いろんなことにおいて、
「面倒だから明日でいいや」っていうことがあるわけですが
むしろ「面倒だから明日でいいや」という
「決断」が出来ているだけすばらしいと思うのです。
いまだからこそ思えるけど。
おそらく「回避行動」になる場合の頭のなかは、
もっともっともっと複雑で、
「明日でいいや」という「結論・決断」にまで至らない、至れない。
「~だけどどうしよう、やりたいなぁ、けど面倒だなぁ」というカンジで
ずっとひとりで押し問答して体も心も金縛り状態だから。
ということをふまえて、
「明日でいいや」ということを逆に、やってみようと思います。
「明日でいいや」という「小さな決断」も、
積み重なると回避行動をとる
「ネガティブな自動思考」になりそうだから。
あえての、です。
あくまでも認知済みなのが大前提。
「明日やるなら今日やろう」とかいうポジティブすぎる標語のようなものではなく、
あくまでもネガティブな自動思考からの負の連鎖を食い止めるため。
「小さな成功体験を繰り返す」という意味での、「やってみよう」です。
というわけで、ゴートゥー風呂です。
適当すぎる英語でもないなにか。笑
「面倒だから明日でいいや」っていうことがあるわけですが
むしろ「面倒だから明日でいいや」という
「決断」が出来ているだけすばらしいと思うのです。
いまだからこそ思えるけど。
おそらく「回避行動」になる場合の頭のなかは、
もっともっともっと複雑で、
「明日でいいや」という「結論・決断」にまで至らない、至れない。
「~だけどどうしよう、やりたいなぁ、けど面倒だなぁ」というカンジで
ずっとひとりで押し問答して体も心も金縛り状態だから。
ということをふまえて、
「明日でいいや」ということを逆に、やってみようと思います。
「明日でいいや」という「小さな決断」も、
積み重なると回避行動をとる
「ネガティブな自動思考」になりそうだから。
あえての、です。
あくまでも認知済みなのが大前提。
「明日やるなら今日やろう」とかいうポジティブすぎる標語のようなものではなく、
あくまでもネガティブな自動思考からの負の連鎖を食い止めるため。
「小さな成功体験を繰り返す」という意味での、「やってみよう」です。
というわけで、ゴートゥー風呂です。
適当すぎる英語でもないなにか。笑