82.播但線のDD54(野里界隈) | 「はなぶさ」に集まる仲間たち

82.播但線のDD54(野里界隈)

 播但線のDD54、続いては野里周辺で撮りためた画像をアップします。この当時は野里から徒歩15分くらいのところに住んでいました。姫路から野里までは住宅地の中を走る感じで、走行写真を撮れるポイントはほとんどありませんでしたが、唯一、京口~野里に田んぼが開けたところがあり、鉄道写真の練習の場として活用させてもらいました。自転車で気軽に行けるということもあって、かなりの頻度で放課後鉄や登校前の朝練を実行していました。自分の鉄道写真の原点の場所として足繁く通ったポイントでの記録をご紹介したいと思います。

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 多客期に12系客車で運転されていた臨時「但馬」です。この写真を撮ったのは中学3年生、ちょうど念願の1眼レフを手に入れた頃で、このポイントと山陽本線の御着~姫路の市川橋梁を中心に本格的な鉄活動を開始していました。
【1975年3月22日 京口~野里】(電車運転士)

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 京口~野里のほか、野里駅にも度々足を運びました。夕方の633列車は寺前からのDE10牽引の客車列車と行違いだったので、よく狙いに行きました。DE10の位置がちょっと窮屈な感じですが、DD54の息遣いを間近に感じることができました。
【1975年8月 野里】(電車運転士)

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 夕方の633列車を田植え風景を入れて撮っています。今の時代は機械で一気に植えてしまうのでしょうが、この頃は一家総出といった感じでひとつひとつ手で植える光景が見られました。
【1976年5月 京口~野里】(電車運転士)

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 633列車と野里で交換して来たDE10の客車列車です。寺前までの区間運転の列車はDE10の担当でした。普通列車は客車が主体で、気動車列車の方が少数派といった感じでした。
【1976年5月 京口~野里】(電車運転士)

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 実りの秋の頃の風景です。午後の1692列車は633列車と並んで放課後鉄にはもってこいの列車でした。案山子にも昭和の臭いが感じられます。
【1976年10月 京口~野里】

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 少し冒険をしてハザ掛けの下に潜り込んで1692列車を狙ってみました。DD54を冒険の材料に使ってしまってはもったいなくてバチが当たりそうですが、日常の当たり前のことでしたので、こんなことができたのではないかと思います。
【京口~野里 1976年11月】

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 頻度としては放課後鉄の方が圧倒的に多かったように記憶していますが、雪や霧など特別な天候のときは登校前の朝練にも出かけています。この日は霧が立ち込めており、ひょっとしたら幻想的な写真が撮れるのではないかと思い野里駅に向かったものと思われます。
【1977年3月4日 野里】(電車運転士)

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 朝、目が覚めて外を見ると播州地方には珍しい雪景色となっていました。当然、朝の634列車を撮るべく朝練にスクランブル出動、雪景色とDD54の組み合わせをゲットできました。線路脇に4階建てのアパートが建っており、通路から俯瞰気味に上り列車を撮影することができました。
【1977年3月 京口~野里】(電車運転士)

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 夕方の633列車が野里駅に進入してきました。ちょうど下校・帰宅時間に当たるため、ホームには結構な数の人が列車を待っていました。編成も9両と長く、鉄道が地域輸送の主役だったことを物語っています。
【1978年4月28日 野里】(電車運転士)

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 最後に、野里界隈での写真の集大成として挑戦した写真をご紹介します。野里駅の北方に広峰山という山があり、そこの中腹から野里駅を俯瞰したものです。空気の澄んだ日は姫路の市街地はもちろんですが、遠く播磨灘を望むことができます。晴れるとモロ逆光なので、薄雲りで空気の澄んだ日にしか挑戦できないポイントです。DD54の633列車が到着後、行違いのDE10の客車列車がいいアクセントとなってくれました。
【1978年5月30日 野里】(電車運転士)