私は昔から、いろんなことをサッパリ「諦めて」きた。
以下、しばらく「諦め履歴書」が続きます。笑
最初は中学~高校1年の頃に、エレクトーンで「諦めた」。
エレクトーンで音大に進むなら高校1年のうちに決めないとダメだけどどうする?と先生に聞かれ、
最初はプレイヤーかインストラクターになりたいと思ってたけど、大会で勝てない自分がそんな仕事につけるわけがない、と。
そしてそれでも、受験の準備をはじめたら大会の準備がおろそかになるから、どちらかだといわれて、
進めなくても大会にチャレンジし続ける道を選んだ。
結果、中3のときに急に先の大会に進出できるようになって、かなり貴重な体験をそれからたくさんした。
それでさて進学はどうしよう、と考えたときに、今度は作曲が楽しくなって来ていた。吹奏楽の編曲も好きだった。吹奏楽のアレンジャーもいいなぁ、なんて思いつつ、どのみち音大か?と、
音大・・・しかも某有名大学にいって作編曲を学べたらいいなぁ、と思っていたある日、テレビでNHKの作曲コンクールの入賞作品のコンサートをやっていて、
いまはもっと実力も生徒も拡散してると思うけど、その頃はもちろん入賞しているのは某有名音大生ばかり。
でもその曲たちをきいて、
「私が作りたいのはこういう音楽じゃない」
「この大学に頑張って入ったところで、私が学びたいことは学べない」と感じた。
その話をするとエレクトーンの先生がヤマハ直属の学校も進めてくれたけど、エレクトーンでの将来を「諦めた」わたしにとって、ヤマハ直属の学校というのはイマイチピンとこなかった。
そしてもともと昔から好きだった「ゲーム音楽」を作れるようなのが一番いい!と思いつき、専門学校への進学を決めた。
そのころにバンドをはじめて、シンセと出会って、専門に入る頃にはすっかり
「自分のバンドでデカいことやりたい」とか思うようになってた。笑
ゲームはどこいった、ゲームは。笑
そして高校のときの体験入学の時点で、私の出身校になる専門の先生は、
「そうやね、これだけ知っといてほしいんやけど、ウチを卒業して、ゲーム会社とかに就職するとかで定職について音楽が出来る人間は、毎年ひとりいるかいないかやね、それ知っといた上で入って来てな」(のちの担任、大阪出身)
・・・といわれ、逆に安心して入った。笑
絶対就職できる!っていわれるより、信憑性があるとおもった。
そしてほんとにそうだった。笑
音楽じゃなくてゲーム会社に就職したひとはいたけどね。
ホルンに関しては、高校の時点でチラっと考えたけど、そこまでの超絶なウデはないし、なによりこれは一番楽しいというか、有酸素運動だからか、歌みたいに吹いた後スッキリするから、これは仕事とか受験とかしたくないな、と考えてた。
・・・・・とかかんとかやってて、専門を出てからは専門時代から働いてたところでそのままバイトで社会保険に入れてもらうほどフツーにガッツリ働き、いつしか音楽がちゃんと出来ないくらい時間がなくなった。
稼げたから楽器やマックなどに投資はできたけど、音楽をやる時間がなかったら意味ないじゃん!
・・・と、この職場を脱出。
この時点で実は、完全に「無職」の時代を味わってます。笑
貯金をしておいて、しばらく好きなことをやるときめて辞めたんです。
失業保険ももらえたので、一応仕事は探しつつフラフラ音楽ばかりやってました。
表情が明るくなったってこの頃いわれたな。
誤解がないように一応宣言しておくと、これみてるとなんだか「すぐやめるひと」みたいだけど、実はどの仕事も5年以上続いてます。笑
そのあとは、知り合いが始めたライブが出来るバーに誘われて、演奏者兼バーテン的修行もした。
この時は空いてる時間はオーナーがいいといえばピアノいくらでも弾けたし、カクテルとか覚えて超たのしかった。
ここで何回かライブもしました。でもカクテルつくってたほうが多かったけど。笑
で、この店が危なくなって来て(笑)こりゃこのままじゃ共倒れだ、とそうそうに仕事を探し出したところでみつけたのが、いまの非常勤の店です。
この店で働きだしてからも、バーで演奏だけはしてた。
この時代にかなりいろんな修行を積めたとおもいます。
そして音楽に理解のある現非常勤の店で働きつつ地盤を固めて、音楽の仕事ができるようになって。
(諦め履歴書終了)
ふとふりかえってみたら
「諦めまくってた」ことが、軒並み仕事として出来るようになってた。
エレクトーンだけは特殊だし別物だけど(笑)それ以外のことが、いつのまに仕事になってた。
いつの間にっていうか自分の足でいろんなところに仕事をとりにいったわけですけど、自分的には
「あれ?いつのまに」という感覚。
もともと「自分で専門がわからない」というくらいいろいろやりすぎていたわたし。
器用貧乏、になりつつあるなぁ、と思いながら突っ走ってたら、こうなってた。
そのなかで考えていって、完全にまず「ホルンは仕事にしない」というのを決めた。
結局、教えることだけは仕事になったけど、特に「演奏においては」
自分の楽団は絶対趣味だし、他のところに賛助で呼ばれたとしてもお金は発生しないのがほとんどだし発生しても基本まずお断りする。
渡されてしまう場合もあるし、みんなはある意味もらうべき立場なんだからもらいなよと言ってくれるけど、これは自分のポリシーだから、まずは最初にお断りする。
ホルンで音大出てないからね。超自己流なので。自己流のなかでどこまで闘えるか常に研究しまくってるけど。笑
ただ編曲は需要があるので、かなりいろいろやったけど、これは自分から言いだした時以外は「仕事」として引き受けることにした。
そんなこんなでなんか結構人生かいちゃったけど(笑)
なにがいいたいかというと
あくまでも結果論だけど、これはきっと誰にでもいえるとおもう
「諦めた」かもしれないけど、「選択した」だけじゃあないか、って。
人間は生きていく間、常に選択を強いられる生き物。
その「選択肢のひとつ」として、やたらと選択肢が多かっただけで、やたらと選択を迫られる状況に自分でしてただけで、
だから「諦めた」つもりだったけど、結局最終的に自分のところに戻って来たのではないかと。
いや違うな、諦めて、選択して、違う道に進んだはずだったのに、
進んでみたら結局同じ道につながってたんだ。
これは私の結果論で極端な例だけど、いろんな選択が常に起こるけど、
きっとどんな道を「選択」したとしても、その先は必ず「なにかが」あるんだと思う。
こっち平坦でつまらない道だったな、あっちのほうがおもしろそうだったな、って思えたり、
こっちエラいキツいなぁ、あっちが楽そうだったな、とか思えたり。
きっと選ばなかった道は魅力的にみえるかもしれないけど、結局つながっているか、つながってなくてもその道にしかない「なにか」には出会えるんじゃないかな、って。
これは自分にいいきかせている部分もあるんだけど(笑)他にもいろいろ「選択」して「諦めて」きてるから。笑
でも、ほんとにそう思える。
みんな少しでもそう思えたら、なんかいいなぁ。
以下、しばらく「諦め履歴書」が続きます。笑
最初は中学~高校1年の頃に、エレクトーンで「諦めた」。
エレクトーンで音大に進むなら高校1年のうちに決めないとダメだけどどうする?と先生に聞かれ、
最初はプレイヤーかインストラクターになりたいと思ってたけど、大会で勝てない自分がそんな仕事につけるわけがない、と。
そしてそれでも、受験の準備をはじめたら大会の準備がおろそかになるから、どちらかだといわれて、
進めなくても大会にチャレンジし続ける道を選んだ。
結果、中3のときに急に先の大会に進出できるようになって、かなり貴重な体験をそれからたくさんした。
それでさて進学はどうしよう、と考えたときに、今度は作曲が楽しくなって来ていた。吹奏楽の編曲も好きだった。吹奏楽のアレンジャーもいいなぁ、なんて思いつつ、どのみち音大か?と、
音大・・・しかも某有名大学にいって作編曲を学べたらいいなぁ、と思っていたある日、テレビでNHKの作曲コンクールの入賞作品のコンサートをやっていて、
いまはもっと実力も生徒も拡散してると思うけど、その頃はもちろん入賞しているのは某有名音大生ばかり。
でもその曲たちをきいて、
「私が作りたいのはこういう音楽じゃない」
「この大学に頑張って入ったところで、私が学びたいことは学べない」と感じた。
その話をするとエレクトーンの先生がヤマハ直属の学校も進めてくれたけど、エレクトーンでの将来を「諦めた」わたしにとって、ヤマハ直属の学校というのはイマイチピンとこなかった。
そしてもともと昔から好きだった「ゲーム音楽」を作れるようなのが一番いい!と思いつき、専門学校への進学を決めた。
そのころにバンドをはじめて、シンセと出会って、専門に入る頃にはすっかり
「自分のバンドでデカいことやりたい」とか思うようになってた。笑
ゲームはどこいった、ゲームは。笑
そして高校のときの体験入学の時点で、私の出身校になる専門の先生は、
「そうやね、これだけ知っといてほしいんやけど、ウチを卒業して、ゲーム会社とかに就職するとかで定職について音楽が出来る人間は、毎年ひとりいるかいないかやね、それ知っといた上で入って来てな」(のちの担任、大阪出身)
・・・といわれ、逆に安心して入った。笑
絶対就職できる!っていわれるより、信憑性があるとおもった。
そしてほんとにそうだった。笑
音楽じゃなくてゲーム会社に就職したひとはいたけどね。
ホルンに関しては、高校の時点でチラっと考えたけど、そこまでの超絶なウデはないし、なによりこれは一番楽しいというか、有酸素運動だからか、歌みたいに吹いた後スッキリするから、これは仕事とか受験とかしたくないな、と考えてた。
・・・・・とかかんとかやってて、専門を出てからは専門時代から働いてたところでそのままバイトで社会保険に入れてもらうほどフツーにガッツリ働き、いつしか音楽がちゃんと出来ないくらい時間がなくなった。
稼げたから楽器やマックなどに投資はできたけど、音楽をやる時間がなかったら意味ないじゃん!
・・・と、この職場を脱出。
この時点で実は、完全に「無職」の時代を味わってます。笑
貯金をしておいて、しばらく好きなことをやるときめて辞めたんです。
失業保険ももらえたので、一応仕事は探しつつフラフラ音楽ばかりやってました。
表情が明るくなったってこの頃いわれたな。
誤解がないように一応宣言しておくと、これみてるとなんだか「すぐやめるひと」みたいだけど、実はどの仕事も5年以上続いてます。笑
そのあとは、知り合いが始めたライブが出来るバーに誘われて、演奏者兼バーテン的修行もした。
この時は空いてる時間はオーナーがいいといえばピアノいくらでも弾けたし、カクテルとか覚えて超たのしかった。
ここで何回かライブもしました。でもカクテルつくってたほうが多かったけど。笑
で、この店が危なくなって来て(笑)こりゃこのままじゃ共倒れだ、とそうそうに仕事を探し出したところでみつけたのが、いまの非常勤の店です。
この店で働きだしてからも、バーで演奏だけはしてた。
この時代にかなりいろんな修行を積めたとおもいます。
そして音楽に理解のある現非常勤の店で働きつつ地盤を固めて、音楽の仕事ができるようになって。
(諦め履歴書終了)
ふとふりかえってみたら
「諦めまくってた」ことが、軒並み仕事として出来るようになってた。
エレクトーンだけは特殊だし別物だけど(笑)それ以外のことが、いつのまに仕事になってた。
いつの間にっていうか自分の足でいろんなところに仕事をとりにいったわけですけど、自分的には
「あれ?いつのまに」という感覚。
もともと「自分で専門がわからない」というくらいいろいろやりすぎていたわたし。
器用貧乏、になりつつあるなぁ、と思いながら突っ走ってたら、こうなってた。
そのなかで考えていって、完全にまず「ホルンは仕事にしない」というのを決めた。
結局、教えることだけは仕事になったけど、特に「演奏においては」
自分の楽団は絶対趣味だし、他のところに賛助で呼ばれたとしてもお金は発生しないのがほとんどだし発生しても基本まずお断りする。
渡されてしまう場合もあるし、みんなはある意味もらうべき立場なんだからもらいなよと言ってくれるけど、これは自分のポリシーだから、まずは最初にお断りする。
ホルンで音大出てないからね。超自己流なので。自己流のなかでどこまで闘えるか常に研究しまくってるけど。笑
ただ編曲は需要があるので、かなりいろいろやったけど、これは自分から言いだした時以外は「仕事」として引き受けることにした。
そんなこんなでなんか結構人生かいちゃったけど(笑)
なにがいいたいかというと
あくまでも結果論だけど、これはきっと誰にでもいえるとおもう
「諦めた」かもしれないけど、「選択した」だけじゃあないか、って。
人間は生きていく間、常に選択を強いられる生き物。
その「選択肢のひとつ」として、やたらと選択肢が多かっただけで、やたらと選択を迫られる状況に自分でしてただけで、
だから「諦めた」つもりだったけど、結局最終的に自分のところに戻って来たのではないかと。
いや違うな、諦めて、選択して、違う道に進んだはずだったのに、
進んでみたら結局同じ道につながってたんだ。
これは私の結果論で極端な例だけど、いろんな選択が常に起こるけど、
きっとどんな道を「選択」したとしても、その先は必ず「なにかが」あるんだと思う。
こっち平坦でつまらない道だったな、あっちのほうがおもしろそうだったな、って思えたり、
こっちエラいキツいなぁ、あっちが楽そうだったな、とか思えたり。
きっと選ばなかった道は魅力的にみえるかもしれないけど、結局つながっているか、つながってなくてもその道にしかない「なにか」には出会えるんじゃないかな、って。
これは自分にいいきかせている部分もあるんだけど(笑)他にもいろいろ「選択」して「諦めて」きてるから。笑
でも、ほんとにそう思える。
みんな少しでもそう思えたら、なんかいいなぁ。