この民家は兵庫県の安富町(現姫路市)にある古井家で、江戸時代の文献に既に千年家と書かれているくらい古い民家です。江戸時代は1603年に始まりますが、現存する建築年代のはっきり分かる古い民家は農家も町家も17世紀前半以降になる。しかし16世紀まで遡れそうな古民家がいくつか各地に残されているがその数は10棟に満たないと考えられています。写真の古井家はこうした最も古い民家の一つで大変に貴重な遺構といえます。

 私がはじめてこの家を訪ねたのは30年ほど前だがいささか思い出があります。姫路から乗ったバスは西国観音霊場の一つ円教寺の建つ書写山の西麓を川に沿って北に向かったが、終点の皆河(みなご)で古井家のおばあさんと一緒に降りる好運に恵まれました。その頃は家の人たちは古い家のすぐ前に建てた新しい家に住んでいたが、古い家の中にもまだ家財がいろいろと残されていたので生活の匂いがしました。

 集落は西の山地の裾が斜めに広がった台地の上下に不規則に広がっています。千年家は見晴しのよい台地の端に建っていたが土地が傾斜しているので部分的に石垣を築いていました。弓なりの木を利用した自在鉤のあるイロリのそばにはおばあさんと亡くなったおじいさんがこのイロリ端で新巻鮭を持ってニコニコしている地元のデパートの大きな広告が貼ってあった。おばあさんは、おじいさんの自慢話やこの家のこと、代々伝わる亀石のことなどを話して下さり、土産に手作りのフキノトウ味噌をもらったことが思い出されます。

 

 

 

 

 

 

 

 古井家は軒が低いのでまるで竪穴住居に低い壁がついたような印象を受けます。家の中から外を見ると軒のために視界が遮られるほどです。建物の周囲は壁が柱を塗りこんでしまう大壁で、開口部はほんの少ししかない。まるで穴蔵のような造りです。

 右手の出入口の脇にはトイレがあり、広い土間に入ると前後左右に柱が何本も立っている。部屋の部分は表側が横長の広い板の間(オモテ)で裏側に閉鎖的なチャノマ ・ ナンドがある古い型の三間取りで、チャノマ ・ ナンドの床が竹すのこなのは板が貴重だったからでしょう。どの部屋にも柱が何本も立っている。これらの柱の多くは建築当初のもので、カンナではなくハマグリのような刃をつけたチョウナで削ってあるので暗い室内ではまるで蛇の鱗のように黒く光って見える。このような屋内の様子は、太い柱や梁を使って邪魔な柱を省略し、カンナを使うようになる以前の古い民家に共通する特色といえます。

 それから20年ほどたって再訪して驚いたのは、すぐ前に建っていた今の古井家がなくなって姫路市の管理となり周辺が整備されたことで、その分古民家から生活の匂いが消えていました。しかしすぐ近くに家がいくつも建っている様子は変わらないのでやはり火事が心配です。これまで何度も火事を防いだという亀石のご利益を頼みにするしかないのでしょうか。神戸の北の方にあった同じような千年家が1962年に火事で失われた例があります。今は土 ・ 日に公開されていますが、この貴重な民家がこれからも長くこの場所で無事に保存されるよう願っています。