本日のブログは、昨日の続きで、「呪詛」や「生霊」等の解説をしたいと思います。
基本的に、「呪詛」や「生霊」などの悪い念(気)をいうモノは、
双方が認識しないと効果がない。
ので御座います。
つまり、電話と同じで双方が受話器を取らないと成立しないので御座います。
ですから、「呪詛」等をかけるときは、直接本人に伝えるか、第三者経由でも良いので何らかの形で知らせないとならないので御座います。
と云うことで、かけられる側が知らない場合は、所謂「呼び鈴だけ鳴っていてウザいだけの状態」なので御座います。
因みに、青木ヶ原樹海などの心霊スポットで、悪い霊を連れてきたというのは、かかる側が事前に「心霊スポット」と知って行くわけで御座いますから、FAXの自動受信可能状態と同じなので、かかる側が受信体制満々で行っているので御座います。
つまり、悪い念(気)は、双方が知っているか、いないかが重要なので御座います。
因みに、「呪詛」をかける時は普通の日本語で大丈夫です。
祝詞も日本語ですし、曹洞宗の甘露門というお経も日本語MIXですし、聖書の朗読も日本人は日本語で読みます。
悪魔崇拝のジシルも、自分たちの使う単語を変形させて作るのが基本ですから、なんら問題はありません。
ってことです。
ブログ等で、「呪詛」をかけて、対象の本人が観るってのもOKです。
また、実行者が第三者ですが、これも大丈夫のはずです。(これは調べて確認していないので確かではありませんが)
グチや悪口は不幸を呼ぶ呪文です。けっして口にしてはなりません。
ジョセフマーフィーさんの名言です。キチンと「呪詛」の条件に適合していますな。