「憧憬」という名のカクテル~記事案メモ | Studiolo di verde(ストゥディオーロ・ディ・ヴェルデ)

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昨日この記事(https://ameblo.jp/azzuro0205/entry-12370964360.html)を書いていて思ったことがある。

「憧憬」の情、思いは、むしろカクテルのベースなのかもしれない。

例えば、ウォッカにオレンジジュースを加えればスクリュードライバーに、トマトジュースを加えればブラッディ・マリーになる。グレープフルーツジュースと塩ならば、ソルティドッグだ。

 

この己の内から湧き上がる「憧れ」の情、これにモチーフや主題を材料として添加して混ぜ合わせることで作品ができるのならば、そのような例を一つ一つ集めてみるのはどうだろうか。

 

例えば、

・ゴッホと「日本」

・ロランと「古代世界」

 

のような場所への憧れ。

 

ここに「フラ(ベアト)・アンジェリコと『天国』」も入れられるだろうか。

フラ・アンジェリコ(ベアト・アンジェリコ)、<聖母戴冠>、1434~5年、ウフィツィ美術館

 

私自身にとって、フラ・アンジェリコのフレスコ画が多く残るサン・マルコ美術館はまさに憧れの場所の一つだった。

幼いころに亡くなった祖母が模写したフラ・アンジェリコの<受胎告知>は今も家に飾られている。

それの実物を見たい、と思ったのは果たしていつからだっただろうか。

 

私にとって、サン・マルコ美術館は期待を裏切らない、むしろ憧れの場所への渇きを満たしてありあまる場所だった。押しつけがましさがなく、ただ前に立つだけで穏やかな気持ちになれる、そんな壁画が狭い部屋の一つ一つに描かれていた。

フラ・アンジェリコ(ベアト・アンジェリコ)、<受胎告知>、1437~46年

 

少しでも長く見ていたい。新たな部屋に足を踏み入れる度にそんな感情が湧き出てきた。

 

それにしても、長くあこがれ続けてきた場所に、実際に降り立った時、反応は二つに分かれる。

心躍り、内側から明るい物が溢れてくるような場合もあれば、「こんなものだったのか」と幻滅して、気持ちがしぼんでしまう場合もある。

どうして、こんな風に分かれてしまうのだろう。