僕には昔、趣味というものがなかった。

でも今はいろいろやる。

最近増えた趣味のひとつが、写真だ。

趣味に没頭している時は「未来」を考えない。そこがいい。







趣味がなかった頃の僕は、
「これが何の役に立つか」とか「これをやって意味があるか」ということばかり考えていたように思う。


行動のその先を見据えて、役に立ちそうになければ無駄だと決めつけていたかもしれない。


映画を観る、本を読む、という行動にも、
自分の演技の向上のためとか、演出家や先輩と話が合うようにとか、
何かそんな目的が常にあったと思う。
そして実際、役に立ってきた。



でも近頃はそんな、目的ありきの行動にうんざりする。


やることなすことすべてにそんな目的を付けていると、
目の前のものが本当には見えなくなり、
心から何かを好きになるということがなくなってくる。









さいきんは、
「いま、これをしているのが楽しい」を大事にしたくなった。







皿まわしも趣味のひとつに加わったが、僕は皿まわしの未来なんて考えない。

ただ皿をまわしているのが楽しいだけだ。

もっといろんな技をできるようになって楽しみたいとは思うけど、別に趣味の域を出たいとは思わない。

皿まわしのその先に何があるか、なんて考えない。

俳優の仕事に役立てたいなんて気持ちも、さらさらない。皿だけに。












この一週間、北九州小倉にいた。


来た時には咲いていなかった桜が、今では満開の木もある。

じゃあ、と桜の木全体にカメラを向けるとフリー素材みたいな画になってしまう。
うまく撮れないし、何より撮った写真を好きになれない。

だからもっと射程距離を短くしてシャッターを切る。

バエとかエモとかを脳内から消して、もっと個人的な写真にする。















滞在しているホテルの近くの道を歩いていると、二匹の猫に会った。








同じ家に飼われている猫だろうけど、この警戒心の差がおもしろい。



ストロングな警戒心を持った方の子を撮ってる間に、いつの間にかもう一匹が僕の脚にコツンとからだを寄せてきた。警戒心ゼロ。

二匹合わせてストロング・ゼロだ。










ピントは合わなかったけど、
この写真を見ると僕はその瞬間の、ほっこりとした気持ちを鮮やかに思い出すことができる。

それだけで、写真を趣味にしてよかったと思える。