180.1980年 東北周遊の旅 4号車(磐越西線非電化区間)1980/3/1 | 「はなぶさ」に集まる仲間たち

180.1980年 東北周遊の旅 4号車(磐越西線非電化区間)1980/3/1

 青森から乗った「津軽2号」を未明の郡山で降り、上野からの夜行「ばんだい11号」を捕まえ、磐越西線の非電化区間に向かいました。今ではC57180の「ばんえつ物語」で常に注目を浴びていますが、当時は客貨ともDD51牽引の列車が中心の地味な路線でした。今でこそ、磐越西線の非電化区間は俯瞰を中心とするさまざまなポイントが開拓されていますが、そんなことは当時は知る由もなく、阿賀野川と磐越西線の組み合わせが手軽に狙える徳沢~豊実をメインの撮影地として訪問しました。


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 会津若松から普通列車に乗り継ぎ、徳沢で下車しました。自分が乗った列車の続行でDD51の貨物列車が来るということで、これを撮ってから撮影ポイントに向かうことにしました。駅長が見送る中、助士がタブレットを投げ込みます。左側の「タシカニ」(列車扱いの際に確認する順番を注意喚起する標記で、タブレット・信号・旅客・荷物の略)の文字はタブレット閉そく区間では一般的に見られた標記でした。

【1980.3.1 徳沢】(電車運転士)


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 貨物列車を撮影後、撮影ポイントを探しながら豊実方面に徒歩鉄を開始しました。途中で上りの客車列車が来る時間となったので、後追いのトラス橋の中というあまりよくない条件でしたが、とりあえず1枚押さえておきました。

【1980.3.1 徳沢~豊実】(電車運転士)


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 さらに進むと阿賀野川の川縁に降りることができるポイントがあったので、DD51の貨物列車を待ちました。微妙に風が吹いていましたが、水鏡も何とか見れる状態を維持してくれました。

【1980.3.1 徳沢~豊実】(電車運転士)


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 少し戻って対岸に渡り、線路を見下ろせるポイントに移動しました。メインのアングルは振り返った反対側から撮る上り列車でしたが、下り列車も撮れないことはありませんでした。DD51の客車列車が静かに通り過ぎて行きました。

【1980.3.1 徳沢~豊実】(電車運転士)


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 この区間は豪雪地帯らしくあちこちにスノーシェッドが点在していました。非電化区間の優等列車である「あがの」をスノーシェッド飛び出しで狙ってみました。静寂な風景の中にキハのエンジン音がこだましていました。

【1980.3.1 徳沢~豊実】(電車運転士)


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 再び来た道に戻り、豊実方面に向かいました。この短い鉄橋は道路から手軽に狙えるこの区間の定番ポイントです。当時でも新緑・紅葉の時期には多くの同業者が集まったようです。静かな山間の雰囲気を期待しましたが、直前になって雪が降り始め、視界が悪くなってしまいました。

【1980.3.1 徳沢~豊実】(電車運転士)


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 雪は止む気配を見せずに降り続きました。何故かもう一度「あがの」を撮ったポイントに戻り、気動車のローカル列車を撮っています。先頭は少数派のキハ23、しかもオレンジツートンでした。この時期はタラコ色への塗り替えの過渡期で、オレンジツートンが貴重になりつつありました。

【1980.3.1 徳沢~豊実】(電車運転士)


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 天候は雪から霙に変わり、服はずぶ濡れ、体感温度も寒くなってきたので、早々に撤収して徳沢に戻りました。この日は高校の卒業式だったようで、卒業証書と花束を抱えた高校生が列車に乗り込んできました。春からはそれぞれの新しい生活が待っていることでしょうから、彼女たちにとってはこれが最後の列車通学になったんでしょうね。

【1980.3.1 徳沢】(電車運転士)


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 郡山まで戻り、下りの「八甲田」を待ちました。その間、磐越西線の客車列車がED77の重連で発車待ちだったので、思わずバルブしてしまいました。

【1980.3.1 郡山】(電車運転士)


●次の目的地  奥中山越え+大湊線・大畑線

●移動行程    郡山→「八甲田」→盛岡→奥中山→野辺地→大湊線・大畑線