茨木神社は807年に

ここ、元町からほど近い宮元町付近に

「天石門別神社」として鎮座されましたキラキラ

織豊期の茨木城郭形成過程で

現在地に奉遷され、

1622年現本殿創建により

天石門別神社は

奥宮として奉斎されたそうです

すっごく斜めってる下矢印

日当たりや風向きでいろんな形に

育っていくのね~

影響力凄っ!

茨木神社略記というリーフレットを

いただきましたお願いお願い

早速読んでみると

摂津名所図会、及び社伝によると

高槻城主・高山右近が織田信長に倣い

神社仏閣を焼却するに際し

信長が天照大神、春日大社

八幡大神、牛頭天王(素盞嗚大神)の

諸社は焼くべからず!としたので

牛頭天皇を祀ると詐称して

焼却を免れたと伝えられています

そして1622年

本殿の正殿には建速素盞鳴尊

相殿として天児屋根命(春日大神)と

誉田別命(八幡大神)を祀る社殿を

新たに築いて本殿とし

(その節はどうも~って感じなんかな?)

天石戸別神社を奥宮にして今日に

至っているそうです

この話、よく聞く汗

多くの神社がこうやって社殿を守ったんだね

奥宮の御祭神は天手力男命筋肉

配祀が天宇受売命

と豊国神、東照神だって

待合所に絵が掛かっていました

江戸時代中頃の茨木神社です

茨木川と鎮守の杜に囲まれた

境内の様子が描かれていました

と、そのカラー版

カラーになると一気にリアルに

ただ反射しまくっててお願いあせる

明治時代後期の茨木神社

蒸気機関車が走り

神社の前にはのぼり旗が立つ演芸小屋も!

う~ん、これもよく見えない・・・

自分の影&後ろの風景が重なってしまったあせる

昭和4年5月の茨木神社

令和5年12月の茨木神社

は、写真でした

令和5年11月に神社の南西にオープンした

子育て複合施設「おにクル」の7階から

神社方面を撮影したものだそうです

待合室の横は東門です下矢印

この東門、茨木城の搦手門といわれ

茨木城廃城の際にこの地に移築グー

平成7年に解体修理をおこない

築城当初の姿に復元されたそうです

一旦、東門を出てみました

ちょっと見てまた境内へ~

左に恵美須神社が

右に厳島神社が

その間に市営駐車場に続く扉が見えます

私は利用したことがありませんが

最初に見た時は

この人たちはいったい誰!?

どこから来たの?と驚きました

見晴らしのいい参道にいきなり人が

増えるんだもん照れ

神社を出て

噂の子育て複合施設・おにクルへ

行ってみることにしました

神社を出ると

橋の袂に茨木童子が立っておりました

節分、お疲れさまでした照れキラキラ