津山事件とは、日本のみならず、世界の犯罪史上でも屈指の殺人事件。
昭和13(1938)年に岡山県の西加茂村で起きた、一夜にして30人の村人が虐殺された大量殺人事件である。
犯人は、都井睦雄という当時21歳の青年。
彼は幼い頃に結核で両親を亡くし、姉と共に祖母に引き取られ、祖母の生まれ故郷の寒村へと越した。
睦雄は病弱だったため、尋常小学校への進学が1年遅れたものの、成績は優秀だった。しかし進学を間近に控えた頃、肺病を患っている事が発覚。
両親と同じ不治の病…結核と診断され、進学を諦めざるを得なかった彼は、家の中で安穏とした生活を送っていた。
とは言え、自分の好きな文学作品を子供向けに書き直した紙芝居などを披露し、村の子供たちの間には人気があったようだ。
そんな彼に追い討ちを掛けるように、幼い頃から慕っていた姉が他の村へと嫁いで行ってしまった。
関係が良好とは言えなかった祖母に心も開けず、友人もいなかった彼は、次第に自室へ引きこもるようになる。
精神的に追い詰められていた彼がのめり込んだ物は夜這い(この当時、表では言わないが、日本の村社会の伝統的な行為である)である。
しかし女性と体を重ねても、彼の心の闇を取り払える物ではなかった。
そして訪れる大東亜戦争。
徴兵検査を受けた睦雄だったが、結果は肺病が原因の丙種合格(事実上の不合格)であった。
そして村で以前から夜這いを受け入れていた女性たちも、途端に彼を拒絶するようになる(当時の女性は、軍に甲種合格した健康的男性を持てはやす風潮だった)
とうとう孤立した彼は、その頃から武器を集め始める。
五連発銃を購入し、それを九連発へ改造し、弾丸も猛獣用へ変え、日本刀や匕首なども屋根裏部屋へ集めるようになる。
そんな中、かつて彼と懇意にありながら、様々な理由から彼の元を離れて他の村へと嫁いだ女性が里帰りしてきた5月20日。遂に彼は前々から準備していた計画を実行に移す。
彼はまず、夕方に村の送電線と電話線を切断。
しかし送電技術が稚拙で、強風などでの停電が珍しくなかった当時の寒村では、誰も怪しむ者は無かった。
夜も更けた頃、彼は鉈を手に、眠りについている祖母の首を斬り落とす。
そして、詰襟の学生服を着込む。その足にはゲートル、頭には2本の懐中電灯を括り付けたハチマキを巻き、ベルトに匕首、右手には日本刀、左手に猟銃を持つと、真夜中の村へと“出陣”して行った。
まず隣家へ忍び込むと、そこに暮らす老婆とその娘を日本刀で刺殺。いずれも即死だった。
そして次は、かつて夜這い相手だった人妻の家に忍び込む。かつての夜這い経験から、音も立てずに彼女の部屋へと忍び込むと、憎しみの全てを込めて彼女の下腹部へ散弾を打ち込んだ。
音に驚いて部屋へ飛び込んできた彼女の夫も即座に射殺すると、家の奥で震えていた幼い娘へも、躊躇なく引き金を引いた。
日本刀と猟銃を手に、返り血を浴びた姿と狂気に歪んだ顔で、躊躇無く村人の命を奪う彼の姿は、まさに鬼と言えた。
その夜、村には1匹の鬼が駆け抜けたのだ。
そんな彼の襲撃の時、命が助かった者もいた。
返り血を浴びて近づいてくる彼を見て腰が抜け、逃げる事も出来ずにいた老人が助けを懇願すると、「お前はわしの悪口を言わんじゃったから、堪えてやるけんの」と見逃されたという。
そうして事件発生の深夜1時から、わずか2時間足らずで30人の村人を殺害した彼は、村はずれの家を訪ね、紙と鉛筆を所望した。
その異常な風体に恐れおののいて動けなかった家人だったが、その家の子供は睦雄の紙芝居の常連で顔見知りだった為、その子供は睦雄に紙と鉛筆を渡した。
それを受け取った睦雄は悲しげな瞳で少年に「いっぱい勉強して、偉い人になるんじゃぞ」と言い残し立ち去った。
彼は村を一望できる山の高台に上る。既に夜が明け朝日が差し込んでいた。
そこで彼は姉に宛てた遺書を書き記した後、猟銃を自分に向け、その引き金を引いた。
その遺書には、「村人の余所者へ対する差別」、「結核患者への差別」、そして夜這いなどの「村の悪しき因習」についてが滔々と語られていた。
だが彼の悲壮な心とは裏腹に、事件後もその村では、「被害に合わなかった家は事前に事件を知っていたに違いない」という根も葉もない理由で新たな迫害が起こったらしい。
睦雄と彼の祖母の遺骨は、睦雄が遺書を宛てた姉が引き取って葬ったという。
この事件は戦中の情報統制下でも大々的に報じられ、日本犯罪史上空前の事件として今でも語り伝えられている。
またこの事件を題材、もしくはインスパイアされた作品も多く、横溝正史の『八つ墓村』を筆頭に、松本清張の『闇に駆ける猟銃』、古尾谷雅人主演で映画化された『丑三つの村』などがあり、近年のゲームなどでも、『零 ~赤い蝶~』、『SIREN』、『ひぐらしのなく頃に』なども(間接的な部分も含め)インスパイアされている。
