カルト宗教信じてました。
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別のショップのリンクを追加・編集エホバの証人の性被害のニュースを受けて以前ブログを書いたのだが、X(旧Twitter)って探してみると結構元JW2の人がいるという事に驚いた。
色々と読ませてもらったが、みんな大変なんだなあと申し訳なく思ってしまう。
と、言うのも俺はエホバの証人二世ではあったが、遥か遠い昔、小学校の高学年頃には脱出したので大して悩みはない。
カルト宗教信じてました(たもさん著)という漫画も読んだ。
いやー苦労してんなー。本当に申し訳ない。
というわけで、アフィリエイトを貼っておくので是非ともここから買ってこの俺にお小遣いをくれたまえ。アドセンスクリックお願いしますとか書いたらいいんだっけ? 書いたらダメなんだっけ? ま、どっちでもいいや。
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カルト宗教やめました。
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俺はとにかく集会が嫌いだった。
集会とはエホバの証人が集まって聖書の研究とかやるやつで、その時間は1時間、乃至2時間。非常に退屈極まりない催しである。これが週3回もある。
日曜の午前中はパーマンとか、木曜日は北斗の拳とか、そういう観たいアニメもあるのに、集会とかいう退屈なものに連れて行かれるのが嫌で嫌でしょうがなかった。
あまりにも嫌だったので、逃げ回ったり隠れたり母親と喧嘩しまくった。
俺はガキの頃からハルマゲドン(世界の終末)だとか楽園に行けるとかいう与太話を頭から信じてなかった。小学校の四年生くらいになると「楽園に行きたくないの?」と言われても「そんなとこ行きたくねえよ。俺が行きたいのはゲーセンだ」と言い放つくらいには信じてなかった。
サタン様サタン様お救い下さいとか大声で叫んで母親を煽りまくってケンカばかりしていた。
小学校の高学年にもなると、母親が力尽くでというのは無理になってくる。幸い父親は信者じゃなかったため、この件については母親とだけ戦えばよかった。
大会というのも何度も連れて行かれた。どこからそんな金が出ているのか知らんが、デカい箱を借りて「集会のデカいバージョン」をやっている。
小学校の低学年だと体力で大人には敵わない。どうやって逃げるかというと、直前まで「え? 普通に行きますけど何か?」みたいな顔をしておいて、当日出発する5分前くらいに失踪するという手段である。
トイレに逃げ込んだり屋根裏に逃げ込んだり、外に逃げたりという具合である。
そんな事をすれば後が怖いと容易に想像が付くのだが、反省したフリをしておけば大体なんとかなった。
とは言え、勿論毎回そんな修羅場を繰り広げていたわけでもなく、頻度としては3回も(大会に)付き合ってやったら1回は逃げていいだろという感じだった。
俺のところの会衆(地域別のエホバの証人グループ)では、「クジラを食べてはいけない」というものがあった。
当時、学校給食でクジラが供される事があった。
その時エホバの証人二世の子供たちはそれを食べない。みんなそうしていた。
もちろん俺は「食べなかった」と嘘をついてもしゃもしゃ食べていた。美味かった。
クジラを食べると楽園にいけないときっちり脅されてはいたが、「そんなもん言わんけりゃ分からんやろ」と軽く考えていたのもあったし、そもそも四歳の弟を騙してカップラーメンを取り上げたりする程度には食い意地が汚かった俺に目の前の飯を我慢するとかいう事が出来るはずもなかった。
エホバの証人の教えというのはあまりにも抵抗があった。
あれはだめ、これもだめ、それもだめ。
クリスマスは祝っちゃいけない、誕生日もダメ、盆も正月もない。
世の中の楽しそうなイベントに全く参加できないのである。
小学五年生の頃、友達から誕生日会に誘われた。
俺はこっそり行くことにした。
しかし誕生日会というものはこの時始めてだったので、俺はどうすればいいのかわからなかった。ただ誕生日なら誕生日プレゼントを持っていかなければならないだろう。それはどんなものだろう?
ガキだから金なんか持ってない。俺は、コンビニで100円のシャーペンを1本買って、当然包装もないそのまま持っていった。そして玄関先で「誕生日プレゼント」といってそのシャーペンを裸のまま渡した。
そこでちょっとドン引きされて、俺は「あれ? やっちゃったのかな?」と思ったものである。誕生日会というのは自分ではしてもらった事もないし、始めて参加するんだから段取りが全くわからない。
俺がこんな恥をかいたのも全部エホバのせいだ、と。
こんな感じで簡単にエホバを逆恨みできる程度には、信仰心が薄かった。
エホバの証人の教えの矛盾にはついていけなかった。
暴力禁止だとかいいながら子供を「ムチ」で躾ける事を奨励するエホバの証人。
ムチ。
ガキの頃は本当に恐怖だった。
ベルトで尻を叩かれるのだ。何度も何度も。とにかく言う事を聞かなければ「ムチ」とか言って尻をベルトで叩かれまくる。
まあ別に子供の尻をひっ叩いて躾けるという事自体は分かる。世代的に。俺の世代だと親に殴られていない子供というのは珍しいくらいなもんだ。
でも暴力禁止だったんじゃないのか、なんでムチとやらはいいんだというあたりがいい加減なのである。
話に一貫性がないとか、矛盾しているとか、そういうのがやたら目につく。元々エホバ嫌いだし。
なにが終末には雲の上から天の軍隊が裁きに来るだ。僕らが生まれてくるずっとずっと前にはもう、アポロ11号は月に行ってんだってんだこの野郎。
そんな与太話に付き合えるのも小学校の低学年まで。
高学年になってくると怒りを通り越して怖くなってくるのである。
この(信者の)大人たちはあんな与太話を本当に信じているのだろうか?
もし本当にあんな与太話を信じているとしたら、こいつらは馬鹿だと思った。
最初は馬鹿なのかなと思っていたが、そのうち薄気味悪くなってくる。大人がこんな馬鹿な話を本気で信じるものだろうか、いやそんなわけがない、と思い始める。じゃあなんでこの人たちはまるで本当に信じているかのようなフリをするのだろうか? それが分からなくて気持ち悪かった。
そして怖くなる。
まさか本当に、聖書に書かれていることが事実だと思っている?
この地は神が7日で創造したとか、人類の祖先はアダムとエバ(※一般的にはイヴと言われることが多いが、エホバの証人は「エバ」と呼ぶ)だとか、それはまあそれでよくある「神話」ではあろうが、別に事実ではない。
日本列島が、イザナギの矛の先についた泥が海に落ちて出来たわけではないように。
それはさすがに小学生でも分かる。
現実とフィクションの区別くらいつく。数多ある神話の一つ、読み物として面白くは読んでも、結局は昔の人が考えたこの世の始まりシリーズの一つ。
だからハルマゲドンだって現実にはそんな事は起こらないし、楽園にしてもそれが現実の話ではないというのは共有された事実だと当然思っているわけだ。
それを本気で信じているとしたらちょっとどうかしている。
ノストラダムスの大予言を信じているとか、サンタクロースの存在を信じているとか、そういうレベルだ。それもいい大人が。
さすがに付き合ってられないのである。
集会に行くと俺の態度があまりにも悪いので、周りの兄弟姉妹から説教されたりというのもよくあった。
「まさか復活を信じてないの?」
ええ……。
まさか信じてるの? と聞き返すわけにも行かず、苦笑いして目を逸らす事しか出来なかった。
ドラゴンボールが実在しないこの世界で、復活を信じろと言われても無理がある。
ある日姉に訊いた事がある。復活を信じているのか、と。
「はあ? 知らんよ。そんな事考えたこともない」
姉は4歳くらいで神権学校デビューをさせられ、ちゃんと集会もサボらずいっているバキバキのJW2と思っていたが、「お母さんが信じてるだけ。私は知らん」とハッキリと言ってのけたので笑ってしまった。単に親に付き合っているだけだったのだ。
実際、姉はなんだかんだ先延ばしにしてバプテスマ(洗礼の儀式)も回避して、誰と揉め合うわけでもなく上手に自然消滅していた。
閑話休題。
伝道にもつきあわされた。
訪問して信者を増やす、いってみれば飛び込み営業である。
そして「ウチはそういうの結構です!」と厳しく断られたりするところを幾度となく見た。
その態度はまるで変な勧誘を断っているかのようであったが、今にして思えば変な勧誘を断っていたのだから当たり前の事である。
エホバの証人にいい思い出はなく、エホバの証人の悪口ならいくらでも出てくるが、別に私は教義が嫌だとかそういう理由で脱エホバしたわけではない。
ただただつまらなかったのが原因である。
小学校の六年生くらいから、集会に全く行かなくなった。
母親はヒステリックに俺を集会に連れて行こうとするが、フィジカルで黙らせた。
クソくだらんエホバなんかやってられるかボケカスというような事を平気で言っていた。あんなもんやってるやつはみんな大バカだ、お前もバカだし◯◯兄弟も△△姉妹も、あそこにいるやつはみんな頭のおかしいバカだ。あんな頭のおかしい連中しかいない楽園とか地獄そのもの。誰がそんなとこに行きたがるか!
これを聞いて母親はヒステリーを起こしたが、やはりフィジカルで黙らせた。
サタンの勝利である。
口喧嘩でも身体の喧嘩でも、もはや息子に勝てないと悟ると、流石に母も諦めた。
そうして俺は、割りと早い時期に脱エホバを果たしたので他の二世のような悩みや苦労というのが分かち合えるほどない。
エホバの証人については大人になってから調べたので、その辺にいる末端のエホバの証人より恐らく詳しいのではないかと思う。
前回も述べたが、エホバの証人はエホバの証人の事についてあまり調べたらいけないというのがある。制限を課されていない俺の方が詳しくなるのは不自然な事ではない。だから調べた事を母に教えてやると「背教者の言葉には耳を貸さん」と言われる。俺は背教者と言われ、ニヤニヤしながら畳み掛ける。
お前はサタンに取り憑かれていると何度も言われたが、我こそがサタンの化身なりと豪語する俺に何を言っても無駄である。
まあ何を言っても無駄なのはお互い様なんだけれども。
エホバの証人は離婚は禁止されているが、初代会長のチャールズ・ラッセルが妻マリア・ラッセルと離婚調停で泥沼の争いをしていた事はあまり知られていない。知っているエホバの証人もいるだろうが、それも異教徒の捏造としてであろう。彼らにとって都合の悪いことは、異教徒や背教者、即ちサタンの仕業にすれば万事解決という仕組みになっている。裁判記録があろうが知ったこっちゃない。
さてそのラッセルが1916年に死んだあと、二代目の座を巡って権力闘争が起きている。
これに勝利したのがラザフォードであった。
このラザフォードというおっさんが強権的な独裁者であった。ラザフォードは二代目会長となり自身に権力を集中させていった。先代会長ラッセルの遺志はあまり尊重されなかった。それに反発した理事は勿論いた。選挙を通さずラッセルから直接任命された理事達である。
ラザフォードは大体スターリンだったので、これらの人達を勿論追い出した。見事な独裁っぷりである。
追い出された理事達は1918年に新しい教派を作り分派した。これをラッセル派という。
ラッセルの組織のメンバーは聖書研究者と呼ばれていた。その組織の呼称は「聖書研究会」となる。
簡単に言えば、この時に分裂したラッセル派が「聖書研究会」で、ラザフォード派が「エホバの証人」の源流である。
つまりエホバの証人は亜流なのだ。
現在のエホバの証人は当たり前にクリスマスを祝うことはないだろう。それがいつからそうなったかという事をエホバの証人に尋ねても、おそらく「最初からそうだった」としか言わないのではないか。
1927年である。
シオンのものみの塔冊子協会が1881年の発足であり、ラッセルは1916年没である。
即ち発足から46年後に、ラザフォードによって宣言された。
我々二世からクリスマスケーキとチキンを取り上げた犯人は、ラザフォードだったのである。
記録によると、1927年以降はクリスマスディナーは提供されなくなったとある。
逆に言えば1926年以前は、彼らはクリスマスディナーをパクパク食べていたという事である。俺がガキの頃に食べられなかったケーキとチキンを!
ついでに言えば「誕生日のお祝い」もこのあたりで禁止されたのではないかと思っている。
聖書がそれを禁じているわけではない事はjw.orgも認めている。
因みに旧約聖書のヨブ記を見ると1章4節にこう書いてある。
その息子たちはめいめい自分の日に自分の家で振る舞いを設け、その三人の姉妹をも招いて一緒に飲み食いするのを常とした。(ヨブ記1:4)
エホバの証人が使う聖書とは翻訳が違うが、書いてある内容は同じである。
この「自分の日」とは自然に読むと誕生日の事で、信者であるヨブの息子たちが宴を設けている様子が描かれている。
余談だがこのヨブ記について、俺は「ちょ、神様ひどっ」とか思ってしまうのだが、聖書の内容に突っ込みだすと修復不可能なほど脱線するし多分バチカンも激おこぷんぷん丸なので今はやめておこう。バチカンが怒るような事は以前も書いてるんだけどね。馬小屋で出産させるのはDVじゃないのかとか。
閑話休題。ラザフォードの強権と独裁は、後のエホバの証人から多くの喜びを取り上げたが、同時に現在の組織の礎を作り、宗教利権を確立させたのではないかと考えている。
1931年7月。オハイオ州コロンブスで全国大会が催された。
ここで初めて「エホバの証人」という現在の呼称が確認できる。
ラザフォードはこれによってラッセル派と自分たちを明確に区別したのである。
ラザフォードの死後、基盤を受け継ぎ三代目会長となったのはネイサン・ノアである。
輸血禁止、神権宣教学校の設置、中央集権体制の確立、排斥処分の拡大──この人の代の事である。
この人を調べていると、俺の感想だが「ビジネスとしてのエホバの証人」という印象を受ける。あるいはエホバの証人でビジネスをしていると言い換えてもいい。ノアの在職中にエホバの証人はその信者数を20倍にした。単純に言えば、動く金も20倍になっている。
この時代に組織の利権構造がかなり複雑化されたのではないだろうか。
ノア以降はフランズ、ヘンシェル、アダムスと続き、現在は七代目会長のロバート・ルイス・シランコとなっている。
現在のエホバの証人は統治体を頂点とするピラミッド構造になっており、会長は権威を持ち、権力については統治体が預かっている。
現在は統治体に9人の名前がある。また執筆委員会にシランコの名前を見つける事ができるが、彼は統治体の構成員には含まれない。
彼らの権力のバックボーンとなっているのは、その全てが宗教的背景によるものではなく、「ペンシルバニア州ものみの塔聖書冊子協会(Watch Tower Bible and Tract Society of Pensylvania)」及び「ニューヨーク法人ものみの塔聖書冊子協会(Watchtower Bible and Tract Society of New York, Inc.)」という法人組織にある。
つまり会社組織なのだ。会社なので役員もいるし株主もいる。株主総会もある。尤も、非営利法人であり、誰もが株を取得できるわけではない。そのように定款で制限されている。
組織というものは、誰が誰の生殺与奪権を持つかという統制順序の存在が必要不可欠であり、その権力の存在場所を明確化することで運営される。
会社であれば人事権がそれに当たり、ではその人事権は何によって担保されているのかという話になる。
ここに「株式」があり「株主総会」と「役員会」があれば話は早い。
株主はその総会で役員を選出し、権限を預けて組織の運用を任せる。これにより役員もしくは役員会が、その組織で人事権を行使する根拠が形成される。
権力・権限の大小は会社組織であれば「動かせる金額」で計れるだろう。
この組織において、トップクラスはどの程度の権力者なのだろうか?
ニューヨーク法人は従業員3000人を超える大企業で、年間収益は約8億ドルとあった。(因みに「目ざめよ」「ものみの塔」など発行物の著作権を持つペンシルバニアは従業員30人で4000万ドルとこれはこれで凄い)
いやー「儲」けるって字、やっぱ「信者」が由来なんじゃないの? ※もちろん違います
因みにニューヨーク法人のCEOはラムゼー(Gregory Ramsey)という人らしいが、この人は統治体でもなく、jw.orgでも名前が全く出てこないので何者かさっぱり分からない。
さて2021年の「裕福な協会ベスト15」という記事だが、そこにエホバの証人も名を連ねており、推定資産は1.5B(15億ドル=約2200億円)となっていた。
この記事の信憑性は定かではないが、2019年にロシア当局がエホバの証人の資産を差し押さえたという記事で、その資産の推定値が5700万ドルとあったので、本部はその10倍の6億ドル程度は充分あるんじゃないかと思う。
こんな会社組織に権力闘争や利権・派閥争いがないわけねえだろ。
別に権力闘争は悪い事じゃない。そもそも競争と繁栄はセットみたいなもんだ。
機関誌「ものみの塔」の発行部数は4200万部(※6165万部という数字もあるがここではjw.orgを採用)だそうだ。「目ざめよ」は4100万部。こんなもんがワンピースより売れていいわけねえだろ。無償配布だから売ってるわけじゃない? 自発的な寄附で賄われてる? うるせえ黙れこの野郎、刷って金になるからお前らの組織は8億ドルも売り上げるんだろうが。
そんな金のうねる優良企業を守るものは、当然の如く世の法である。
この世はサタンに支配されていると言いながら、サタンの世の約束事を守る事でその存在を許されている。
彼らは最終的には、エホバではなく法に頼る。
今に始まった話ではなく、二代目のラザフォードは対立するジョンソンを追放する時に警察を使っている。
統治体の身分や権力、そして財産を保証しているのは、紛れもなくアメリカ州法だ。
さてこれだけ金のうなる組織があって、その組織で権限を行使できる立場の人間ならば、そこから金を吸い上げるなんてのは難しい作業ではない。
印刷会社を買ってものみの塔を刷ってもいい。労働力の多くが「奉仕」というボランティアで賄われているとするなら、印刷機材を売る会社の株を持てばいい。金を動かす事ができればやりようはいくらでもある。これが利権というものだ。
会社には予算策定というものがある。
1000万ドルで出来る仕事に2000万ドルの予算がつけば、1000万ドルを自分の懐に流し込める。ものすごく単純に言えば、定価の倍の値段で買うから半分キックバックしてくれという事だ。その会社の役員になって役員報酬で15億円持っていくとかそんな感じでいい。
ま、それはいいや。
結局あれだよね、全世界に239の支部を持ち、11万7960の営業所を構え、ボランティアで働く協力者が869万9048人いる会社組織があってさ。
ほんでその資産運用はJPモルガンに投資信託している分だけを数えても1億ドル以上あるらしいって。
主な商売は発行物であり、それを無給で喜んで働く協力者が一人平均100ドルを自分で買うか売り上げるかすれば、年商8億ドルになりますよって超優良企業を、9人の役員で経営しているみたいなね。
多くの真面目で敬虔でナイーブなエホバの証人信者が考えているよりも、その実態は複雑でドロドロしたものなんじゃないかしらね、という。
まあ俺の想像である。
俺が未だに一番恨んでいるのは、ウチに奉仕活動とか言って伝道に来たヤツである。
そいつが余計な事をしなければ、俺は誕生日プレゼントも貰えたし、クリスマスケーキも食べる事ができた。
家族で初詣に行くなんて思い出もあったかも知れないし、木曜日のアニメ北斗の拳も観る事が出来た。
要するに、あなた方が良かれと思ってしている事は、恨まれているのである。
確かに、エホバの証人に巻き取られなくても、他のカルトに捕まったかも知れない。それは分からない。
しかしそれでも、伝道ってのは、俺に言わせれば不幸を撒き散らす行為に他ならない。
あなたが、いつまでも来ないハルマゲドンを信じていても構わないし、金を海老名に貢ごうがウォーウィックに貢ごうが知ったことではない。
わざわざ教えにきてくれなくても結構なのである。
ほんともう、いい迷惑というか有難迷惑というか。
悪意がないどころか、善意のかたまりなのがまた質が悪い。救うために伝道してるから、悪気があるはずもない。
いい事をしてると思っている。
しかしはっきり言って、迷惑であり害悪なのだ。
エホバの証人は、伝道によって不幸を作っているのだ。
信仰によって家庭が崩壊した例もあるし、性被害にあった子供もいる。そして輸血拒否で幼い命を失った子も。
神の思し召しとかそういう話ではなく、誰かが伝道したその結果である。
そして次に、その不幸を伝道する誰かになるのは、あなたかも知れない。
悪意のないあなたのその行為は、もしかしたら誰かを死なせる事につながるかも知れない。
そして俺のような大して悩みのないエホバの証人二世ですら、わざわざ余計な事を教えに来やがった伝道者を恨み、もっと言えば憎んでいる。
あいつさえ来なければ……。
吐き捨てるように言われているそのあいつは、もしかしたらあなたの事なのかも知れない。