ひとのいのちがなくなったあと


そこには




悲しみが残る
いつかはうすれるけど、消えることはない。


パクヨンハさんがどんな思いで命をたったか


彼も間違いなく絶望的な悲しみにおおわれていて
どうしようもなくて


そして実行にうつしてしまったあとに
その悲しみは何倍にもなって彼のいとしいひとたちに乗り移る

彼の思い出とともに

ずっといつまでも、悲しさはいなくならない


それがじぶんで命をたつことと事故や病気などでなくなるのと、違うのかもしれないし一緒かもしれないけど。


私には過去に上記すべての要素でなくしたひとがいる


やはりみずからいなくなってしまったひとのことは

何年何十年それこそ自分が死ぬまで

忘れられないだろうと思う。

同い年と、いっこしたの女の子で、それぞれお父さんと、お母さんを、病気で削られていくいのちのともしびを見届けたふたりがいた

本人も家族も何事もないようにしているけど、そこにはなんともいえない空気がある
むしろ、この場合は、みんな微笑みすら浮かべている
本人も家族も。


数日前に、私たちのまえからいなくなってしまった友人の家の前を通って

事故でなくなった友人の家にはお参りにいってるけど、彼女の家にはもうしばらくいっていないことを思い出して、

命日でもないけど突然だけど訪ねてみようかな、と一瞬原付をとめたけど、また走り出してしまった

事故でなくなった友人の家族のことはなんとなく予想がついても、
みずからいなくなってしまった友人の家族の気持ちや表情は想像がつかなくて、考えただけでいたたまれなくなったから。


でも今度、お線香もっていってみよう。

忘れてないよ。むしろずっと、忘れられない。
他にもたくさん、大事なひとをなくした。たくさんたくさんいなくなってしまった。

もっといえば、鳥たちやさかなたち、ウチにいたちいさいけどおおきな、すべてのいのち。

ぜんぶぜんぶ、忘れてない。

いまでもあなたたちを思うと、涙がでます。
でもそのぶん、特に鳥たちのおかげで、わたしもたくさん勉強して、いま鳥ドクターがウチの最長寿記録を更新しつづけているのは、あなたたちの尊いいのちのおかげ。
だからありがとう。わすれてないよ。ひきずってもいない。


このまえ「幽霊人命救助隊」の記事のときにかいた、弟をなくした親友。
彼女の弟になにかが起きたとき、私は一緒にいた。
連絡がきて電話していてみたことないくらい取り乱す彼女の様子に、きかなくても何が起こったのかわかってしまった。
弟くんの様子はきいていたから、悲しいことがおきたんだとわかった。

葬儀のとき、手伝いを頼まれて斎場に早く入り、親友と何日かぶりに再会した瞬間、抱き合って、泣きまくった。
あんなこと初めてだったし、二度ともうあんな涙は味わいたくない。
ものすごく強烈で強すぎる「悲しみ」、ただそれしかない空間。
あんなのは絶対イヤだ。悲しすぎる。

いまでもすべての場面が、脳裏に焼き付いて離れない。

この親友の結婚式のとき、最後の主役のふたりからのスピーチのなかに、彼女のいなくなった弟の話がでてきた。
ものすごく驚いたけど、

「めでたい席だからといって弟のことをなかったことにしたくないから」と、新しい家族になったダンナさんとボロボロ泣きながら、姉ちゃんの結婚式にいられなかった弟への想いを、会場にあつまったすべてのひとに伝えていた。

すごくめでたい席なのに、すごく悲しかった。あんなのも二度とイヤだ。
悲しいしうれしいしで、大パニックだった。
でももし、彼女の弟が「幽霊人命救助隊」みたいになって傍にいたとしたら、同じように涙をボロボロ流しながら、姉ちゃんの結婚式をうれしく思うと同時にそれ以上に、その場にいられない自分を悔しく思うんだろうな、とかそんなことを考えた。


とにかく。

みんないてくれ、ってことです。
もうひとが死ぬのはみたくないよ。もういい。ほんとにここにかいてないひともたくさんたくさん、いなくなった。
まえにも書いたけど、自分の歳の割に、別れが多い。
もう勘弁してください。舞台は慣れても、ひとがなくなることは絶対慣れるわけがないんだから。

でも、いなくなったひとたちにたくさんのことを教えてもらった。

だから私は進める。
だからみんな、みてて!
大手を振って再会できるように、どこまでも生き抜いてやるさ!