「書籍部の話だと 今年から電子書籍を出すみたい」

「まず手軽だからね スマホとかパソコンがあれば

読めるし なんといっても安いし」

「街の本屋さんは 電子書籍が広がってきたので

経営の維持もタイヘンみたいよ」

 

おいっパソコンでも読めんのか・・

「あらぁさすが紫さま ご存知なかったんですね」

 やかましい おまえらのような変人と一緒にすんな

「そうなんですかぁ アタシたちはスマホも持たずに

 朝から晩まで街中ウロウロ若い女のデコボコ観賞に

 ご執心で そのうち野垂れ死にして無縁墓直行するか

 警察へ通報され社会から生きたまま抹殺されるような

 どっかのスケベおやじこそ変人だと思いますけど」

「えっ どっかのって・・ひょっとして・・」

「あんたは新人さんだから そのうち解るわよ・・

  セクハラすけべおやじの頭に『マジメ』がつく

  言い方なんて聞いたことないでしょ」

 あのなぁ それはだな・・

「解ってます 部屋にいないのは机がない飛行機は嫌い

 手ぶらでも用は足りる・・自分で言い出しておいて

 今更何言ってんの これは全員でお仕置きね」

 ・・・ ・・・ ・・・

「またダンマリですか 都合悪くなるとこれなんだら

 今のうちに パソコン・スマホで読めるように

練習しといたほうがいいんじゃありませんか・・

 業務に支障きたすことになりますよ」

 

 うるさいんだよ いいかっ本ってのは・・

どんなことが詰まっているのか著者の知識・教養などに

思いを寄せながら まずはパラパラっと拾い読みして

おもむろに最初から頁を開く そのワクワク感が命だ

本を手にした時の重さで それらを感じ取るんだよ

画面を見ながら頁をめくっていく そんな軽いモンとは

わけが違う ゲームなんかと一緒にするんじゃねぇ

特にだ 美術書なんてのは電子書籍には不向きだ

「そうはおっしゃってもスマホに経営関係の電子書籍が

 詰まってないと・・お客さまだって スマホ片手に

 突っ込んでくるし それに本は重くて持ち歩き無理」


 スマホに詰め込むかわりに 頭へ放り込め

「そんなの無理です 頑固なんだからぁ・・

  そんなんじゃあ これからの時代に適応できないわよ

 置き去りにされますよ」

「○○さんあきらめなさい 紫さんの頭の替りを

  あなたたちがするしかないでしょう」(おしまい)




 平成28年春 といっても3月下旬でしたが

顧客の入社式で話した内容を 転載します。

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 東北・北海道あたりでは『頑張る』を『けっぱる』と

いいます 「春は まさにけっぱる季節なんです」

 春は四季の始まりでもあり 枕草子でも「あけぼの」

と謳っています

オレンジの太陽が暗闇の空を切り開くさまは 宇宙に

広がる無限のエネルギーを吸い込みながら 道を求め

飛び跳ねていこうとしている 皆さんにふさわしい

季節でもあります

 しかし春は あけぼのだけではないんです

ポカポカ陽気の春の日差しは 身体をやさしく包んで

柔らかくほぐして ココロを癒してくれます

そして山の頂とか空と海の境に沈み込んでいくときの

茜色の光は その日一日の不安とか心配をリセットして

新しい始まりを元気づけてくれるようでもあります

 四季の初めの春は 無限に広がる宇宙のエネルギーを

成長させて拡大する夏以降のための道づくりを準備する

トップランナ-でもあるんですね

 そのエネルギーの道は 最初からあるわけではない

皆さんが探して 始めて道を創ることができるんです

人間という商売は先が見えないからこそ おもしろい

道も・・そうなんですよ 「道は 未知」です

だから 面白いんです

「道」が見えなくなったら どうしたらよいのか・・

努力・根性とか失敗・後悔よりも 覚悟が必要です

それまで歩いてきた道 その道は自分で自分が用意した

道だったんです

その道から学びとることもまた 必要なんです

自分が「道」を創り その道を歩くのは自分だけ

他の誰も歩くことはできない

周りと比べて優劣をつけたり評価を気にする必要もない

自分が創った・創ろうとする道を 自分で歩く・・

その覚悟があるだけで もう迷うことなく新たな道が

見えてくるのです

 最後にお話したい この先何が待ち受けているのか

そのような時は いついかなる場合でも・・

【清潔感のある顔と服装 そして肌】を保つことを

心がけましょう・・常に そうしていることによって

自分だけのネットワ-クを築くことができるのです

【逢いたい人を探す 逢いたい人になる】・・

このことが 必ずや実現できることでしょう。

(おしまい)











 申しわけございません

ここ一週間程度 投稿の時間は9時~16時までの

あいだに なりそうです お願いいたします。

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 ティーチングとコーチング・・どっちにするかは

考える・教える内容により 選べばよい

人体・人と人とのネットワ-クの仕組と似ています

 

 どうやら人体というのは まず構造があって

次に個々の役割があり それらがつながっている

五臓六腑・血管・神経・リンパ・筋肉・骨・皮膚・・

人体の仕組みは 何一つとして無駄なものはない

己の持つ役割は認識しても 他の仲間がもつ役割を

知り たがいに助け合い協調しながらでないと十分に

機能しないことを理解しており自分たちの持つ役割を

機能させるための ネットワークを形成している

このネットワークを形成している仲間の誰かがズルを

すると たちまち全体が機能しなくなり発病してしまう

 このネットワークを形成していく過程において 

ティーチングとコーチングの選択が でてきそうです

親・チ-ムリ-ダ-として まずは自分軸の形成が先で

責任をとる自分中心主義でいく・・

次には相手を知らねばならない 子が部下が何を考え

何を欲しているのか困っているのか 解決策を持って

いるのか 情熱・才能はあるのか・・

 子や部下たちは 自分に何を求めているのか・・

自分の考え・教えかたで どのような反応をするのか

いつもみていることで解ってきますよね

試合前に対戦相手の特徴を調べて リングにあがる

ボクサーと同じですね

 そのうえで 教育分野で広く言われている三つの目標

「情緒的・認知的・精神運動的」について 子や部下に

伝えていく しかしそれは あくまでも自分軸による

考えかたが主となるため たとえ間違っていたとしても

親から子そして孫へ 部下からそのまた部下へと伝わる

うちに こなされながら適切でないモノは淘汰される。

(完)



 親たちの話を聞いてますと どのような方法で

教えたらよいのか・・迷う これは教えかたではなく

子どもの道徳・人付き合い教育は どうあるべきかの

統一基準が徹底していないからです

文科省あたりが 通達を出してはいるけど公な非難を

されたくないから 徹底してないへっぴり腰なんです

 今世の中で推薦されているのが コーチングですが

一方ではティーチングもあります

ティーチングとコーチングどっちが~その仕切りを

設定するのはむずかしい と考えています

参加要員の性格の問題・たがいの相性もあります

だけど 幼少期から高校卒業期あたりまでの子どもには

スパルタによるティーチングしかないと考えています

教え方というのは コミュニケーション力でもある

親が そのチカラ不足だと思っていれば 迷う理由の

一つでもあります

思うに 親子の関係というのはビジネスでいえば

上と下のチカラ関係です これをうまく利用する 

考えながら実行しろ~はセミナ-の講師が好んで使う

言葉ですが まさしく親子関係にはピッタリです

スパルタで十分いけます ただしそれまでの教育が

どうであったかに左右されます

愛と信頼感は 無条件でついているとはいっても

何もしていなくて 突然スパルタとなれば反発され

そりゃあないよ・・となります

 毎日起きてから寝るまでの生活で 睡眠や食事・態度

守らなければ何度でもしつこく繰り返す それでも

守らなければ遠慮なく怒鳴る

さぁ ここで問題となるのが前回でも触れました

信頼・愛の存在ですね これが基本にあるから できる 

信頼関係を復習すれば『お互いに理解しあい安心感が

あって居心地がよい状態』のことですよね

親子・ビジネス共通で それはたがいの意思疎通を

はかる基礎となるものです

イヤな相手とは付き合いたくもないが 逆の人からの

尊敬する人とのつき合いは避けないし 情報の提供が

あれば素直に受け入れる 両者の内容はまったく同じで

あっても 受け入れの諾否は変わってくるのです

ビジネスで同じ商品・技術を客に提供しても受け入れて

もらえなければ意味もない

親子も信頼関係が最初からあるので 教えかたも

少しくらいスパルタでも活きてくるのです

(つづく)

前回の終わり部分で・・

『たがいに尊重し合うためには 価値観は人それぞれ

 そのためには自分軸というのが大切 夫婦・家族は

価値観を強制せず たがいの体験を通しそのスキルを

受け継いで親から子・孫へと伝えていく』・・と

このことについて 今回より何回で終わるか・・

もう少し 紫の考えを詳しく述べましょう

親から子へ子から孫へと 代々の教えとその教え方は

個々の家族で違います

その教えと教えかたには 正解はありません

だけど これが困った問題なんですね 正解がないから

他の家族に押し付けるわけにはいかない

仮に『○○をしちゃあいけませんよ』との教えが正解

だとしても 子が他の子を見て自分の親からの教えと

違っていれば疑問を抱くことにもなります

わが家でいえば カミさんがチビたちには歩きながら

食べるなと教えてましたが 周りはその逆・・さらに

いつも利用しているタクシ-ドライバ-は客が車内で

パンなどを食べる こっちは売上が欲しいので我慢して

余程のことでないと『降りてくれ』と言わない

 日本には昔から『修身教科書』とか 数年前には

『心のノ-ト』騒ぎもありました

子どもの道徳・人付き合い教育には国の統一した指針が

あって 親たちは その指針に沿って教育したほうが

よいと私は思うし 若い母親たちにこそ統一基準を

再教育する必要がある

 そして もう一つは教えかたですが 統一した指針に

そっていて その根底にはキザな言い方をすると

【愛の存在】があれば 教えかたは自由であってもよい

(つづく)