ブログ 「中国の真実に迫る」 より

拝啓 習近平国家主席殿 


今日は主席に3つお伺いしたいことがあります。


まず1つめのお尋ねですが、貴殿の先人の共産党が山中に隠れ、日本と国民党が戦争をしていたとき(シナ事変 1937~)


「南京で虐殺があった」と国内外に伝えていますが本当に虐殺などあったのでしょうか?



〇平和な南京市街の様子


当時のイギリスや日本の新聞を見ているのですが、全くのようなそのような虐殺があった様子がないのですが・・・


南京市民に食糧等を配る日本兵たち。

(イギリス系新聞「ノース・チャイナ・デイリー・ニュース」 1937.12.24付 南京占領の11日後)』


日本兵から菓子をもらって喜ぶ南京の家族

1937.12.20撮影 朝日版支那事変画報1938.1.27刊)』



『日本軍による南京占領5日目の朝日新聞
(右)武器も持たず中国人から買い物をする日本兵。
(中上)南京に戻ってきて畑を耕す中国人農民。
(中下)平和になって南京に戻ってきた中国人ら。
(左)中華街の名物、街頭床屋。子どもも大人も手
製の日の丸の腕章をして笑っている。 
(朝日新聞 1937.12.18付)』



『中国兵たちの悪行に辟易していた南京市民たちは、日本軍の入城を歓声をもって迎えた。

これは日本軍の入城式の日(1937年12月17日)に、食糧やタバコの配給を受け、歓声をもって迎える南京市民ら。
市民がつけている日の丸の腕章は、民間人に化けた中国兵ではないことを証明するために、日本軍が南京市民全員に配ったものである。

(毎日版支那事変画報 1938.1.11発行)』

そもそも中国は、

1937年12月13日に日本軍が中華民国の首都南京を占領後、6週間以内に30万人以上もの中国人を殺害したと主張していますが、当時の南京の人口は20万人であり、30万人以上殺害するのは不可能。

しかも、陥落から1か月後の人口は25万人に増えている。

血なまぐさい大虐殺のあった町で人口が増えるはずがない」

と、評論家の黄文雄氏の本に書いてありましたよ。どう説明されるのでしょうか?



「あった」とする証拠も捏造ばかりですよね、朝日新聞が1984年8月4日の大阪版夕刊で大虐殺の「動かぬ事実」として掲載し、中国が国際社会に広めた生首写真は、実は中国軍が切り落とした馬賊の首でしたよね。



そもそも当時、南京に駐留していた国民党政府の蒋介石が全く見聞きしたことないといっていますが…


さて

2点目のお尋ねです。


さらには貴殿の国は毎年、抗日戦勝勝利記念式典を行っていますが本当に日本に勝利したのでしょうか?


当時の連合国は、

中華民国であり「中華人民共和国」ではありませんでした。


・1943年11月に開かれたカイロ会談の写真



戦後の国際連合の国連憲章には下記の様にありますね


●第23条


安全保障理事会は、15の国際連合加盟国で構成する。

中華民国、フランス、ソヴィエト社会主義共和国連邦、グレート・ブリテン及び北部アイルランド連合王国及びアメリカ合衆国は、安全保障理事会の常任理事国となる。



中華人民共和国の文字がないのですが、貴殿の国は、本当に第二次世界大戦の戦勝国なのでしょうか?



最期にもうひとつお尋ねです。


今、主席は中国国民に「尖閣諸島は、中国のモノだ」と懸命にアピールしていますね。


このような手紙を見つけました。




1919(大正8)年冬、中国漁船が尖閣諸島沖で遭難し魚釣島に漂着した中国漁民を救護した日本の住民に中華民国が贈った「感謝状」です。


はっきりと、「沖縄県八重山郡尖閣列島」と書いていますが…


主席が「尖閣諸島は、古来から中国のモノだ」と国民に伝えているのは嘘ですか?