【アーカイブス】昭和55年の初詣列車 | 「はなぶさ」に集まる仲間たち

【アーカイブス】昭和55年の初詣列車

 正月ネタということで、出札掛さんから飯田線の初詣列車の写真が紹介されているが、やはりお正月となると、こうした列車が撮影対象となる。昨今は、一時期に比べて初詣列車の設定が減り、また運転されたとしてもマーク等の掲出がされなくなって寂しくなったが、かつてはこうした臨時列車にはさまざまなマークを掲出してアピールに努めていた。

 昭和55年のお正月、いやその前日の大晦日から、こうした列車を求めて徹夜!で撮影に出向いている。まだ、元気だった頃の撮影行をご紹介しよう。


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 まずは豊川行きの「迎春いなり」号。いまでは正月の豊川行き特急自体が無くなってしまったが、当時は「いなり」号として、正月ダイヤ中、時間あたり2本が運転されていた。この「迎春いなり」は豊川稲荷にお籠もりで参拝する人のために運転された列車で、夜遅く発車し、早朝に戻ってきた。確か、2本ほど運転された記憶がある。


 その後、近鉄特急に乗って大阪に向かっている。


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 この頃、近鉄でも名称列車がいくつも運転されていた。せっかくだから、なかなか撮れないものを、とおもって撮りに行ったのが、御所行きの「葛城初日号」。確か、早朝の5時頃に御所に着いたと記憶する。初日号だから、もちろん早朝の運転のみ。さすがにこんな列車を撮っている好き者はいなかった。(^_^;)


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 続いて、国鉄の御所に出て、桜井線の三輪明神行きの初詣列車「三輪号」を撮影している。その後、和歌山線に乗って和歌山市に向かった。


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 次に訪れたのは、和歌山港線の終点、水軒である。ここは1日に2往復しか電車がないという超ローカル線で、なかなか乗るのが大変であった。そこで、近鉄の終夜運転の機会をとらえて、乗車と撮影に来た、というわけ。多分、初詣列車の撮影よりも、この水軒に来ることが一番の目的であったと思う。


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 その後、南海線で住吉に向かう。途中で特急「四国」を撮影。3000系の最後の頃である。


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 そして、もうひとつの目的地、南海(まだ阪堺電鉄ではない)阪堺線の住吉大社の正月輸送である。いまでもそうであるが、正月にはありったけの車輌を出して、初詣客を輸送した。当時は、雲の塗装の全盛期なので、何色もの雲塗装車が写っている。手前の253は元京都市電で、この正月がデビュー直後であった。


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 最後は、天王寺に出て、近鉄南大阪線の「開運号」を撮影しながら、橿原神宮経由で名古屋に戻った。

 このお正月、南大阪線では、復活なったラビットカー塗装車に、この「開運号」のマークをつけて運転するという。(駅長)