日蓮正宗機関紙「慧妙」の6月1日号一面の
「創価学会からの脱出」を読んだ。


相変わらず、一方的な話ばかりだども
この連載は笑える内容が多いから楽しみにも
なってきた(笑)


今回は、いきなり見出しに大きく「遺体」の2文字!!
何か事件でも起きたかと思うほどの三面記事バリの
見出しに驚いたが、内容は、またまた意味不明。


直腸がんで亡くなった息子の死に様が厳しいもので
葬儀で人様にその顔を見せることができなかった。
一方、20数年前に亡くなった自分の奥さんは
人様に見せれる顔だったと。


要するに、自分が行った学会式葬儀の時に
亡くなった息子の顔とお寺方式で行った葬儀の
時の亡くなった奥さんの顔が明らかに
違うから、学会葬でおこなった息子は成仏していない
という話だ。
かなりオカルトチック!!


死に顔の様子で成仏した、しないという話だが
百歩譲って、死に様に差があるのは分かるような
気がするが、あくまでもその差は、その人自身の
「日頃の行い」によるところだと思うが。
だから「葬儀が学会形式だから成仏しない」
という話はこじつけでしょう!


だいたい、手記に書いてあるが本人は熱心に
学会の活動等もしていなかったようだ。
死に顔を論じるよりは、まず自分自身の
「日頃の行い」を見つめた方がいいと思うし
奥さんに死なれ、息子に死なれている不遇の
人生を変えようとする方が賢明なのではと。


さもなければ、この人も、葬儀で人様にお見せ
られないできない死に様になってしまうかも知れませんね。