2月の日記を見返して、いまぐるぐるしていること。
物乞いをする人たちに
自分はなぜお金や物を渡さないのか。
仕事のようにお金をくれと言ってきた女性
泣きながらモノをくれと言ってきた子ども
片足がなく松葉杖をつきながら、お金をせがんできた青年
ダッカ大学で花の代わりにお金をくれといってきた女の子
どの人にも私は何も渡さなかった。
なぜだろう?
もし、お金を渡していたら…
食事が食べれたかもしれない。
体を売らなくてすむのかもしれない。
危険な仕事をしなくてもすむのかもしれない。
でも、、、、
に続くことばはいろいろな人が言っている。
昔ボリシャルに向かう船の中、物乞いをするおばちゃんに
ニケルバイがお金を渡していた。
「なぜお金を渡したの?」という質問に
「Just happy」 と答えたニケルバイ。
今日の暮らしさえ、どうなるかわからない人たちへ
「教育の大切さ」を伝えるNGO職員と同じなのかもしれない。
この「なぜ?」に対する答えが見つかったとき、
今の私がいったん終わるときなんだと思う。