以前、ちょっと前に、働くと言うことは、社会の役に立つことであるという事を書いた。
ある意味、事実だと思う。
しかし、実際、自分が仕事をしていく上で、誰かの役に立つために、社会の役に立つために、働くなどという考えを常に持ちながら働く意味は、あまりない。
私は、今まで、生徒のために・・・という思いでバイトに取り組んできた。
しかし、それは違う。
自分が、クタクタになってしまう。
いつの間にか、自分がこれだけ、一生懸命教えているのにどうして分ってくれないのか?という苛立ちに変わってしまった。
自分が、これだけ、尽くしているのに、どうして応えてくれないの?
そんな、思いに駆られることもしばしばだ。
そして、今、思う。
わたしは、誰のためでもない。自分のために、がんばる。
自分のために働いて、自分がいろいろなことを吸収して、自分で、自分のポジションを上げていく。
お金も、あまり人に寄付する気にはなれない。
だって、一生懸命、自分で働いたから、得られたお金。
もちろん、自分のために使う。
つーか、貧乏だし。。。
そりゃ、あり余るほどのお金持ちなら、少しは、寄付したいと思うけれどもね。
一度、限りの人生でしょ。
限りある命でしょ。
誰に、何のために、気兼ねする必要があるの?
もちろん、社会の常識も必要かもしれない。
上下関係のなかで、細かい動きも、気配りも必要な時はあると思う。
でも、一番、たいせつな、自分が生きる上でのコンセプトは『自分のために、生きる。』ということなんじゃないだろうか。
その結果、自分が社会の歯車になっていることは、とてもステキな事だと思う。
仕事で、人間関係で、嫌なこと。たくさんあるよ。
悔しいこと。たくさんあるよ。
自分が不甲斐ないと思うこと。たくさんあるよ。
欲しくても買えない物。たくさんあるよ。
こうだったらいいな☆と思うこと。たくさんあるよ。
凹むこと。たくさんあるよ。
泣きたいこと。たくさんあるよ。
人に認められたいと思うこと。たくさんあるよ。
悲しいと思うこと。たくさんあるよ。
愛されてみたいと思うこと。たくさんあるよ。
さびしいなと思うこと。たくさんあるよ。
必要とされたいと思うこと。たくさんあるよ。
自分に足りないものだらけ。
自信なんてこれっぽっちもない。
自分が人より優れているところ。そんなの見当たらない。
ちょっと、うれしいこと。ちょこっとだけ、たま~に、ある。そりゃ、生きてりゃ、少しはあるさ。
それでも、将来の明るい展望なんて未だに見えない。
こんな嘆きは、書いたらキリがなく湯水のごとく溢れ出てくる。
だから、わたしは、自分のために、がんばろうと、生きようと思う。
もちろん、人それぞれの生き方があっていいと思っています。
これから、英語と数学を少しやって寝ます。