私がこのブログを開設したのは、2010年夏のことでした。

 

当時のブログを読み返すと、やれ成績が伸び悩んでいるだの、やれ友達ができないだの、やれ親や塾の先生に怒られて辛いだの、やれ異性と接点がないだの、やれ夢米青が頻発して面倒だだの、やれオナ禁が続かないだの(あ、これは今もそうか)、全部がそうでないにしてもブログに書かれていることが全体的に病みかけの一歩手前という感じで、闇が感じられるように思います(だからこそオナ禁やブログにかけるものは、大きかったと思います)。

 

人生とは悩みが尽きないもので、今でも不満や心配事、モヤモヤすることなど色々抱えています。

それでもその当時と比べると、今はその頃から入りたいと思っていた大学のうちの一校に入ることが叶って、多くはないもののいくらか友達は増えて、当時の実家の家庭内の問題の半分くらいは解決して、夢米青はあまりしなくなって、ついでに異性の知り合いも何人もできて(あくまで、ただの知り合いに留まっていますけど)、その頃悩んでいたことで未だに解決できていない問題はオナ禁が続かないこと(オナ禁がテーマのブログでそれはマズイかもしれませんけど、だからこそ今でも続いているとも言えると思います)と、彼女ができないことくらいです。

 

さて、ブログを始めた当初のことに話を戻します。

その当時の私は大学受験に向けて、昼過ぎまでは某大手予備校Yゼミに、午後からは個人塾へ通っていました(勉強のメインにしていたのは個人塾の方でした)。

結局、その年は希望する大学に入ることは叶わず、消去法で滑り止めに選んで受けていた大学に入学することになりました(その頃を振り返って、また当時のブログを読み返すと、それが当時の限界だったと思うので、そのときもう一浪しなくて良かったです)。失意の中、個人塾に置いてあった私物を片付け、帰り際に塾長から「また何かあれば、連絡して下さい」と声をかけられたのを今でも覚えています。

 

その個人塾での学びが直接のきっかけとなって今の大学に受かったわけではありませんし、何よりお世話になっていた頃から時間が経ち過ぎているので、もしも挨拶しに行くことがあるとすれば社会に出てからだろうと漠然と考えていました。

 

先日、何気なく件の個人塾をネットで検索したところ、今年の初め頃に閉塾されたことをホームページで知りました。

さらになんとなく塾長の名前を調べると、塾の閉鎖からまもなく亡くなっていたことがわかりました。

 

その塾で成績がのびたわけでもなく、お世話になっていた期間が特別長かったわけでもないせいか、その先生に対して強い思い入れはありません。

とは言え、まだ50台半ばで亡くなった先生に対して、悲しみや同情のような感情があまり湧かない自分自身に戸惑いを感じています。

あるのは過去に自分と関わった、少なくとも心底嫌いだったり軽蔑しているような人ではない人間が一人、この世からいなくなってしまったこと、入りたいと思っていた大学に入るという当時は達成できなかった目標をひとまず達成できたことを報告する機会が永遠に失われてしまったことに対する喪失感のようなものだけです。

…先生のご冥福をお祈りします。

 

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