【都知事選2024】誰がために公約は有る | 博打の負けは仕事で取り返す!

【都知事選2024】誰がために公約は有る

 東京都知事選と同日に行われる鹿児島県知事選は、現職の塩田康一氏の優位が伝えられている。

 ここは川内原発運転延長問題がある。川内と書いて「せんだい」と読む。

 塩田知事は選挙時、県民投票の実施を公約としていたが、さて県民投票やるじゃろかいとなると議会に対して「慎重に判断を」とちょっぴり頓珍漢になってしまった。

 まあ物事というのは0か1かで判断していいことはあまりなく、0に付帯することも1に付帯することもケアする必要がある。デリケートに扱うべき問題を県民投票に落とし込むなら、前段階の議論を丁寧に慎重にやるべきだ。

 しかしやはりこの知事の姿勢を「公約違反」と受け取る県民も少なからずいる。

 

 その前の県知事が三反園氏である。2016年に反原発を掲げ当選を果たすも、県知事の椅子から見える景色は思ったよりも開けてなかったようで、次第に容認へと転じていった。もちろん「公約違反」である。

 この事があり2020年県知事選では鹿児島県民は三反園氏を落選させ、塩田氏を選出したという経緯がある。

 

 さて公約といえば小池氏もいろいろと都民と約束をしたような気がする。

 それほど電柱がなくなったようには見えないが。

 

 政治家の人というのは、あまり公約を守らないような気がする。

 

 記憶に新しいのは2010年の民主党だ。

 一丁目一番地に「子ども手当」を掲げ、「高速道路無料化」とかも言っていた。

 子ども手当は満額こそ無理ではあったが、児童手当の拡充に貢献し一定の成果を見せた。だがその他、例えば高速道路無料化に至っては完全に頓挫してしまった。

 約束したことはやって欲しいが、できると思ったけどできなかったという事もあるだろう。

 

 それはまあいい。

 

 国民との約束のその多くを果たせなかった民主党は、2013年の衆院選で見事に鉄槌を下された。

 民主党は民主党なりに頑張ったのかも知れないが、出来もしねえ夢みてえな事ばっか言って出来ませんでしたじゃ選挙で国民からぶん殴られるのは当たり前である。

 まあ民主党が殴られたのは他の原因もあるんだろうが。

 

 公約を守らなかった政治家を再選出してしまうというのは、私に言わせると「あなたは約束を守らなくてもいいですよ」というお墨付きを与えるようなものだ。

 選挙で何を言っていても、それをやらなくても投票してくれるのであれば、政治家が公約を守る必要はない。

 

 都民は、8年間の小池都政をどう評価するだろうか。

 

 公約が達成されたとは言い難くとも、それに対する取り組みが見えて、道半ばなれど評価するという項目もあろう。

 あるいはペット殺処分ゼロのように達成されたとする項目も、国の殺処分の定義を当てはめたらゼロちゃうやんかというのもあるかも知れない。

 

 4年前の都知事選で360万票と、都民は小池都政に一定の評価を与えたと言える結果になった。

 

 

 え、マジか都民。

 

 なんておおらかなんだ君たちは。

 

 

 あの時小池都政に合格点を出す人は少ないと思っていた。また 女帝 小池百合子 もベストセラーとなり、結構な逆風なんじゃないのと思っていた私の見立ては大ハズレとなったのである。

 

 私は公約を守らなかった政治家を再選してはならないと考える。一度は落とさないといけない。先にも述べたが、それは約束破りを許容する事になるからだ。

 守れない約束をする政治家さんサイドにも問題はあるが、それに寛容である都民にも問題がある。そしてそれがどれほどいるかというのは得票数で示される。

 

 小池都政を振り返った時、掲げた公約に対する取り組みは充分であったと評価する都民だってもちろんいるだろう。

 しかし私に言わせると、この成果で「よくやりました」というのは、あまりにも「公約」というものが軽すぎると思ってしまう。

 

 青島幸雄は世界都市博中止を公約に掲げ、実際に中止した。

 その他の公約を守ることはできなかったが、世界都市博については都民との約束を履行した。

 この決定の是非はともかく、中止は民意によるものだ。

 これによって少なくない都民がダメージを受けたと思うが、青島を恨むのはお門違いだ。都市博中止を公約に掲げる候補を選出したのは都民なのである。

 青島幸雄は公約を守った事で批判にさらされ議会とも対立した。

 

 利害を説く議員に、青島はこう言った。「金額の問題ではなく、中止を公約した政治家の信義の問題だ」と。

 青島は、損得より上に信義を置いた。

 

 公約だから、約束だから、信義だからと闇雲にそれを実施することの愚かしさは確かにあるだろう。

 履行する事で、都民を余計に苦しめるという事だってある。多分。

 その公約を守ることが、何万人もの失業者を生んだり、あるいは多くの命を失う事に繋がる事だってあるかも知れない。外側から見ているだけでは分からない事がある。都知事の椅子に座れば見える景色も変わるだろう。

 だから公約は何があっても必ず守られなくてはならないとまでは言わない。

 

 しかしその時は、なぜ公約を履行できないのか充分な説明をした上で、職を辞して欲しい。

 

 本来、それほど公約というものは、約束というものは大切に扱われなくてはならないものなのではないだろうか。

 昨今の政治家は、あまりに軽はずみに公約を掲げてはいないか?

 有権者は、繰り返される公約不履行に鈍感になってはいないか?

 

 選挙公約は有権者が現職を再選出するかどうか、その大きな判断材料であろう。

 しかしそれが集票のための空手形として使われるのであるなら、果たして公約とは誰のために有るのか。

 

 なんて事を思ったりもするけれど、よくよく考えてみたら私のような泡沫候補マニアにはどうでもいい話なのであった。