R.I.P SIR. JOE YAMANAKA
深愛なるJOEさんへ
お疲れ様です。
僕が小さい頃
母からドラムを叩いていた親父と
JOEさんは何度かLIVEで共演していた
ことがあると聞いていて、
TVでJOEさんを観るたびに
幼いながら特別な思いでJOEさんを崇めていました。
そして時を経て
札幌のクラブ仲間だったシェリーと
そのJOEさんが
いきなり結婚するって?
そのことをシェリーから聞いた時は
耳を疑って何度も聞き返しました。
そういう運命だったんですね。
そして札幌でJOEさん、シェリーと僕らで会って
席を共にさせて頂き
飲みながらお話をさせてもらうと
JOEさんの気取らない素の格好良さと
気さくな優しさに驚きました。
プロの歌い手としての佇まいは勿論ですが
僕らMJPの曲にも二つ返事で
参加してくれた寛大さ
(その飲み会の後、僕は嬉しくて、急いでうちに戻り、レコーディングの準備したのをおぼえています)
浅草のニューイヤーロックフェスにも出させていただきました。
その時、裕也さんをはじめ
いろんなJOEさんの周りの人を紹介して頂きました。
その朝方
シーナ&ロケッツの方々や裕也さんと別れ
静かな人の少ない元旦の都内から
僕らは鎌倉にあるJOEさん邸まで一緒に電車で行き、
メンバー全員を家にあげて泊めてくれました。
布団を敷き詰めた修学旅行のような部屋の中で
プロの音楽家として生きるアドバイスとして
いろんなお話をしてくれたのを
僕は昨日のことのように忘れられません。
その後 僕がオーストラリアへ旅に行ったときも
時折お手紙を送って頂き
大変勇気をもらいました。
今でも
JOEさんが天国へ行った今でも
まだ僕は勇気を貰っています。
それだけJOEさんの存在は偉大で
僕の尊敬する数少ない人でした。
交わした言葉の数は多くはないですが
車で二人で走った札幌市内は
今思えば贅沢で不思議な時間でした。
JOEさん
JOEさんの歌声を聞いて
今夜は過ごしたいです。
そして何か困難に遭遇したときは、
いつでもJOEさんの曲を聞きこうと思います。
JOEさんの意思と行動は
これからも若い世代や
僕たちに生きる希望と勇気を与え続けます。
JOEさん
もう一回一緒にレコーディングしたかったです。
それが心残りです。
心よりご冥福をお祈りします。
どうか安らかに眠ってください。
joe
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