物腰やわらかな女性だ。
そう、大貴は思った。

春の陽気と桜も関係しているのだろうか。

いや、もっと単純なことかもしれない。
抱いた赤子に向ける女性の表情が、あまりに優しいものだから。

近所に住む若い母親なのだろう。
まだ若い大貴は、実家や両親への感謝こそあれど、特にホームシックに陥ることはなかった。
しかし、彼女が赤子に向ける様子を見ていると、どうにも、心が気恥ずかしさに似たむず痒さを訴える。

母さんも、こんなふうに自分を見てくれてたのかな。

そんな、むず痒い想い。
なんだか体が痒くなってしまい、大貴は困惑を誤魔化すように女性に笑いかけた。

「お子さんとお散歩ですか?」

女性は少しだけ赤子から視線を外し、微笑みを絶やさないままの目元を大貴に向けた後、
再び赤子に意識を戻しながらも和やかに言った。

「ええ。そろそろ桜が咲くころかと思って」
「じゃあまだ蕾で残念ですね。それでも充分綺麗ですけど」
「そうですね。本当、これでも充分に綺麗。それに温かいし、気持ちがいいわ」
「わかります。僕は春が好きなんで、散歩すると気持ちいいし桜も見れるしで」

初対面らしい、ぎこちない会話だった。特に内容もない。
それなのに大貴の心が穏やかで微笑ましいのは、春のせいだけではないだろう。
最近は少しニュースを観るだけでも、虐待や家庭内殺人といった情報が目に入ってくる。
自分が好まない情報ばかりなまじ目に付くものだから、全体がそうではないはずなのに、
異質な少数ばかりが蔓延している気にさえなるし、やがて辟易してしまう。

そんな中で、ふと身近な現実を見る。

赤の他人が微笑ましく思うくらい、彼女の面持ち、全体から漂う赤子への愛情。
(母親って、なんでこんな表情が出来るんだろう)
そのときは女性は女性とか人間なんて括りではなく、母親という生き物なんだとすら感じる。

その光景は、大貴の好きな春の情景とも重なった。

しかし、ぼさっとしているうちに、少しずつ日差しが明るくなってきていることに気が付く。
大貴は再び、女性に軽く会釈をした。

「あ、じゃあ僕はそろそろ帰ります。ええっと。お姉さんもお気をつけて」

少し悩むに、おばさんと呼ぶのは失礼な気がした。
かといって奥さんと呼ぶのも変な感じがするし、結局、お姉さんに落ち着いた。
そうすると、お姉さんは照れたように笑いながら言った。

「あら、なんだか気をつかってもらっちゃって。
 ありがとう。あなたも気をつけて帰ってね」

指摘されると恥ずかしくなるものである。
これには大貴も苦笑するしかなく、そそくさと帰宅しようとした。

「あ、そういえば」

そのついでのつもりで何気なく、最後に大貴は女性のほうに手を伸ばす。

「お子さん、とてもいい子ですね。
 短時間だったとはいえ、まったく泣いてないや」

折角なので子供の顔でも見せてもらおうと思い至ったのだ。
言葉通り、抱っこ紐に縛られて母の胸に収まっている、見るからにまだ赤子の様子だが、まったくぐずることもなかった。
これも母親の愛情からだろうか。

しかし、突然の大貴の手に驚いたのは赤子ではなく、女性のほうだった。

さっと条件反射のように身を引き、すぐにそれに気が付いた様子で眉を下げた。
初めて赤子から完全に意識を外し、申し訳なさそうな表情を大貴に向けた。

「あっ、ご、ごめんなさい……。
 この子ぐずったりはしないんだけど、それはあまり体の強い子じゃないから声も上げないだけで…、
 私以外の人だと不安になるみたいだし、その、本当、ごめんなさいね」

慌てて謝罪をする女性。
少々驚いていた大貴だが、そんなに愁傷にされるとどうしていいかわからなくなってしまう。
そこで、それ以上の謝罪や気まずさにならないよう、大貴も慌てて手を引いた。

「いやいや、そんな事情も知らずに、こちらこそ突然すみません。
 それじゃ仕方ないですし、そんなに気にしないでください!
 えっと、それより、お子さんが健康に育ってくれるといいですね」

大貴としてはなにか気の利いたことでも言いたかったのだが、ただの社交辞令のようになってしまった。
赤子の知識はもちろんだが、言葉数も少ないというのはこういうときに困る。
しかし、女性はさして気にしていないようだった。
素直に大貴の言葉に頷くと表情も固さを崩し、

「ええ、ありがとう」

と、微笑んだ。

女性は会釈をした後、再び赤子をあやしながら桜を見ていた。
なんとか場も落ち着いて一段落ついたので、今度こそ大貴も帰路に着く。

途中でふと振り返ると、女性は最初と同じようにずっと赤子に笑顔で語りかけていた。
暖かい風に揺れる桜の枝の下で、なだらかに黒服を揺らしながら。

少しどきどきもしたが、そう悪い一時ではなかったなと、大貴も笑顔になり、心をあたたかくしながら部屋に戻ることにした。


それが、大貴が女性と言葉を交わした、最初の日だった。




to be...キマグレネクスト。


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1。