お盆が過ぎ8月も終わろうとしていた。
そんなさなか 、またMの実家で
後妻が家を出たという知らせが舞い込んできた。

舅は後妻が家出をすると 必ずMに電話をするのだ。
舅も子供じゃないんだから自分たち夫婦のことは
自分達で解決してほしかった。
しかも私たちを巻き込むんじゃない!

しかしMは舅から連絡が入ると必ずその週末に実家へ帰るのだ。
そして私を必ず連れて行く。
行くとなると舅の後妻に対する愚痴を聞き
「お前もあんな風になるなよ」
と、ループした内容を延々聞かされる。

そしてあの恐ろしい台所(21歳(12)-台所事件簿※参照)で
ご飯の支度をしなければならない。
私にとって苦痛以外の何者でもなかった。

Mは身重の私に
「親父のために我慢してくれ」
の一言だけ言い残し、私を気遣うことは してくれなった。
結婚前から折角の週末にどこか出かけるわけでもなく
たまのお出かけ競馬かMの実家だった。

義父はご飯が作れないわけでもないし、
体が不自由なわけでもない。
どちらかといえば年齢を感じさせないくらい
筋肉があり、体力もあった。
なので義父のためとはいえ
夫婦の問題にいちいち振り回されているのが
どうしても納得できなかった。

ついこの間お盆でMの実家に行ったばかりなのに
こんな理由で私の休日は潰れてしまう。

仕事の疲れやストレスを軽減させるための
休日なのにMの実家に行くことにより
私の疲労度はますます上昇していった。

2週間程過ぎMが義父に電話をすると
後妻はすでに帰ってきていたようだった。
しかも家出していた間に子供を出産していた。

これで義父と後妻の間に授かった子供は
合計7名にもなった。
一人亡くなっているので現在は6名。

第一子 : 長男 αアルファ
第二子 : 長女 βベータ
第三子 : 次男 γガンマ(故人)
第四子 : 次女 δデルタ
第五子 : 三女 εイプシオン
第六子 : 三男 ζゼータ
第七子 : 四男 ηイータ

丈夫で元気に生まれてきたこの子達も
親を選べない。
この家と関わって私も被害者だが
一番の被害者はこの子供達だろう。
数年後にどうなるかなんて
この時は誰も思いもしなかった。

とある夏の日Mの実家を訪れた。
毎年夏はお盆にMの実家へ行っていた。
夏休みはどこか別の場所へ出かけたかったけど
お盆の準備のために夏休みを取っていた。

後妻は普段から掃除をしないので
仏壇が埃塗れになっていた。
毎年私は仏壇清掃をする為に
夏季休暇を無駄に取っていた。

仏壇の扉は常に開かれている状態にあったので
後妻は仏壇のちょっとした場所に
色々な物を置いていた。

色々な物の中には後妻が吸うタバコやら
子供が保育園で作った折り紙やら
お菓子やら仏壇に似つかわしくないものが
常日頃から置いてあったのだ。

清掃の前にそれらを別の場所へ移すことから
まず始まるのだ。

それらを別の場所へ移し
中にある掛け軸やら仏像やらを
取り出し拭いては綺麗にしていた。
香炉や燭台、花立、高杯、リン台に乗っていたリンも綺麗にした。
この頃は22歳で若かったせいもあり
仏具の名称や何に使うのかでさえも
分からなかった。

Mは座卓の横に行灯を置き
提灯を用意し迎え火の準備をする。

私の実家ではお盆の風習がなかったので
最初は新鮮だった。
しかし毎年仏壇清掃が私の仕事になり
後妻は何をするわけでもないことに
私は不満を覚えていた。

後妻は臨月になっていて
おなかがかなり迫し出していた。
今回は7回目の出産になるので
後妻は妊婦慣れしていた。
後妻はここ数年を通して妊婦でいる期間の方が長いのだ。
後で知ったことだが
妊婦でいるとそれを理由に家事を疎かにできるということらしい。
非常識も甚だしい。

この当時は今と違い妊婦用の可愛いマタニティが数少なく
小柄な私が着れるものはほぼ皆無だった。
普段がSサイズなので 妊婦の間だけ9号の服(Mサイズ)を買って着ていたのだ。

この頃の私の普段着はオーバーオールが多かった。
可愛く着こなしてもおなかが目立たないから
他の人には妊婦には見えなったんだろう。

Mは妊婦になった私に対して
妊娠前とそんなに変化がなかった

Mの実家でシンクに溜まっている大量の食器を片付けるのは
同じ妊婦であっても私がしていたし
たとえやりたくないアピールをしても
後妻の肩を持って
「大変そうだからやってやってよ」
の一言で片付けてしまう

今思えばあんたは誰と結婚したのはてなマーク
大事にする相手を間違えてんじゃないはてなマーク
と言えるのにその当時の私は
なぜはてなマークと思っても言えなかった
だからと言って言わずにいたわけではなく
言っては見たものの
Mから返ってくる言葉が
「仕方ねぇだろ」
しかなかったのだ。

夏休みも海とか他のところに出かけたいと言うと
必ずMの父親が出てきて
「皆で出かけるぞビックリマーク
ということになる。

なんでこのメンバーで行かなきゃいけないのはてなマーク
大勢で行くと子供が多いので
子守をする羽目になる
子供が嫌いではないけど
もうちょっと自分達の時間を大切にしたかった。
ただそれだけなのに
Mはそういうことに
全く理解を示してくれなかった。
今年もまた健康診断の季節がやってきた
例年と違う点といえば
私の懐妊によりレントゲンが取れなくなったことだ。

ちょっとどきどきしながら現場に向かった。
するとどこかで見た顔が・・・
正面でなくてもすぐ分かった。Sだった。
昨年は会えなかったけど
今年はいたビックリマークって思った。
なんとなく素直に嬉しかった。

Sも私に気が付くと嬉しそうMeにこっちにきた
「marryちゃん、久しぶりだね」
「うん、久しぶり。去年会えなかったね」
「そう、あの時俺ちょうど休みでmarryちゃんいたよって
他の人に言われてあの時休まなきゃよかったって思ったよ。
でも今年は会えて良かった。
そういやいくつになったんだはてなマーク
「もう22だよ」
「早いなー俺の中ではまだ高校生のままなのに」
「そんなぁいつまでも高校生じゃないよ」
別れてもいつまでも変わらぬまま
楽しく会話が出来た。

Sの同僚らしき人達に
「紹介するよ、俺の妻ですフツーのハァト
なんて以前と同じようなことをいっていたので
「もう違うでしょうよビックリマーク
Sの背中をバシッと思い切り叩いた。
「いてぇーなく
思い切り叩いたので痛そうだった。
「性格は全然変わらないね」
「当たり前でしょう、性格は変わらないよ」
叩かれて痛いはずなのにSは嬉しそうにそういった。
昔のように私の顔を触って
「相変わらずすべすべして綺麗な肌だね」
と、褒めてもらった。

「実はね今おなかに赤ちゃんいるの
やっとできたんだよ」
と言ったらSは複雑な顔をしたが
「そうなんだ・・・おめでとう
幸せになってくれて良かったよ」
と言ってくれた。
「今、彼女とか付き合ってる人いるのはてなマーク
「うん・・・9月に結婚する」
「そうなんだ!おめでとうビックリ
心から祝福した。
Sはいい相手を見つけられたんだね。
良かった・・・。
でも実は・・・とMの実家のことを話そうとしたが
呼ばれて検診を受ける順番になってしまい
「じゃあね」
「うん、またね」
Sと別れた。それがSと交わした最後だった。

“幸せになれよ”
別れた時に言ってくれたSの背中を思い出す。
私、赤ちゃんできたけど
幸せになれてない・・・

Mを選んだことにより
不幸になる方を選択してしまった。
間違っちゃった・・・。

そんなことをいうつもりだったのか。
困らせるつもりもないけど
Sを困惑させるのはやめよう。

でもあの時に言っていれば
何かが変わっていたのかもしれない。
後悔先に立たず。

検査薬とはいえ
めでたく妊娠が判明し喜びの境地だった。
検査薬だけでは不安なので
病院へ行ってみた。


ドラマとかでやる
「おめでとうございます」
を言ってもらえなかった。
見た目が22に見えなかったのだろう
童顔の私はそのときの先生に
「産むの?」って言われた。
ひどーい!!
「もちろんですよビックリマーク

「まだ小さいから4週後にまたきて」
それだけだった。
でもエコーをとりおなかの中の赤ちゃんといっても
この頃は丸い何かだった。


そんな中Mの実家に行くことになった。
普段は嫌で仕方ないMの実家も
自分が妊娠したことにより
不思議といつもほど嫌ではなかった。

しかしMの実家に着くと
やっぱり嫌なものは嫌なままだった。


Mの実家は外も内も汚いままだった。
後妻がいるのは一目で分かった。
「こらービックリマークやんじゃないのビックリマーク
後妻が子供に怒鳴っているのが外まで丸聞こえだった。


義父に妊娠の報告をすると

「うんうんそうかそうか」
初孫ができたととても喜んだ。


義父は元々しつこい性格なので
まだ1cmにも満たないおなかの子供の名前はどうするんだ
とか男と女どっちがいいはてなマーク

など聞いてきた。
いやいやまだまだ先の話ですから・・・


それに私より自分の奥さん(後妻)のことも気にかけてやってよビックリマーク

自分の子供がもう少しで生まれるんじゃん
孫より生まれてくる自分の子供に関心を持ちなさいぷんぷん


よくよく考えると後妻の生まれてくる子供と
私の子供が同級生になってしまう!!
ありえないんですけど!!

後妻は私が妊娠したことにより
義父が孫の誕生に関心がいってしまい
今おなかにいる子供に全く関心がないことを
面白く思っていなかった。


後妻のおなかはかなり突き出ており
どこからどう見ても妊婦だった。
この夫婦は本当におかしい二人で
後妻は毎年妊娠する度に
「パパに堕ろせって言われるから」
妊娠したと本当のことを言わなかった。


でも結局最後は分かっちゃうんだから

隠していても意味ないじゃんビックリマーク
そう思うのだけど後妻は親に怒られる子供の気持ちのまま
妊娠しても決して義父には知らせなかった。

でもおなかが段々出てくるし
毎年のことだし普通はいい加減気づくでしょビックリマーク
と思うのだが義父は義父で
「何だその腹は?って聞くと
便秘っていうからそうなのかと思った。」

と訳わからんことをいう。


欲しくても出来ない人はたくさんいるのに
世話が出来ないなら産まなきゃいいじゃん
本当に命の大切さがわからないこの人達に
なんでこんなに子供がたくさんできるんだろう。
子供は親を選べないのに・・・


後妻はその苛立ちをその時はまだ私にぶつけることはなく
立場の弱い子供に矛先が向けられた。
私に懐いていたβ(ベータ)が私に手を見せてきたのだ。
なんだろうと思ってよく見ると
手の甲に丸く出来たばかりの火傷のようなあとがある。
「どうしたのこれ?」
すると次女のδ(デルタ)

「あのね、ママがやったんだよ」という。
まさか・・・ね。
β(ベータ)、どうしたのこれ」
と本人に直接聞くとδと同じ答えが返ってきた。
「ママにタバコでやられた」
するとそれを聞きつけて遠くから後妻が慌てて来た
そして仰天するようなことを言った。


「だっておまえら言うこと聞かないからじゃん」
はてなマークビックリマークはてなマークビックリマーク

信じられない・・・
いくらなんでもタバコを子供の手にはてなマークはてなマークはてなマーク
この人は親じゃない。


子供を叱る=怒る=躾 と勘違いしてる親が多いけど
この人は典型的な勘違い親だった。


Mに後からこの事を話すと
「別に関係ないしほっとけ」
の答えしか返ってこなかった。
この頃は誰にコレを話したら良いか
待ったくわからなかった。


5月になり別居生活が2ヶ月になった。
相変わらず子宝にも恵まれなかったので
髪型を変えようとパーマをかけてみた。


高3の頃以来だったので
なんとなく恥ずかしかった。


週末になりMがアパートに帰ってきた。
そして髪型を変えた私を見て一言。


「なんだそれーはてなマークどこのババアだよ」
えっはてなマークはてなマークはてなマーク?*
この当時流行っていた髪形だったのに
流行に疎いMは私に酷い言い方をした。


パーマ=ババア
という偏見があるM
「変な髪形ビックリマーク
いい歳こいて何でそんな髪型にしたわけ!?
ババアだよ、ババア!!
人を指差し、まるでバカにするかのように
笑いながら私にそう言ったのだ。

・・・訂正、本当にバカにしていたのだ。


いい歳とはいってもまだ22歳。
流行の髪型にするくらい
普通のこと。
私は本当に酷い言い方をされたので
萎縮してしまい
その時からパーマが目立たないように
髪を結ぶことにした。


せっかく思い切ってパーマをかけてみたのに
褒めろとは言わないけど
あんな言い方しなくてもいいのに・・・。


職場でも髪型を変えた私に
可愛いって言ってくれたけど
Mが私に取った行動と言動で
私は皆の言うことを素直に受け入れることが出来なかった。
それくらいMはその時私に酷い言い方をしたのだ。


あれからhとも何もなかったように
普通に接している。
hも可愛いって褒めてくれた。
そして髪を結んでおろさない私に
「なんでいつも結んでるの?
おろした方が可愛いのに・・・
あっ結んでも可愛いよ」
いつも結んでいることに疑問を持ち
気づいてくれた。
なんとなく嬉しくなって
hに理由を話した。


「なんでそんな言い方されて黙ってるの」
「うん・・・」
「俺もだけど皆可愛いって言ってるから自信もちなよ」
「ありがと・・・」
hは私の代わりに怒ってくれた
その気持ちだけで充分だった。
なんでhといないでMといるんだろ・・・。


本気でそう思った矢先のことだった・・・
あれ・・・はてなマーク
そういえばアレこないなぁ・・・

ビックリ

まっまさか・・・おこりんぼ

妊娠検査薬妊娠検査薬を買ってみた。

説明書を読むと生理予定日1週間過ぎてからと書いてあった。

数えてみるとおよそ1週間だった。

・・・・・・・・・

散々迷った挙句に試しに使ってみた。

・・・すると


陽性チェックワンファスト!!桃

うそっ・・・

できた!?

たとえMの子供でも欲しかった子供を授かったので

素直に嬉しかった。