<鎌倉散歩 2>

都を遠く離れた鎌倉に本格的な武士の政権を樹立した源頼朝は間違いなく英雄です。

その英雄が死んだのは1199年、相模川橋梁視察の帰途の落馬が原因とか。

53歳の英雄の死としては少々がっかりですね。

持仏堂だった法華堂に葬られましたが、その場所がここという訳です(写真中)

 

ところがお墓はさらに階段を登った山の中腹にあります(写真上)

江戸時代に薩摩藩主が藩祖島津忠久の墓をこの近くに建てた時頼朝の墓も整備しました。

忠久が頼朝の庶子だった縁だそうです。

 

実は当時の法華堂はこの墓の辺りにありました(発掘の結果、国史跡)

石碑の建つ場所がそう思われていたのですが(写真中)

明治維新の時の神仏分離で白旗神社となって伝えられていたのですが。

 

お墓を背に少し歩くと 「大蔵幕府旧蹟」 の碑が建っていました(写真下)

鎌倉時代はこの辺りが政治の中心だったのですね。

 

鎌倉を歩くと写真のような石碑があちこちにあります。

大正時代の青年会の活動が今も役立っている珍しい眺めです。