双極症の再発について、その責任を考えるときに、人格か、病気か、という問題を考える。

 

双極症1型では、そう状態の再発を防ぐことが重要である。

炭酸リチウム(リーマス)やデパゲンを服用したり、家族から異常を知らされて、主治医に相談などをしていけば、波はなくならないが、穏やかにはでき、入院が必要な激そう状態になるのはある程度避けられる。

 

しかし、双極症の本人としても、そう状態というのは快感であり、その状態に長くとどまろうとする誘惑があり、そう状態に対する危機感というのが薄くなってしまう。

 

例えば、そう状態になれば、性的な逸脱行動に走るというのは、顕著な傾向ではあるが、

家族として、それを、病気だから仕方がない、と許すことができるのか?というのは、難しい問題である。

 

双極症という診断を受けていない人が性的逸脱行動を制御できないのであれば、それは、病気だから仕方がない、と納得しやすい。

 

しかし、既に自分が双極症であるという診断を受けており、そう状態であるという病識もあるのに、そう状態の激化を避けようとせず、性的逸脱行動をするとなると、家族としても、それは、病気というよりは、人格に問題があるのではないか、という諦めというか、批判的な視点でみることになる。

 

近年そう状態の治療も、従前の入院から、医師との問診を通じての自覚や服薬の管理等で入院せずに通院のまま対応するということも主流になってきているようである。

 

双極症も、薬や自覚などで、ある程度コントロールできるようになってくると、病気というよりも、予防を怠った、という点で、人格の責任もいえなくもないのかもしれない。

 

90年代くらいまでは、双極症やADHDなどは一般的にあまり知られていなかったので、本人の自覚や努力の問題、つまり人格の問題として責められていた。

しかし、2000年以降これらの病気が一般人にも知られるようになったので、病気の問題として理解されるようにはなった。

 

そして、双極症もADHDなどもある程度コントロールができる病気であるということまで一般人の知識になってしまうと、病気という抗弁が通用しなくなり、人格の問題になってしまうのかもしれない。

 

人格と病気を区別することはできない。