◉羽田への緊急着陸不可
日航123便は18:24の異常事態発生後、直ちにスコーク7700(緊急事態)を発信して18:25にはACC(東京航空管制局)にトラブル発生を伝え羽田への帰還を要請した。
その後の交信では緊急事態の具体的内容が把握できず「アンコントロール」とも伝えられたが、地上からの支援としては123便の要請に応じて優先的に緊急着陸できる適切な空港に誘導する義務がある。123便の針路はなかなか定まらなかったが18:35以降は東へ向かった為、交信記録上は機長の要請通り羽田への緊急着陸を許可したものと推察する。しかし当の羽田が緊急着陸の態勢を敷いた形跡が無いため関連事項から検討する。
(下)羽田オペレーションセンター3階に設営された記者会見場の様子 [事故当日のJNNニュースより]
日本航空-渡会広報部長の質疑応答
渡会氏の説明
「対策本部は最初のレーダーから消えたという一報が入ってから自動的に羽田オペレーションセンター内に設置され、その時刻は18時40分過ぎだった」とのこと.
18:40′54″
ACC 「JAL123. Tokyo control. If you read me ident, please.」
[東京コントロールはJAL123便に対して航空機識別コマンドを発信した]
🔘 政府や関係機関の対応
報告書P25.26に対策本部等設置についての記録があるので以下に羅列する。
⚫︎東京航空局救難調整本部(運輸省直轄-先の✴︎羽田オペレーションセンター内)は日航123便の緊急事態をACCから受領した後、ACC及び日航と緊密な連絡を取りながら情報収集を開始した。▷直轄の運輸省と密な連絡を取りAPC(東京アプローチ)を管理下に置いたと考えられる。[設置時刻-18:40過ぎ]
⚫︎運輸省に於いても事故発生後直ちに事務次官を長とする事故対策本部を設置した。[設置時刻-不詳▷上記同様18:40過ぎと推定]
⚫︎政府は事故発生後直ちに運輸大臣を本部長とする日航機事故対策本部を設置し、生存者の救出、遺体の収容に全力を尽くすことを申し合わせ、関係機関との間の連絡を密とすることにした。[設置時刻-文面から墜落後とみられる]
⚫︎警察庁は事故発生後直ちに庁内に「8.12日航機墜落事故対策本部」を設置。[設置時刻-墜落後]
⚫︎防衛庁は東京航空局救難調整本部から18:57頃レーダーから消えたの報を受けた後に緊急事態と認識し、19:01 ✴︎対領空侵犯措置として地上待機中の航空機を2機発進させた。[初動時刻-レーダーロスト後...]
✴︎対領空侵犯措置-防衛白書より
「わが国の領空を侵犯する怖れのある航空機や領空を侵犯した外国の航空機に対して要撃機を発進させ対応する措置」 123便に対して何故..
以上から羽田への指示系統は端的に
運輸省 ⇆ 東京航空局救難調整本部(羽田オペレーションセンター内) ⇆ APC(東京アプローチ)になったと推察する。
[注] 但し. 横田管制空域を飛ぶ航空機に対する管制権は横田基地にある
🔳 羽田が123便の受け入れ態勢を具体的に整えた形跡はあるのか否か
▷報告書では地上からの支援を概ね適切と評価したが、特に重要な緊急着陸の受け入れ態勢については一切触れていない。この件はその後の報道を調べても全く見当たらなかった。緊急事態を宣言した航空機への対応として何処に着陸予定だったのか、どのような態勢を敷いたのか。後々になっても不詳というのは例を見ない。
JA8119は123便の直前に366便として福岡→羽田をフライトしており、これに山下運輸大臣(その後政府の日航機事故対策本部長に就任)が搭乗していたので三光汽船の会社更生法適応に関する取材のため羽田には報道陣が多数詰めかけていた。しかし羽田の離着陸制限や駐機場からの退避などの慌ただしい様子や混乱の様子は報道されていない。
よって別の視点や記録を判断材料とする。
🔘 先ず、機長は羽田に帰還したいという意思をACCに明確に伝えた。その通信記録を以下に記す。
⚫︎18:25′ 機長「Ah, TOKYO, request turn back immediate..エー trouble. request turn back to HANEDA」
⚫︎18:31′ 機長「Ah, negative.. Request back to HANEDA」
⚫︎18:47′機長「Ah, request radar vector to HANEDA or KISARAZU」
✴︎機長はACCに羽田へのレーダー誘導を要請した。これでいよいよ羽田への緊急着陸が現実的になった。
[航空法第75条から、機長は急迫した危難が生じた場合. 乗員乗客及び地上.海上に人的被害を極力発生させないように努める義務がある。よって最良の選択として羽田への緊急着陸に臨んだものと推察する]
これに対しACCはCVR文字起こし上、
「Roger, 了解しました. ランウェイ22なのでヘディング090をキープしてください」
と即答したことになっているが、APCに事前連絡の上調整してから応答したはずである。
よってACCは東京航空局の管理下となったであろうAPCからB滑走路22に着陸可能との情報を得て123便に伝えたことになる。
🔘 検討事項
18:35頃に123便が針路を東に向けた時点で羽田に到達する予想時刻は18:50〜19:20くらいと推定できるが、その時間帯の羽田は緊急着陸可能だったのか否か…
■ 流出CVR音声から判る羽田着陸予定機
流出CVRで聴き取れるACCと他機との交信内容を整頓すると、関東南Aセクター内で当該時間帯に羽田に向かったとみられる旅客機は計6機あった。18:42以降. 周波数123.7MHzを123便専用として他機との交信を134.0MHzに切り換えてからの音声はごく一部となる。
以下に交信記録の一部を挙げる。①~⑥
[注] SPENCER(現SPENS)は航空路上の位置情報(ウェイポイント)のことで. OSHIMAの東22kmに位置する.
18:33′
① ACC→東亜国内航空996便(徳島.遅発→羽田)
「東亜国内航空996便, 高度16000ftでSPENCERを通過して下さい」
18:42′
--混線--
② 全日空684便(広島→羽田19:20)
「東京コントロール, 全日空684便. 33000ftを維持しています」
18:46′
③ ACC→全日空146便(不詳-146便は日本近距離航空. 対馬→福岡なので便名違い)
「了解, 降下して大島を通過しSPENCERで高度16000ftに位置して下さい」
18:54′
④ ACC→全日空36便 (大阪→羽田19:00)
「全日空36便, 東京アプローチに周波数119.1MHzでコンタクトして下さい」
18:54′
⑤ ACC→東亜国内航空364便(長崎→羽田19:10)
「東亜国内航空364便, 降下して高度16000ftを維持し、SPENCERを高度16000ftで通過して下さい」
18:56′
⑥ ACC→全日空592便(松山.遅発→羽田)
「全日空592便, 降下してSPENCERを高度16000ftで通過して下さい」
その他. 羽田着便
7.日航518便(千歳→羽田19:05)
8.東亜国内航空140便(釧路→羽田19:05)
9.全日空868便(函館→羽田19:05)
10.東亜国内航空228便(三沢→羽田19:15)
11.全日空176便(米子→羽田19:15)
12. 全日空698便(山口宇部→羽田19:00)
13.日航370便(福岡→羽田19:10)
14.全日空90便(沖縄→羽田19:00)
(下)1985年頃 東京国際空港(羽田)
🔲 結果と考察
ACC(東京航空管制局)は羽田に向かう他の旅客機に対して離着陸制限や封鎖等の注意喚起はしなかった。仮にも123便が羽田に進行中にACCがそのまま全機をAPC(東京アプローチ)に移管させたなら、羽田には次々と高度を下げつつ接近する機が集結して大変危険な状況になる。APCは123便が接近中と判っていればこれを最優先し予めACCにその旨を通達したであろう。
また航空史上の大惨事にも拘らず、緊急事態を発信した123便の緊急着陸の備えに関する報告と記録、及び報道は皆無であった。
◉これらの状況から、羽田は当初から123便を受け入れる予定は無く緊急着陸に備える態勢は全く敷いていなかったと判断できる。
18:55 APC 「JAL123, こちらの方は. もうレディになっております. なお横田と調整して横田ランディングもアベイラブルとなっております」
▷明らかに羽田には戻らないと判ってからの着陸許可は建前にしかみえない.
離着陸機と駐機で混雑する羽田のB滑走路22に着陸可能という情報は非現実的であり偽情報の疑念を持つ。
緊急着陸は他の機に優先して許可されるものでAPCには羽田への緊急着陸を拒否する理由はなく、運輸省もまた民間.軍用を問わず最寄りの最適な飛行場を緊急着陸用に確保しなければならないので不可とは出来ないだろう。
運輸省と自衛隊基地及び横田基地に上意下達を徹底できる機関は極めて限定される。