小さな商店街のお店に生まれ、
共働きの両親と祖父母に囲まれ大切に育てられた。
特に不自由な暮らしを感じずに十代を過ごした。
学校で嫌なことがあっても相談できる人、逃げる居場所があると幼心にも感じていたのだろう。
何度か辛い時期もあったものの家族に助けられ乗り越えてこれた。

 

ただ、元々の性格なのか、
社会や一部大人に対する嫌悪感が人一倍強く、それへの反発の手段が僕にとって音楽だった。

 

言葉でうまく伝えられないし、
知識の剣を振りかざす能力も持ち合わせてなかったけれど、
詞を歌にして音で伝える自信(思い込み)はあった。

中学から作詞作曲を始め、高校からバンドを組んだ。
しかし、なかなかメンバーの安定がせず、大学に入った理由の大部分が時間を買うためだった。
もちろんそんな理由で入ったから、1年しないうちに、そこにいる理由がわからず、
気づけば教科書やノートは落書きだらけ。

 

今思えば、その落書きがこの道に入るきっかけになったのだった。

転職は3年半で3回。

 

根っからの飽きっぽい性格(別の言い方では粘り強さがない)と、
強い思い込み(勘違いと言われる方が多い)で、
「もうここはOK!次の段階へいけばもっと良くなれる」と思っては転職していた。
先行って話したいと思うが、独立の理由はただひとつ。
その時、子どもが2才で一緒にいたくていたくて仕方がなく、その欲望を抑えきれず退職。
気がつけば起業・独立という言葉でカテゴライズされる身分になっていたというわけだ。

 

今思い返すと、
僕がやってきた3社の業種は自分で起業した業種とは少し異なっていて、
起業してはじめて飛び込んだ業種(デザイン業)だった。
ゾクゾクっとするけど、ワクワクの方が大きかった。

だからいまだに失敗をしてから作戦を考えたり、
出来る!と言ってから死ぬ気で調べたり挑戦することを繰り返しているが、
それが楽しいし、自分の会社が成長している気になれる。
少し大げさに例えれば、当時はドラクエでレベルが低いのにどんどん強いモンスターのいる場所へ進んで、
瀕死の状態になっていた感じだ。

 

現在の話をする前に、
まずは社会人になる前のフリーター時代。
そのまた前の大学時代から話をしていこうと思う。

26才フリーターで結婚→就職・転職3回→29才起業→30才会社設立…。
これが3年半の僕の履歴書。

 

大学在学中からミュージシャンを目指しをながら、毎朝5時に起きて、自宅から電車で1時間かけてパン屋でアルバイトをしていた。

そこはデパートの地下1階で窓がなかった。
天気が良くても悪くても、朝でも昼でも時間の感覚はなく、唯一時間を把握できるのは、分刻みに決められた製造工程。今、どのパンを作っているかでだいたいの時間が把握できた。そんな感覚さえ身に付いてしまうくらいアルバイトを続けていたのかもしれない。

昼休みはこのデパートの8階社員食堂で自分で作った最高にまずいおにぎりを食べていたが、同じデパートで綺麗な格好をして働く服売場の人たちは、いつも僕が近づくのを嫌がっているように見えた。

どうやら粉っぽいらしい。

 

腹六分で8階の社員食堂からまた地下1階までエレベーターで降りていく。
「いつか地下を脱してやる。。。」
「景色のいいビルの上層階で、きれいな服を着て仕事をしてやる。。。」
そんな思いをいつもほんのり思っていた。
ほんのり…だったけれど。

 

ミュージシャンを目指しながらも、その頃はほとんどがバイトか自宅引きこもり。
1週間のうち、3日はフリーター、3日はニート、1日はスタジオ練習。
(もちろん、作曲や楽器の練習はしていた。)
そんな暮らしをこの頃はしていた。

起業、創業・・・。

そんな言葉、知る由もなかった。

むしろ頭の中はいつもデビューという言葉が飛び交っていた。

限られた時間と
限られた色数の中で
読んだ文章をイメージにしていく必要があった。

ひとつひとつのアクシデントに
動揺している場合じゃない、
いや絵の具が出ない、
フタが開かないなんて、
絵を描く時はよくある事だ、
アクシデントなんかじゃない。

僕は頭に出来上がったイメージを
手を通して
筆を通して
描きまくった。

筆は久しぶりだったが、
やはり思ったように描けない。
筆さえなければもっもイメージ通りの
絵が描けるのに…。

そんな事を考えながら
描いた。

フタの開かない絵の具を反対側から
破って手にぐちゃっと付いた。
ポケットティッシュが
机の上に山を作った。

描く画用紙が大きすぎる。

そのとき、
名前を呼ばれた!

面接の順番が回って来た。

僕は描きかけのこの絵と
数少ない過去の作品の入った
カバンを持って
部屋を移動した。
2次試験は
文章を読んでそこからイメージする
絵を好きなように描いてよい試験。

この自由さは
僕の得意なジャンルだ!
ここでさっきの分も取り戻さなければ。

文章を読み終わったあと、
早速鉛筆で下書きに入った。
あれ?
描けない。
鉛筆の芯が減って描けない!
残りの鉛筆を取り出し、
比較的、協力的な鉛筆を見つけ出し
湧き出たイメージが溶けてなくなる前に描き続けた。

イメージが変形し、溶け変わり切った頃、あの協力的な鉛筆は芯を無くし、
鉛筆機能不全症を患った。

その子と引き替えに
カバンから絵の具を出した。

中学生の美術の時間に使っていた
ポスターカラーと、ボロボロの水彩絵具。箱には6年3組と書いてある。
途中で絵の具がなくなったらという、自分の中で最大の危機意識の上で判断した結果だった。

この2つの箱のフタを開け、
カチンコチンに固まった筆を2つ出した。

その筆を水につけながら、
ポスターカラーの赤を取り出した。

あれ、
固い…。

フタがあかない…

僕は少し焦って水に漬けたりしてみたが、どうにもあかない。

まずい!

とりあえず水彩絵具の赤はどうかと、視線を変えたその先には、
スカスカの箱に白と、黒、黄色とオレンジの絵の具がぐちゃぐちゃになって横たわっていた。

彼らは何開けてんだよ、って顔で
僕の動揺した表情を見るなり、
ふっと笑って顔を背けた…
デッサンの試験がはじまり、
数秒で感じた。

描きづらい、
なんでこの机は斜めなんだ。
普段水平の机で、画用紙に手を置いて描いている僕にとって、
完全にアウェイだった。

手を置いて描けないからか、
まともに直線も描けない。

僕の頭の中は目の前の
白紙の画用紙と同じように真っ白になっていった。

それでも描かなければならない。

隣でさささっと足を組みながら慣れた素振りで描く受験生を視界の端から追い出そうとしながら、僕は描いて、
描いて、
描いた。



試験も後半に差し掛かった頃、
手を止め、自分の作品を離れて見た。

下手くそだ…。
歪んでるし、
質感も全然出ていない。

斜めの机のせいじゃない、
描いたことのないモチーフのせいでもない、
ただデッサンが下手なんだ。

隣の人がちらっと僕の絵を見た気がした。
僕は縮こまったからだ全身を使って隠したかった。

どうしてこんな試験で合否を決めるんだ?

そんな言葉が頭をよぎったとき、
「やめ!」
の合図が教室に響いた。

最低だ…。
数本の鉛筆はほとんど芯がなくなり、
ひーひーと悲鳴を上げていた。

僕は道具が少ないからか、
片付けも早く一番で教室を出た。

唯一、ありがたかったのは
描いた作品をひっくり返して
提出することだった。

そして午後、
2次試験が始まった。

実技1はデッサンの試験。

この傾いている机は何?
席に着いて目の前にあったものは、ドラマで見た事のある建築家が設計図を描くような斜めの机だった。

普段、水平な机の上で描いている僕にとって、一つ目の難関を突きつけられた。

僕は奮い立っていた心に少しかすり傷を負ったのを感じながら、カバンからトンボの鉛筆数本とプラスチック消しゴムを出した。

隣の人を横目で見ると、
小型のプラスチックケースに大量の鉛筆が入っていた。
僕は二度見をしてしまった。
しかも見た事のない鉛筆メーカー。
見るからに上手く描けそうな鉛筆、そして複数の形の異なる消しゴムに圧倒されてしまった。

間違っていたのかも。
ここは自分のような人間の入れるようなところじゃないのかも。。。
そんな想いを頭をよぎったとき、
あの言葉たちが僕の痙攣する心をめがけて飛んできた。
「好きなだけじゃ、入れないよ」
「やめときな」

僕の心に突き刺さった。

それはまるで、隣の人が大量に持ってきたぴんぴんに削られた鉛筆に刺された気分だった。

そんなボロボロで戦意喪失になった目線の先には、
トタンやステンレスの入れ物など、
質感の違うモチーフたちが置かれていた。
僕は彼らにも指を差してケラケラ笑われているようで、あまり直視できなかった。

試験官の説明が終わり、
はじめの合図が耳に入った。

僕は鉛筆を持った。
20歳にして初めての本気受験。

高校、大学と真っ向勝負の受験から
逃げてきた僕だったけれど、
初めて自らこの勝負に手をあげるとは思ってもみなかった。

僕は中学の美術の時間に使っていた絵の具セットを久々に出して鞄にいれた。
また、デッサンに使う3本のトンボ鉛筆を鉛筆削りでとんがらしてプラスチック消しゴムと一緒にいれ、日大芸術学部のある江古田へ向かった。

「日芸?
それは厳しいなぁ。
好きだけじゃ行けないからね」

「あそこは無理でしょ。
いく人は高1から専門の予備校に言ってるよ」

「やめときな!
そんな、甘くないんだから」

高校時代、
なんとなく名前は知っていて、
なんとなく面白そうだと思っていた日芸。
大学になるまで何度が口に出したことがあったが、先生や人生の先輩たちからは上記の様な言葉をもらい、一蹴された経験があった。
もちろんなんとなく程度の関心度だったため、あぁ難しいのか、じゃあ無理だなと、その度に自分自身の思いをオーバーヘッドしていた。

それでも今、目の前には
なんとなく行きたいなと想い描いていた大学があったのだった。

僕は一階にある実技1の試験会場へ向かった。
そこにはすでに10数人の受験生が、デッサンの準備をしていた。

この後、僕は席に座るなりまずひとつめのショックを受けることになったのだった。

「大学かえたいんだけど。」

夕飯を食べてリビングでくつろいでいる父に、出来るだけ自然にいつもの口調で話しかけた。

さすがに驚いてはいたが、特に反対する気配もなく了承を得た。
大学を辞めるのではないし、入学費は自分で払うと言ったのでそこまで反対する理由もないと思う。
何はともあれ受かったらの話なのだ。
「現実はあまくない」
が、口癖の父から察するに
特殊な大学故、簡単ではないと思ったのだと思う。


その後、母にも伝えにいったが、
母は絵が好きでうまかったし、
特に反対されなかった。

というわけで、
両親の反対を押し切って、
陰で夜な夜な隠れて絵を描いて、
受験する。というような
ドラマチックな話にはならなかった。

ただ、今練習しているデッサンや絵を
見せる事はなかった。
見せられなかった。

それは一番自分が分かっていた。
〝クラスの中で絵が上手いレベル〟
ここから抜け出せないでいた。

今思えば受験を決めてからは
描く練習はしていたが、
上手い人の絵や色々な作品を
ほとんど見ないでいた。

猪突猛進
こんなデッサンを描きたい
こんな絵を描きたい
そんな事を忘れ、
ただただ描いていた。

そして気づけば、
受験は明日から手招きしていた…。