現実的。 | 医学部受験Suicide★

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医学部受験に人生を賭けます。

ここにゲイなる男が2人いる。
一人は医師で、もう一方は大学生である。
医師の男は、親の勧めと社会的体裁を考えて、お見合いをすることとなった。
男は割りとスマートな顔立ちのおかげで女性受けはよろしい。
が、見合いの席では、いつも相手の女性の自分の性癖を告白し、破談に持ち込むことを得意としていた。
しかし、今日の見合いの相手はいつもと勝手が違うようで、自分が男しか愛せないことを告げても、別段、驚くことも無く、次のように言い放った。
「いいんじゃない。私もアル中で今も精神科に通ってるわけだし。お似合いかもね。私たち。」

そして、2人は結婚することとなった。

医師のお見合い相手ということもあり、アル中とはいえ、家柄はそこそこの女だったらしく、女の父親は、孫はまだかとヤキモキしている様子だ。

互いに共同生活を始めた二人だが、ゲイの医師は、あいも変わらず、大学生の男との関係にいそしむ。

女は昼から酒を飲む。

女の父は孫をせがむ。

嫌気がさしてきた女は、医師の男に恋人である大学生の男を自宅に連れてくるように願いでる。

いっそのこと3人で暮らしましょう。ということらしい。

こうして奇妙な男2人、女1人の共同生活が始まった。

女は、父親にはほとほと嫌気が差し、連絡を絶つようになったが、3人で暮らしていると医師の男の優しさにほっとする自分に気が付き始めた。

ここまで自分を受け入れてくれる男はいなかったと気づいた。

しかし、結婚した相手は、ゲイである。

悩むようになった女は、つい、ポロッと昔からの「親友」に夫がゲイであることを打ち明ける。

そして、その「親友」である女友達の口から両親へ隠していた事実が告げられ、ゲイの夫と別れるように迫られることとなったのだ。

女は、私は子供は要らないと突っぱねるが、お堅い両親がそんなことを許すはずも無く、また、怒りの矛先は、夫の両親にまで向けられ、義父は、この詐欺師め!とののしられる空間が確かにそこに存在していたのであった。

ゲイの夫は、私は男の人しか愛せないとはっきりとした口調で答え、その空間は壊れていった。

女は、考えた末、夫が勤める大学病院の産婦人科へ行き、「夫とその恋人であるゲイの大学生の精子を混ぜて、私の子宮に着床させることは可能ですか?」と至極まじめな口調でたずねた。

産婦人科医は思わず、何をおっしゃっているのか意味が分かりかねますが・・・と言葉を濁し、続けて不妊治療といいますと、夫である方が性的に不能である場合、もしくは、年齢が35歳以上である場合や・・・と続けたところで、女は遮るように次のように言った。



そういうことではなくて、極めて、現実的な話をしているんです。と。





さて、昨今、ネットなどで、意見としてのべらるもので共感を得る大多数の意見といえば、みな、それ相応に論理的である。

この産婦人科医の言うように、なんでも論理的かつ倫理的に解決しようとする。


しかし、私が言いたいのは、論理や一般論ではなく、「現実的に」ということに趣をおくべきなのだということである。


倫理といえば聞こえは良いが、大抵は、一般論という言葉に置き換え可能だ。一般論を論理的に解説するだけが、マジョリティーなら、そんなナンセンスなことは無い。


父親から子供を作れと迫られている。そして、愛する男もいる。

しかし、その愛する男は、男しか愛せないのだ。

もちろん、愛する男なのだから、愛する彼の子供は欲しい。

だから、愛する夫が愛する大学生のことも愛して包み込もうという、女の「現実的な」愛がそこにはあるのだ。


論理的な一般論より、現実がそこにある。


現実は小説よりも奇なりとは、よく言ったものだが、現実に疎い人が多すぎるような気がしてならないのだ。



さて、あなたがたは、どこまで現実的なのでしょうか。


おやすみなさい。