「雨更紗」












雨が降りだしたな、と思った。


だけど、カーテンを閉めたままの窓に視線をやっても、雨は見えない。

何故なら、カーテンは遮光性である上に、しっかりと閉まっていたからだ。
なにを当たり前のことを…、と、思われるかもしれない。

でも僕は、その当たり前のことが、なんだかとても怖かった。

目に映っているわけでもないのに、
僕らはみんな、雨が降ったことを理解している。

音だけで既に判別が出来るということは、経験から成せる業なのだろう。


外で雨に打たれたことがあるから。

傘を差して雨の中を歩いたことがあるから。

これは雨だよ、と、教えてもらったことがあるから。

僕たちは、雨の音を学習している。


でも、もしかしたら。

目に映した途端、それが別のものだったとしたら、僕はどうなるのだろうか。


突飛すぎるものじゃなくたって、いい。

例えば、「実はこれは雨ではなくて、降っているのは人間の塊でした」なんてことになったとしたら、
僕はどうなるのだろうか、なんて仮定をするまでもなく、僕はショック死してしまえると思う。


ほんの少しの違い。

そう、もしも、カーテンを開けて窓を開けたら、


確かにそれは雨のような形をしているし、

確かにそれは雨の音なのだけれども、

何故か空に広がる雲の色が僕の知っている雨雲の色ではなくて、

何故か空に広がる雲の色は僕が知らない雨雲の色で、お母さんの唇のように真紅で埋め尽くされていたとしたら。


もしかすると、単なる自然現象の一端かもしれない。

工場の影響で一時的にそう見えるだけだとか、
夕焼けが赤く染まっている原理に近い現象で、といった、

僕が知らない科学的根拠が存在しているのかもしれない。


それでも、僕は。



人は大抵の場合、学習能力があるらしい。

経験から想像して正しい像を結ぶ。

そんな当たり前の事柄が、僕は怖くなってしまった。

今日は、外は雨。

それだけのはずだ。雨が降っているだけのはずだった。


僕は、それを見るのが怖い。


音から想像した雨が、もしかしたら知っているものと違う形かもしれないことも、
実際に見てみると、自分が知っているそのままのものであるのを確かめることも、

どちらも怖いんだ。

当たり前か摩訶不思議か、当然なのか異常なのか。

誰がどうやって基準を決めたのか、僕は知らない。

構築された雨が降る過程の定説は正しいのかどうか、
そんなもの、僕は知らない。


考えることが怖いから、今日も僕はベッドにもぐった。


お母さん、ごめんなさい。

でも僕は、後ろ指をさされるために、外に出たくなんてないんです。

だから今日も、僕はベッドにもぐります。




<終>