EPR(エンジン出力)からみた大月旋回の解析


日航123便は山梨県上空を北東に進みながら.18:39′36″に突然エンジン出力: EPRを平均1.05アイドル近くまで絞って緩やかに右旋回を始めた

エンジン圧力比EPRは排気口と吸気口の圧力比で表される

そして18:40′05″から急激にエンジン出力:EPRを離陸の加速時より高い平均1.49まで上げて加速し. 東に変針しながらギアダウンを完了させた。この際. 出力を急激に上げたにも拘らず機体の姿勢は安定して迎え角に変化は生じずフゴイドも減少している。そして東東南東南東へと右旋回しながら降下していった。

ところが18: 42′20″に突然EPRを約1.1のスローに落として急減速しながら更に降下を早めるように360°のループ状旋回の後半を回ったのである。

フライトデータ参照とはいえ、とても理解し難い飛行である。


このフライトデータ.飛行経路図上の不可解な大月市上空でのループ状旋回は偶然そうなったのではなかろう。2分15秒間のエンジン全開区間の延長線上には羽田(東京国際空港)があった。

フライトデータを分析すれば. そこには羽田に帰還するのだという強い意志が表れている。

程なく羽田着陸不可となって横田へ変更するよう指示されたであろうが為に、かなり無理な操作を強いられた飛行経路にみえてならない。


[補足]

垂直尾翼の損壊と油圧喪失、また全機空力中心の前方移動が重心の前方移動を上回った為の制御困難な飛行であったが、試行錯誤の末に18: 35以降は徐々にフゴイドと縦揺れは収束していった。

更に18:39′~40′にギアダウンしたことにより縦揺れモーメントが安定し、出力アップによる機首上がりを抑制できたと考えられる。

123便は明確な目的意識を持って操縦した結果、大月旋回の航跡になったと推測される


[追記]

✴︎着陸可となった羽田のB滑走路22は磁方位220°(南西)からの着陸になり、全長2500mと手負のジャンボ機には短かった。オーバーランするとその先は東京湾である。滑走路への着陸を断念した場合の着水に備えて救命胴衣の着用を指示したものと考えられる。

[補足]

報告書.付録7.事故機の飛行シュミレーション試験結果

✴︎教官クラスのパイロット達は9回のテスト飛行中. 8回着水を選択した。乗員乗客と地上海上の人的被害を最小限に抑えるには、東京湾へ着水する選択も十分あったであろう。


[下]1985年頃の東京国際空港