ブログって、下書きした時間でアップされるんですかね?おことです
自分の思考の整理や記録のためにblogを始めました。
母親のことはもちろん嫌いだったけど。自分の生き辛さが母親問題と知ったときは驚きとともにそうだったんだ、と安心さえしたなぁ。
子供の頃お母さんが死んでも悲しくないって思ってたんだよね。今もだけど。それで、何で自分はそうなんだろう??普通みんなお母さんが死ぬのは悲しいよね??私どこかおかしい??って悶々と考えてた。母親の方がおかしいって気付けた時は腑に落ちたよね。
今回はうちのお母さんのゴミ発言をまとめたいと思います。まぁ、非ダイヤのゴミ価値観を、娘のためを思って色々教えてくれた訳です。それを私は長い間握ってた。いきます。
「うちはそれなりの家系だから」
「やっと男の子が産まれた」←弟ね
「結婚相手を見つける為に良い会社に入らないと、それなりの人には出会えないよ」
「生活水準を下げることは難しいから稼げる人をみつけないとね」
「夫の貰ってくる給料のありがたみを知るために数年で良いから働きなさい」
百貨店の店員さんの事を小声で「ああいう立ち仕事は給料が低いんだよ、対した仕事じゃないよ」
「あんたは私の子供なんだから。私が上であんたが下!!!自分を何様だと思ってるの!?」
中学校に馴染めず(早く老衰したい)と発言した私に向かって「あなたにいくらかけてると思ってるの?」
「最近お父さんの事いじめてるんだ。」
「私、魚のコゲを食べて癌になって死のうと思う」これは小学生位の頃かな
「いまお父さんの会社が大変で給料がこれだけなの…」と通帳を見せられる。中学生だった私は相場が分からないのでとりあえず恐怖だけ感じる。
「スーパーの店員にイチャモン付けるのが楽しい」
「あなたが専業主婦になれなくて残念」
長女が産まれたときの第一声「どう?二重?」
…え、やば。ちょっと思い出しただけでもかなりやばい人ですね
ゴミ価値観と、それによる謎発言。でもお母さんの価値観、私はずっと信じてたよ。何もしたくないけど、大手企業の一般事務職についたよ。もちろん結婚したら辞めるつもりだったよ。思春期は二重幅で死ぬほど悩んだよ。自分の子の性別が女って知ったとき認められなかったよ。
癌になって死ぬから、はお父さんへの当て付け。それもこれも母親は余裕の無い人だったのです。また今度掘り下げます。ちなみにうちは何の家系でもありません(爆笑)途絶えても問題ナシ。なにか自分が特別な存在と思わないと不安だったんだよね。私はそれを思いっきり引き継いで成長した。あと、なんかお金の不安が多いよね!(認知症になったらお金に執着しそうでやだなー笑)
それから子供の時にされて嫌だったことは、やっぱり不機嫌に勉強を教わったことかなぁ
ブチギレながら教えてくれて、本当に勉強嫌いになりましたぁぁ![]()
ただ正直、具体的に覚えてる事は大きくなってからの事が多くて、昔のことはモヤッとして思い出せないんだよね。それでも小学校高学年にはもう生き辛かった。
結婚後、旦那と一緒にいるときに、急に母親が想い出話しを楽しそうに笑いながら話し出したことがあるんだけど、その内容が、
「おことが2歳の時に何か言うことを聞かなかったから、全裸にして玄関から締め出したことある!裸ならどこにも行かないかな〜と思ってwww」
は?
夫と私はドン引きでした。それって30年前なら許されるの?誰か教えて(笑)全然覚えてないけど、他にも虐待まがいの事を受けたのでは?と推測します![]()
母親は外向きにはとても社交的で明るい性格に見えます。私みたいな陰キャではなく人生楽しんでそうな感じに見えたので、あんまりお母さん自身が問題と思わなかった。私は子供の頃は大人しくて積極性のない子供だったので、母親からしたらイライラしたり、こんなんで大丈夫⁉︎と焦ったりしたんじゃないかな。性格が違うので子供を理解しずらかったのかも。
そんな母親も不安で不安で生きてたんだな、と今では理解ができる。母は不安が高じて鬱にもなり、その時は支離滅裂な理論を繰り広げて○にたいって言ってた。社会人始めで自分の事でいっぱいいっぱいだった私は(めんどくさ。)と冷めた目で見てた。
いまでも母親と会うとイライラして喧嘩しそうになる
まだ母親をクソって認めきれていないんだね。でも今回のブログで言語化したことでもクソの認識が前進したように思います(笑)
私もダイヤモンド思い出さなかったら同じように娘たちに疎まれると思う。
お母さん=自分。
確実に私の娘たちに引き継がれていく。