人は縛りもなく自由になると「生活がだらけてくる」
「孤独と身体苦」から「無職」による「生活苦」となる
家族がいても遠距離家族だと ひとりには変わりない
「親子の繋がり絆・地域」が そのときのために必要
なのだが 今の世の中それさえも絶望的だ
過日は「夫婦別姓・再婚禁止期間」の判決があって
さまざまな報道記事を読んだ
抱いた結論は 法の条文を書きかえる結果とはなったが
「高齢者対策」には この判決は意味をなさなかった
主意が違うのだから当然だが この裁判の底には
若いうちからの「高齢時の対策」が潜んでいるのだ
この裁判は「エゴの限定された裁判」であって
(裁判とは本来 エゴによるのが多いのだが)
もっと大きな視点での裁判でなければ意味がないのだ
(裁判の主意判決に対する関係者の発言の場がある)
親としての我を通すだけではなく 子どもの思いや
高齢になった時どうするのか・・との発言の場での
言葉がほしかったのだが でてきた関係者の言葉は
「親が・親たちが・・」ただただ 自分たちの感情の
ことだけでしかなかった
裁判の提起としては 別の問題といわれるだろうが
この裁判は 日本人が抱く感情・企業の対応そして
「子どもたちの思い・高齢者・家族」の話も含めての
大きな問題提起の裁判であってほしかった
さまざま言いたいことはあるが 二つだけ言えば・・
ナゼ日本人はクチをあければ【外国はこうだあぁだ】と
言いたがるのか・・比べたがるのか・・
いっそのこと 日本国の国旗を降ろして 国ごと好みの
外国の属国にでもなるか・移民でもすればよいのだ
あとひとつは この裁判での感想も含めて言えば
【ほどよい・いい按配】との優れた言葉・対応の仕方が
あるが【死語となり・ほどよい対応もできず】に
【ギスギスとした日本】となっていくのか・・
3/3へ続く