はじめに
2021年10月17日
この日は私にとって忘れられない衝撃の1日となった。日本航空123便墜落事故の調査をするうちに、縁あって連絡を取り合っていたY氏から非常に重大な内容の資料を託されたのである。資料はPDF化したデータを3つに分けてiCloudメールで送って頂いた。
時は1985年8月12日
日本航空123便に非常事態が発生してから直ちにアラート発進したF-4EJファントム.2機の編隊長. 阿部典之元一等空尉の105頁にわたる大変貴重な記録である。阿部氏は記録を完成させたその日のうちに旧知のY氏に託し、Y氏によって長年に渡り厳重に保管されていたのである。
記録【彷徨の空】阿部 典之
私は読み切った時に強い衝撃と共に言い様のない感覚を持った。阿部氏はこの記録を作成中に、内閣情報調査室の差し金により濡れ衣を着せられて刑務所に収監されている。そして1年3ヶ月後に出所してから記録を完成させて、2010年10月14日付でY氏に託したのである。当然ながら内調の検閲を受けてカモフラージュされたものとして真偽を読み取らなければならない。ストーリーをそのまま鵜呑みにせず、阿部氏が内調の検閲をすり抜けるよう仕込んだワードやニュアンスを汲み取らなければならない。私はプリントしてファイルにした手記を何度も何度も繰り返し読んだ。
国家として漏洩した方が都合の良い内容さえ強調されていれば、大幅には歪曲できない以上それ以外の事柄には事実が幾つも残されている可能性がある。それらを踏まえた上で、個人的な内容や墜落事故に直接関与しない部分を省略し、要点を押さえて出来るだけ忠実に書き下ろしてみた。
[ 後日談として、私が手記を手にして2週間経った頃であろうか、やっと気付いたキーワードを幾つかY氏に伝えたところ不意に阿部氏と面会させたいという薦めを受けたのである。しかし諸々の事情や妨害により実現しなかったことが残念でならない ]
あとがきの一節に「最後に、この記録で再び犠牲者を出すのは本意ではない」とある。
だが阿部氏は公表する意思がなければ完成させるに至らなかったであろうし、それを私に託してくださったY氏も同様に公表を望んでいただろうと私は確信していた。しかし面会の話が立ち消えてからは連絡が途絶え、月日だけが過ぎて行ったのである。
あれから1年6ヶ月経過した今日、何と久し振りにY氏からメールのお返事を頂き、Y氏. 阿部典之氏共々手記の公表を快諾してくださったのである。私は迷うことなく決意した。これはパンドラの箱を開ける鍵になるのである。
2023年4月28日 黒田 匠
【編隊長の実録】
■ 第1章
昭和60年8月12日、茨城県南部に位置する航空自衛隊の百里基地は蒸し暑かった一日が終わろうとしていた。
阿部が待機室の時計に目をやると18時を10分程過ぎた頃だった。今日はアラート待機で深夜0時までの勤務である。
アラート待機とは、領空侵犯や海上保安庁からの要請による災害等に対応して、緊急発進する為に待機することである。一般的にはスクランブル待機とも言われる。
通常2機で待機し、使用機はF-4EJ戦闘機、通常ファントムと呼ばれる全天候型攻撃戦闘機である。
待機室の扇風機はフル活動していたが暑さは収まらず、ここにもクーラーを設置して欲しいと思ったその時、突然アラートブザーが鳴り続けて当直士官の電話がけたたましく鳴った。
「日航機がスコーク7700を発信. ポジション相模湾上空. アラート発進. 1825」
このアラートブザーが阿部、谷口、白鳥、北沢にとって生涯忘れ得ぬ、またこれから直面する悪夢を知らせるものとなった。
阿部典之: 北海道出身
百里基地第305飛行隊. 編隊長. 1等空尉
谷口: 長野県出身
この305飛行隊で唯一阿部の同期で共に1等空尉。防衛大学校時代からの旧知。何故か編隊長試験を受けず2番機の位置である。
白鳥: 千葉県出身. 2等空尉
阿部が絶大な信頼を置くレーダーマン。
北沢: 東京都出身. 3等空尉
元々パイロットを目指していたが操縦士の適正試験に受からず、それでも戦闘機乗りの夢を捨てきれずにレーダーマンの試験に合格して谷口のバックシートに座る。
4人でアラートハンガーを駆けながら、「遭難捜索で自分達が何故いきなり? 海上保安庁は何をやっているんだ」「ソ連じゃないのに何故我々が」と各々いぶかしげに思いながらもコクピットに収まった。
発進準備を整えながら誘導路をランウェイエンドに向かい、阿部はパワーレバーをMAXに入れた。左後ろに谷口機が続く。アラートブザーが鳴ってからこの3分間、いつも通りのアラート発進である。
ただ違うのは目標はソ連機ではなく、乗員.乗客500人以上を乗せたB747ジャンボ機だということである。その人数の連絡を受けた阿部の背中に冷たい汗が流れた。最悪でも海に着水して欲しいと願いながら機首を南西に向けた。
百里基地を離陸してから間もなく白鳥がレーダーでJAL機を捉えた。まだ無事にフライトしているのである。ただ日没が近く薄暗くなってきているので目視で機影を捉えるのが厳しくなってきていた。
離陸から7分後、白鳥の誘導でJAL機の青と赤のチップライト(翼端灯) を目視で確認できた。機番号JA8119、連絡を受けた機番号と一致した。阿部は基地にJAL機発見の報告をした後、事前に確認してある周波数に合わせて呼び掛けた。
「JAPAN AIR. This is Japan air self-defense force. ABE and TANIGUCHI.
Our position are just your after. Please tell us your damaging. And Japanese please.」
「自衛隊機、こちらはJAL123便、機長の高濱です。緊急対応に感謝します。10分前に後方でドーンという音がして、機内は一時減圧状態になりましたが今はノーマスクで大丈夫です。乗務員からR5ドア破損との連絡がありましたが未確認です。外部から状況確認願います。」
「了解しました」
阿部と谷口は左右に分かれてサーチライトを照らしながら機体確認に入った。
信じられないことに垂直尾翼の2/3が引きちぎられたように無くなっていた。よくこの状態で飛んでいられるものだと唖然としながら高濱機長に報告した。
機長はかなり動揺したが、直ぐに立ち直り緊急着陸の誘導をリクエストしてきた。
この時既に白鳥が緊急着陸の飛行場を確認しており、東京都福生市にある米軍の横田基地に決定していた。
[注記]
何故か羽田への緊急着陸に関する記述はなかった.
続く