「先日向かいに入った人が 挨拶に来られた時にボヤキ

がありましてね『駐車場も同時に借りた 隣の区画の

方に挨拶と思い不動産屋に部屋番号と名前を聞いたら

ダメ』ご本人たちは まだ二十代後半の若夫婦で私は

礼儀ある人たちだと感心したんですがね」

 で どうしたんですか・・

「駐車区画は先取り制で私も分からないし 隣の区画の

人には気持ちは伝わりますよって・・誤魔化したん

ですがね いやぁな世の中です個人情報なんとかって

やつで イヤですよねぇ」

 解釈と運用の問題ですが これもまたむずかしい

どのあたりで線引きして妥協するか・・

新しく入った若夫婦は 駐車の区画の人にも挨拶と

言うんだから自分たちの部屋番号・名前だけは教えても

かまわないと思ってるんでしょうから 不動産屋が

教えてくれないのなら 一方的に挨拶の手紙を書いて

ワイパ-に挟んでおくというのもテですよね。

 深夜早朝の事故が減らないそうですね

「日中よりも深夜早朝の事故はデッカクなります

 死傷者が出る確率も多いですね」

「日中もなんですが 深夜早朝は信号無視が多いんです

 自家用車が特に 一番危険ですね」

「日中の交差点でも自家用は信号が赤になる前にと

 速度あげて走りますからね 私らが制限を守って

 走っても警笛鳴らして追い抜いて行くし・・

 先頭を走るのよりも後ろにくっついて走ったほうが

楽なんですが 闘争本能が黙ってないんでしょう」

「視野というのはご存じですよね 前方の青が赤に

 変わらないうちに・・これは危険な走り方で

 青ばかり見て走ると周りの状況が見えなくなって

 交差点の中での事故よりも入る前の事故が悲惨なん

ですね」

自動運転車の開発が進んでますが・・

「私思うに それもいいんですがナンカあれですね

 ボケが早まりそうですね」

「自動車の運転は ボケ防止には最適ですね最近は

 歳ぃとると免許証返すなんて話も聞きますけどね

 ボケが進むと思ってますね 私は防止するために

周りのドライバ-が辛抱強く見守っていくべきで

 そのための高齢者マ-クで 明日は我が身なんです」

★愛想とは 人と人との究極のナンパ術・・


 人と人とのつきあいは ナンパが基本なのだ

 人間という究極の商売の展開とは・・

「聞く・話す」時の「愛想づくり」が基になって

人間という商売の展開が可能となる

この三つの要素の鍛錬が かかせないと思っている

 テレビと飛行機嫌いの私も街中ではテレビの画面から

逃げることはできないので~画は見ずに音だけ聞く

人間の究極の商売をジでいってるのが 街頭・雑誌など

でのインタビュア-なのかもしれない

上手い聞き方をする声が聞こえると 思わず画面を

見ながら街中ブラブラの必携品である メモ帳に

その人の発した言葉を書き込む

 時には 街中でナンパする人たちを観察することも

街頭インタビュ-には 技術と愛想づくりと戦略が

必要で それがないとマイクを向けられただけで

拒否ばかり・・これはナンパとにている

 ナンパ氏時にはナンパ嬢もいますが・・

眺めていると 愛想づくりのむずかしさがよく分かる

短時間で攻略するのだから愛想をよくして しかも

話し上手でないと成功しない

 しかしここで むずかしいのは「愛想」である

愛想がよければメデタシとは必ずしもいかない

かといって愛想がないと成功しない

「適度な愛想」というのか「無愛想な愛想」・・ 

 こればかりは 場数がモノを言うのでしょうね

相手を見て瞬時に判断する能力・技術なんでしよう

初対面の相手を崩すのだから 究極の人間商売ですね

毎日の付き合いでも ある日突然のごとく同じ人~と

思うくらい 人間は変わるときがある

その変わり方が 素晴らしくもあり面白くもある

たがいに その変化をびっくりしながら楽しみながら

自分の人間という商売の展開に取り入れる

 人間という商売での極め付きは「離婚」なのかな?

「離婚」は 人間の商売の中でも「最良・最悪」の

「愛想づくり」が潜んでいるのでは・・と思う

 人間という商売の展開は 何も心の持ち方だけに

あるわけでもないのだ

食っていくための仕事の多忙さも展開のうちであります

多忙は 疲れもたまるしストレスだって・・だけど

イイこともある それは余計なことを考える暇がない

ということは 離婚を考える暇もないということ

日本経済が順調で すべての国民が多忙となれば

日本の離婚率はゼロになるかも・・メデタイことです。


 ナンか どっか ヘンな感じがする

シンクロニシティはスピリチュアル系の方々が

よく使う言葉ですが・・

自分にとって とても良いことが偶然なのか

分からないけど続けて起きてくる・・ことを

言ってますね

 ここで注意しなければならないのは

ホントに良いことなのか否か ということは

自分で判断つかない場合がよくあります

 起き続けている出来事への いつもと違う感じと

いうか 違和感があるか否かで判断するしかない

的確に判断するには それまでの人間という商売を

いかにして展開してきたかがモノを言う

 科学者が新しい研究をしながら連続して良い方向に

流れているときなんかは 興奮する思いと流れに

乗るべきか否か~の恐怖心もでてくる

 自動車の運転と同じで 道路標識・標示こそが

シンクロニシティの役目なんでしようね

最後は 自分で判断するしかない

だけど・・じっくりと考えれば 連続して起きると

なれば これって偶然とは思えなくなりますよね 

 ホントに良いことなのか否か ということは

自分で判断つかない場合がよくあります

あまりにも興奮して あるいは湧き出てきた思いに

酔ってしまって 先が見えなくなってしまう・・

情念が そうですよね

ホントに良いか否か判断つかない~というのは

この情念が 自分の心の中で理性としてじっくりと

熟成されたものなのか 理性では抑えきれずに瞬時に

表に出てきたものなのか・・


 情念もシンクロニシティも 同じようなもの・・と

私は解釈していますが・・。 




 男が どんなにもがいても女には敵わない

人間としての「いただき」にあるのが

女・母親なのだ

男が女にセックスで 女として人間としての

エゴを崩壊させ失神させ快楽の絶頂を体験させたと

しても・・ただ それだけのことなのだ

 男は父親にはなれるが 母親にはなれない

母親の膝・背中が持っている 癒しのチカラには

父親は到底敵わない

 女と母親が持っている美的感覚は 子の魂を癒し

子を育て 子の人間としての意識を高めていくのです

母親の愛は 無敵なのです

http://ameblo.jp/b012/entry-11615652883.html

 しかし女・母親はデリケ-トです

男・父親の義務は 女・母親を守らねばならない

それは 子を守ることに繋がるのです。

 皮膚と脳は つながっている

(アロマ学校時代の教科書を参考にしながら 


「胚葉」には「外・内・中」の三つがあり それぞれが

内臓などの器官となるのは ご存知ですよね

この外胚葉と呼んでいる部分が外側にでたのが「皮膚」 

内側に入ったのが「神経と脳」になる

そうすると もともとは同じだったので 皮膚を刺激

すると 間接ながら脳が刺激される

皮膚をなでまわすのは 脳をなでまわすのと同じで

皮膚と脳は つながっているのです

 

これは 背中・腕・脚などの皮膚をさすられると

気持ち良くなる そのような体験がありますでしょう

皮膚に触れながら ささやきを交わすということは

愛情・親密さの確認をして 信頼感を高めます

オイルを使いながらだと なお効果があります

二人でオイルを たがいの皮膚に塗る⇒身体と頭を

ほぐします

 そして皮膚に触れないで 女がアイマスクをして

男が言葉を投げかける 逆でもいい・・

このような方法は互いに練習するとできますね

イメ-ジセックスとかチャネリングセックスとか

いってるようですが 皮膚というよりも身体を

くっつけなくとも・・そのような方法ですね


皮膚は自分と外部との境目なんですね

オイルで皮膚をトリ-トメントするということは

触れられている心地よさ 無意識のうちに自分の存在を

再認識して 精神的に安定してくるわけですね

 意識というのは常に動いているわけで だからこそ

頭・ココロを疲れさせるわけです

英雄は 感覚的にそのことを知っていたんですね

皮膚とのふれあいで 安らぎを得ながら脳を落ち着かせ

自己実現の手段にしたのでしょうね。