http://www.nikkei.com/article/DGXMZO19550340S7A800C1000000/?n_cid=DSTPCS019
国境地帯で対立、インドにたじろぐ?中国  編集委員 村山宏 
(1/2ページ)2017/8/3 6:30 日本経済新聞 電子版より
 

インド 中国

 「いずれ北京も占領されるよ。我々もインド人になるしかないね」

 「立派な兵器を自慢しているが、インド軍も追い出せないのか」

 8月1日は中国人民解放軍の創立90周年記念日だ。中国はこれに合わせ7月30日に内モンゴル自治区で軍事パレードを実施し、ステルス戦闘機など最新鋭兵器をお披露目した。だが、おめでたいはずの1日、中国のネットには政府を皮肉る書き込みが目立った。インドとの国境を巡る対立で中国側が守勢に立っているとの印象をネットユーザーが持ち、不満を募らせているからだ。中国はナショナリズムを政権の求心力維持に利用してきたが、逆に政権の足をすくいかねない危うさをはらむ。

■ネット世論、インド批判一色に

 中印両軍は6月中旬から中国、インド、ブータンの3カ国が国境を接するドカラ(Doka La)付近で対峙している。インド側によれば、ブータンと中国がともに自国領と主張する係争地、洞朗(Dolam)に中国人民解放軍が道路を建設し、インドとの国境付近へと道路を延伸しようとした。国境地帯に道路が伸び、軍事基地ができればインドには脅威となる。インド軍は6月中旬に事実上の境界線を越えて洞朗に入り、道路工事を妨害したとされる。

中印国境地帯で「あなたは国境を越えた、引き返してください」と書かれた横断幕を掲げる人民解放軍の兵士。中国はインドとの衝突は避けたい考えだ=AP

 対立の背景は日本経済新聞の7月20日付の「中印『一帯一路』巡り摩擦 国境地帯で1カ月にらみ合い」などを参照していただきたい。中国側は自国領へのインド軍の不法侵入として撤退するよう強く求めているが、インド軍は洞朗に駐留したままだ。中国が自国領と主張する地域に外国の軍隊が無断で進駐するのは異例中の異例だ。中国はいつものように激しい言葉でインド批判を繰り返しているが、軍事的な対抗策には打って出ていない。

 中国のネット上では、少し前まで地上配備型ミサイル迎撃システム(THAAD)の導入に絡み、韓国を非難する書き込みであふれていた。それが今や打って変わってインド批判となり、最近は対抗策を打ち出さない中国政府の姿勢に不満を述べる内容も増えてきている。愛国的なネットユーザーの目には、1カ月以上もインド軍の駐留を許している姿が「弱腰姿勢」に映るのだろう。冒頭のコメントはそんな状況を皮肉ったものだ。


 過去20年、中国政治はナショナリズムを軸に動いてきたともいえる。1996年に「ノーと言える中国」という書籍がベストセラーになったが、この頃から一般民衆の間で対外強硬策を求める声が強まり出した。社会主義イデオロギーが薄まるなかで、共産党政権は素朴な祖国愛を意図的に政治に利用してきた。愛国心に根ざしたナショナリズムは感情移入がしやすく、国家や社会をまとめ、求心力を維持するうえで好都合だったからだ。

 習近平主席も「中華民族の偉大な復興」を掲げ、東シナ海、南シナ海の領有権を巡る問題では日本、米国などに一歩も引かない姿勢を貫いてきた。空母「遼寧」の就航に続き、初の国産空母も進水させた。領土問題ではけっして妥協しないと国内外に示してきただけに、インドとの国境を巡る対立で軍事的に守勢に回った印象を国内に与えてしまったのは政治的には失策だったかもしれない。

■秋の党大会に向け「駆け引き」も

 とはいえここでインドと衝突するわけにもいかない。

 中国にとってインドとの戦闘はリスクが大きいからだ。局地戦に勝っても「武力を背景とする対外拡張」という印象を世界に与え、平和的台頭という名目を失う。中国を軸に経済圏をつくる一帯一路構想が崩れかねない。戦闘に負ければ秋の共産党大会を前に習近平指導部の信任が失墜する。だから中国は慎重な対応をしているともいえるが、人々の目には中国がインドの攻勢にたじろいでいるようにも映ってしまう。

 中国政治に詳しい方は5年前を思い出すかもしれない。前回の共産党大会を前にした2012年9月、大規模な反日デモが中国全土で巻き起こった。習主席らの勢力は胡錦濤前国家主席の勢力をそぐ道具として反日デモを使ったとされる。胡前主席らの対日外交を融和的だとして批判し、習主席が軍部強硬派の支持を取り付けようとしたという見立てだ。事の真偽はともかく反日ナショナリズムを軸に習指導部が基盤を固めたのは客観的な事実だ。

 この延長上線で考えると今回のインドに対するネットでの弱腰批判は、再び巡ってきた秋の党大会を前に習主席に対抗する勢力が意図的に仕掛けたとの臆測すら成り立つ。弱腰批判は7月から様々なネット掲示板に書き込まれており、繰り返し出てくるからだ。そんな陰謀論を持ち出すまでもなく、習主席にしてみれば火種は早めに消しておかねばならないはずだ。放っておけば党大会で決まる指導部人事に利用しようとする者が出てくる。

 ナショナリズムで登場した習主席だが、再任では一歩間違えばナショナリズムに苦しめられかねない状況にある。党大会を前に、予想もしていなかった難題の解決を習指導部は迫られている。


村山宏(むらやま・ひろし)
1989年入社、国際アジア部などを経て現職。仕事と留学で上海、香港、台北、バンコクに10年間住んだ。アジアの今を政治、経済、社会をオーバーラップさせながら描いている。趣味は欧州古典小説を読むこと。アジアが新鮮に見えてくる。