2012.3.11 クラコフ近くに眠る負の遺産。 | 『 べる のフーテン奇行 』

2012.3.11 クラコフ近くに眠る負の遺産。


現在???に滞在中~



ネット環境が追いつかず


時差ならぬ日差で遅れながらブログ更新中☆

現在3ヶ月遅れ!笑
それでもどんなに遅れようが毎日の出来事を更新しています。


今日もふらふらぁ~っと


「べる(BER)のフーテン奇行」


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2012.3.11 クラコフ近くに眠る負の遺産。




今日はクラコフの街から少し離れた特別な場所に訪れた。


それは
アウシュビッツ強制収容所。


アウシュビッツ強制収容所は、
ポーランド人政治犯を収容するために作られた。


周囲には
逃げられない様に高圧電流の流れる有刺鉄線











収容所の正門には
「ARBEIT MACHT FREI」働けば自由になるの文字が。



有名な話だがBの文字が逆さになっている。

一文字を逆さにすることによる
囚人の小さな抵抗だと言われている

俺はそうは思わないけど。


しかし実際は自由になるのは殺されたあと。


収容された人々は
監禁
飢えながらの重労働
医学実験

そして死刑執行の順番で殺されていった。



死を宣告されたユダヤ人のほとんどは
ここに到着してすぐにガス室に送られ殺されていった。

すぐに殺された人々はファイルにも登録されていなかった
収容所で殺された人数をつきとめるのは困難となっている。


研究者によれば約150万人の人々が殺害されたという。






息を飲んでしまうのが


殺された人の髪の毛を利用するために
残された大量の髪の毛



大量の靴





メガネ




バッグ



義足




子供のおもちゃ




殺人用に使われたガス缶。

これで彼らは20分以内に窒息死した。



双子の子供たちは医学実験の材料にされ


“死の壁”では数千人が銃殺された。






絞首台



焼却炉










その後、アウシュビッツ収容所から約3kmにビルケナウ収容所がある。
無料送迎バスもあったのだがバスの時間まではしばらくあったので
散歩がてら歩いて行った。


この辺りは大きな建物もなく
空が広く雲が綺麗だった。













ビルケナウ収容所はその敷地の広大さは
(約175ヘクタール≒53万坪)
収容者を運んでくるための鉄道が
収容所内まで直接つながっている


ここには男女合わせて10万人が収容されていた。


この門の事を人々は「死の門」呼ぶ。



国旗を掲げたユダヤ人も多く訪れている。



数多くのバラック




バラック内部





バラック内のトイレ

ネズミが大量発生していて環境は最悪だったらしい。


ここに収容されたのは労働力になる一部の人だけ。
 
労働力として認められなかった14歳以下の子供や年寄りなどは
多くのユダヤ人たちは運ばれて来るや否や殺された。






こうやってここだけ見ると
ナチスは何て酷い事をするんだって思うかもしれないけど
ただ勘違いしてはいけないと思う。 

ナチスドイツ
を生み出したヒトラーだって民主主義の選挙をして人々が選んだ人物。


結局、戦争をしている国は同じ様な事をしている。

侵略と自衛という名の元に。

自分達が知らされていない現実も多いと思う。

公表されていなかったり、隠蔽されていたり。


結局、公表された部分については
みんなはよってたかってバッシングを浴びせる。

情報って怖いね。

批判があっても傍観者とする人々は死を恐れて動けない。

その中での比較と甲乙を付けたがる。






今日アウシュビッツに訪れたのは理由があった。

今日は3.11

日本人にとって特別な日


ちょうどわしが旅に出る為に
仕事を辞めた直後に起こった震災

そこから一年



戦争と自然災害。



どちらも起きて欲しくない現実


福島の大地震と津波

アウシュビッツ



どちらも多くの方が亡くなっているが大きな違いは
しかし片方は人間の力では防ぐことの出来ない天災。
(二次被害は別としてね。)
しかしもう一方は人々の考え方次第では防ぐことの出来る現実。





あぁ~嫌だ。

アホみたいに呑気にでもこいて笑ってたいもんだね。