198.1980年冬 東北周遊の旅 10号車(津軽鉄道)1980/3/10 | 「はなぶさ」に集まる仲間たち

198.1980年冬 東北周遊の旅 10号車(津軽鉄道)1980/3/10

 1980年冬の東北周遊の旅、まだまだ続きます。今回は津軽鉄道を2回にわたってご紹介します。花輪線の後は青森ステーションホテルを起点に2日連続で津軽鉄道を訪れました。青森ステーションホテルといえば青函連絡船の待合室ですが、クッション付きの長椅子が広いスペースに並んでおり、真冬でも程よく暖房が利いて、駅寝の条件としては最高の部類に入っていました(夜中に鉄道公安官の職務質問はありましたが…)。チェックアウト後は奥羽本線上りのの1番列車に乗り込み、青森→川部→五所川原経由で津軽鉄道入りしました。


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 青森からの1番列車に乗り継ぐと五所川原からの津軽鉄道の接続はダルマストーブが有名な客車列車でした。今でこそ、ストーブ列車は観光の目玉のひとつとなっていますが、この頃は客車の暖房手段として必要不可欠なもので、観光要素はまったくありませんでした。車掌が火加減を確認しながら石炭をくべる姿が見られたので、思わずシャッターを押していました。

【1980.3.10 オハ31車内】(電車運転士)


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 ストーブ列車には五所川原から大勢の高校生が乗車し、かなり混雑していましたが、2つ目の五農校前でほぼ全員が下車し、一転して車内は閑散ムードに変わりました。ひと仕事終えた車掌がダルマストーブのそばで地元乗客のオバサンと談笑していました。何とも長閑な光景です。

【1980.3.10 オハ31車内】(電車運転士)


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 乗車した客車列車は津軽中里から折り返してきますので、走りを撮ろうと嘉瀬で下車し、金木方向の田んぼが開けた地点でスタンバイしました。機関車の次位の客車は電車改造のナハフ1200で、その後にオハ31が続いています。写真ではわかりにくいですが、ダブルルーフの屋根上にダルマストーブの煙突が出ています。オハ31は廃車後1両が芦野公園で保存されていましたが、大規模な修復が行われ、2007(平成19)年から大宮の鉄道博物館入りしています。

【1980.3.10 嘉瀬~金木】(電車運転士)


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 嘉瀬~金木間は田んぼが広がり、晴れれば岩木山が望めるポイントですが、この日はドン曇りで岩木山はどこにあるのかもわからず、仕方なく広がりを意識したアングルで来る列車を撮っていました。寒々とした風景の中をキハ24000型が走って行きます。このところ新たな積雪がなかったのか中途半端な雪原風景となっており、ロケーション的にはイマイチでした。

【1980.3.10 嘉瀬~金木】(電車運転士)


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 天気も悪く、雪の状態もよくなかったので、走りの写真は早々に撤収し、嘉瀬に戻りました。乗り潰しも兼ねて津軽中里行の列車の到着を待ちました。昼間帯の中間駅にもかかわらず結構な数の乗降があり、活気に満ちた光景が見られました。冬場は道路事情が悪くなるため、津軽鉄道が住民の足として重宝されていたことを物語っています。

【1980.3.10 嘉瀬】(電車運転士)


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 終点の津軽中里に向かう前に金木で途中下車しました。金木は太宰治の斜陽館で有名で、沿線では最大の街で乗降も多く、ほぼ終日列車交換が行われ、タブレット交換もあったため、駅員が常駐していました。列車が到着すると待合室から一斉に乗客がホームに上がり、列車に乗り込んで行きます。ダイヤはほぼ終日40分ヘッドとなっており、この手のローカル私鉄としては破格のフリークェンシーが確保されていました。

【1980.3.10 金木】(電車運転士)


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 津軽といえば秋田と並んで美人の産地として有名?でしたが、待合室で寒さをしのいでいると年齢はおそらく30代後半から40代前半とお見受けしましたがが、自分の好みのタイプの女性が改札口を通って行きました。美人の産地と聴いていたものの、なかなか津軽美人にはお目にかかれないでいましたが、この女性を見て、やっぱり津軽は美人の産地だとひとり実感しました。

【1980.3.10 金木】(電車運転士)


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 天気が芳しくなかったのと寒さのため、スナップ的な写真ばかりではいけないと思い、気合を入れて外に出てみました。そんなタイミングを見計らったように急に雪が降り始め、体感温度も下がるばかりの状況になって来ました。国鉄から譲り受けたキハ11が金木駅に到着しました。よく見ると最後部にワムがくっついた混合列車でした。こんな編成なら走りを撮ればよかったと後悔しましたが、後の祭りでした。

【1980.3.10 金木】(電車運転士)


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 金木の駅撮りも程々に切り上げ、終点の津軽中里まで来ました。津軽中里を発車した列車を狙いましたが、この時だけは薄日が差してくれました。キハ24000型は当時の津軽鉄道の主力車両で、国鉄のキハ20に準じたものでしたが、こちらは1段窓となっており、オリジナリティーを主張していました。

【1980.3.10 深郷田~津軽中里】(電車運転士)


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 五所川原からの列車が到着しました。盲腸線の終点にもかかわらず結構な数の降車客がありました。ちょうど下校時間に差し掛かったため、防寒対策を固めたオバサンに混じって高校生が降りてきました。たまたま左の彼女と偶然目が合ってしまい、冷たい笑いと視線を投げ掛けられてしまいました。

【1980.3.10 津軽中里】(電車運転士)


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 ひととおり撮影を終え、五所川原に戻って来た時には夕方になっていました。折り返し津軽中里行となる列車に次々と乗客が乗り込んで行きます。頬かむりをした先頭のオバサンが北国の女性らしいいい味を出してくれました。翌日も津軽鉄道を撮るスケジュールとしていましたので、この後、今宵の宿となる青森ステーションホテルに戻りました。

【1980.3.10 津軽五所川原】(電車運転士)


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 青森まで戻って来たら強風とともに横殴りの雪が舞い、かなりの悪天候となっていました。奥羽本線からの普通客車列車が青森に到着したので、強風に震えながらもバルブで押さえておきました。外は悪天候でしたが、程よく暖房が利いたステーションホテルの中は別世界、翌日の天候に不安を抱きながらも速攻で爆睡状態になったのは言うまでもありません。

【1980.3.10 青森】(電車運転士)


●次の目的地 2日連続の津軽鉄道

●移動行程   青森ステーションホテル連泊→津軽鉄道