温度は急激に低下、撮影は地吹雪との戦いになってしまいました。

【1980.3.11 嘉瀬~金木】(電車運転士)


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 悪天候に悩まされ、今日は撤収しようかと気持ちが折れそうになりながらも撮影を続けました。地吹雪のひどい時は完全にホワイトアウトの状態となり、どの方向をみても真っ白、方向感覚がなくなってしまうので、平地でも道に迷って凍死してしまうといった状況が理解できました。こんな状態でも津軽鉄道はほぼ定時で運転されており、冬場の地元住民の信頼感は大きかったものと思われます。

【1980.3.11 津軽飯詰~毘沙門】(電車運転士)


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 前日の反省から、この日は気動車の混合列車の走りを撮ることができました。地吹雪が吹き荒れる中を国鉄から払い下げられたキハ11の2両がワムを牽いて走り去って行きました。

【1980.3.11 津軽飯詰~毘沙門】(電車運転士)


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 やっとの思いで津軽飯詰までたどり着き、冷え切った身体を温めるため、しばらく待合室で暖をとりました。寒さには慣れているはずの地元の乗客もあまりの強風に顔を歪めて列車から降りてきました。

【1980.3.11 津軽飯詰】(電車運転士)


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 夕方近くには五所川原まで戻って来ました。沿線での撮影が終わった途端に風は止み、構内は静かな雰囲気に変わっていました。何とも巡り合わせのよくない1日でした。ラッセル車が留置されていましたが、出番はなさそうな雰囲気でした。

【1980.3.11 津軽五所川原】(電車運転士)


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 帰りに弘前に立ち寄ったところ、雪の中、DD16が入換作業に勤しんでいました。東北にはDD16の配置はないものと思っていましたので、入換風景とは言いながらも思わぬ収穫でした。

【1980.3.11 弘前】(電車運転士)


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