8年前の3月11日、確か金曜日だったかな?

当時わたしは某スーパー〇〇〇店の店長をしていたのですが、金曜日は公休日でその時刻はモッチを車に乗せてお出かけ、、、近くのコンビニ前の交差点を右折するために信号待ちしていたその時に激しい揺れが、それまでに経験したことの無い嫌な感じの揺れだったと記憶しています。

即お家に帰って自分のお店に電話、、、出た担当者に状況を確認しようとしたら


「何かあったんですか?」


後から確認したところによると、〇〇〇という場所は地盤が硬いらしく、あの時も揺れはしたけど、、、っていう程度だったらしい。


とはいえ、立場的には自分の目で確認する必要もあったのでお店へ向かいました。

モッチはお留守番、、、余震も結構激しかったので心配だったのですが、、、


30分程でお店に着いて状況確認して本社に業務連絡して一時間ほどで帰路についたのですが、帰りは大渋滞、、、橋の上での渋滞中の余震は流石に怖かった、、、んでもって、3時間以上かかってようやく帰宅


都内にいた人達はもっと大変だった、という事は後から知りました。同じ会社の人事担当がふたり、九段下にある某会館(揺れた時に天井が落ちたらしい、、、)にいて、ひとりは武蔵村山市、もうひとりは女子ですが、相模原市の自宅まで歩いて帰った、、、


そしてテレビニュースでの津波、火災、、、


その後の計画停電、ガソリン不足、風評被害、あらゆる物資不足、、、


私のお店では問題となるような大きな混乱にはならなかったのですが、他のお店では、、、


混乱こそ少なかった私のお店でも、例えばお水、、、100ケース発注しても店着したのは2ケース(48本)だけで、まぁ「おひとり様一本」という限定でも瞬殺、、、そんな中で私に詰め寄り

「0歳児の孫がいて水が必要だから全部よこせ!」

という人、、、気持ちは分かるけど、0歳児は貴方のお孫さんだけでは無い、、、とか、、、


でも、そんなこんなも被災地の状況からしたら、、、


なのに未だに5万人以上の人が避難生活をしているという、、、






あれから8年、、、あの頃まだ家族はみんな元気だったなあ。連れ合い、母、父、、、今ではみんないなくなっちゃった、、、短かったような長かったようなそんな年月、、、


あの時3歳だったモッチが今年12歳、そしてわたし、、、早く社会復帰したいけど、、、そして、少しづつ一歩でもいいから前に進みたい、、、


いろいろあったしあるけれど、だけれども今わたしは幸せだなぁって感じてます。そしてそんな中、あの日あの時の、そしてそれ以降の状況を決して忘れてはいけないと、、、


何も出来ないけれど少なくとも忘れない努力くらいはしないとって思っています、、、