世界の果汁が飲める店 ~歌舞伎町「マルス」よ永遠に~
当ブログをごひいきになれている皆さまに感謝の意を表します。
記念すべき50回目と言うことでとっておきのB級店を紹介しようとやってきたのは歌舞伎町。
コマ劇場裏のラブホテル街にポツンと佇む「マルス」という店だ。
なんともクラシカルな外観にただ者ならない雰囲気を感じる、私好みの店である。
扉には「天然果汁を作る店」と書いてある。
フレッシュジュースを飲ませる喫茶店といったところだろうか。
(「世界の果汁ヲ飲みましょう」と書かれた看板も)
この店に初めて足を踏み入れたのは大学1年の時だ。
怪しい雰囲気につられてフラフラと店に吸い込まれていったのを昨日のように思い出す。
ギーッと扉を開けるとまずフルーツが並べられた大きなショーケースがお出迎えしてくれる。
店にはいわゆるボーイの正装をした、いかにも無愛想な感じの老店主が新聞を読んで座っている。
チラとこちらを見るがまた新聞へと目を落とす。
気にもならない、といった様子だ。
なんだか私などの若輩者が来てはいけない場所に足を踏み入れてしまったのではないかと思い、緊張感が走る。
他に客は誰もいない。
店の奥には当時でもほとんど見掛けなくなったダルマストーブが置かれている。
その隣に腰を下ろしてみる。
しばらくして老店主がのそりとメニューを持ってきた。
キウイ、パパイヤ、マンゴー、オレンジといった定番フルーツからドリアン、ザクロなんてものまであった。
ドリアン助川はまだ世にいない。
ドリアンなる未知のフルーツに手を伸ばそうかと思ったが、
「この若造が、いっちょ前にドリアンなんか注文しやがってよ」と老店主に思われそうな気配を感じ、
無難にマンゴーをオーダーする。
キミたちキウイ、パパイヤ、マンゴーだね(by 中原めいこ)
ショーケースからマンゴーを取り出した老店主は無造作にミキサーにかける。
ものの30秒ほどでマンゴージュースの出来上がりだ。
ジュースを手に老店主はニラミをきかせてやってくる。
その様子は「飲み終わったらさっさと帰りやがれ」と言っているような気さえする。
かなり気後れしながらもドリンクがきたことで幾分ホッとした。
これでようやく客扱いされることだろう。
私はこの手のクラシカルな喫茶店マニアであったので、
(「ベニスの商人じゃあるまいし…」~嗚呼、懐かしの東中野「モカ」~参照 )
いつものように雰囲気を楽しむべく、店内チェックをしたり、
この店の様子を日記に書いたりして、たゆたゆとした時間を過ごそう、と思っていた。
時間は午後4時すぎ。
陽はまだ高く、あいかわらず客は私だけ、といった状況だった。
しばらくすると先程の私の勘もまんざらではなかった、と思い知らされることになる。
「さっさと飲んで帰ってもらえますか?」と老店主が私に言うのである。
私は一瞬、耳を疑った。
「エッ?この客が誰もいない状況でか」と絶句する。
入店してからまだ30分も経っていなかったことだろう。
長居するつもりだったので、グラスには天然果汁がまだ1/3程残っている。
しかし、有無を言わせない老店主の迫力に圧倒されて、
残りの果汁を一気にすするとそそくさと退散した。
ここは喫茶店ではないのだ。
あくまでも天然果汁を作る店であって、作ってやるからさっさと飲め、ということなのだろう。
もしくは、フレッシュジュースは30分以内に飲まなければ味が劣化するのだろうか…
謎だ。
謎だが、この超無愛想な店主に心ひかれるものを感じた。
またひどい仕打ちをされてみたい、もっとハードにお願いね、ってなもんである。
私はMか…
以後、人生に行き詰まったり、やりきれない気分の時などは老店主の仕打ちを受けに通うようになった。
何度行こうが老店主が微笑みかけることはなかった。
時にはうぶな客に向かって「さっさと帰れ」発言をしているのを目撃することもあった。
そのたびに私は心の中でこう思ったものだ。
「この試練を乗り越えて、立派な客になるのだぞ」と。
こうして私は20分きっかりに店を後にする優秀な客となった。
初めて訪れてから10年くらい経った頃だろうか、
ようやく老店主の視線が「コイツもちょっとはやるようになったな」と言ってくれているような気がした。
私は会計するときに思い切って話しかけてみた。
「ごちそうさまでした」
老店主は「ムム」といった表情を浮かべ、初めてこれまた口を開いてくれた。
「毎度」
感動した。
ジーンと感動した。
ようやく老店主に認められた、そんな気がして自分もようやく大人になれた、
そんな気さえした。
この10年…いろいろなことがあった。
初体験もした。
ハワイにも行った。
クラブにも通った…
しかし、どんな経験を積んでも大人になった実感は湧いてこなかった。
そう、この老店主に認められるためにオレは人生を歩んでいたんだ、
そうに違いないもんね、と思っていたのだ。
ついにオレも大人の仲間入りだぜ…
その喜びを噛みしめるために歌舞伎町のネオンの中に消えていったのは想像に難くないが…
ここしばらく店に行っていなかったので久しぶりに老店主に会えるのを楽しみに足を運んだ。
おっ、昔のままの店構えだ。
しかし、看板が出ていない。
扉は閉まっている。
おそるおそる中の様子を覗いてみる。
店内はしばらく使われていないようだ。
ただの休業日なのかそれとも閉店してしまったのか…
入り口の窓からずっと店内を見ているともうそこには老店主はいないであろうことがなんとはなくだが伝わってきた。
もうこの店で緊張感のある時間を過ごすことはできないのであろう。
そう思うとじんわりとしたものが込み上げてくるのを感じた。
店の奥にはダルマストーブから姿を変えた、石油ストーブが置かれていた。
「さっさと飲んで帰ってもらえますか?」
老店主の声がふと聞こえてきた、ような気がした。
長居するのはこの店では無粋だ。
私は後ろ髪が引かれる思いながらも振り返らずに店を後にした。
●「マルス」
東京都新宿区歌舞伎町
現在は閉店