栃木市は県都宇都宮市の南西に位置する町で、日光への例幣使街道の宿場町として、また巴波(うずま)川の江戸への舟運を利用した商都として栄えた。江戸からは日光への荷物や塩などが運ばれ、栃木からは木材や農産物などが運ばれたという。

 

 こうして江戸時代から明治・大正時代にかけて、豪商たちの屋敷と街道に沿って建ち並ぶ店(見世)蔵による街の景観が作られた。JR栃木駅から北へ通じる大通り(旧例幣使街道)とこれに併行する巴波川沿いの通りには、今も当時の建物がいくつも見られて蔵の街と言われている。

 

 写真は店蔵が5棟並ぶ見事な眺めの一部、いかにも重そうな棟の造りが建物全体の重厚さをよく示している。2階建ての黒い土蔵を横にした造りで後に住宅がつながることが多い。写真中右は同じものを扱う荒物屋が 2軒並んで商売をしているのがすごい。2階が低く、全体に写真左と同じような造りなのであるいは江戸時代の店蔵かも知れない。

 

 写真中左は提灯(ちょうちん)店で1845 弘化 2年の建築。年代の判明する最も古い店蔵である。2階は座敷になっており、奥に住居が続いている。通りに面してやや斜めに建っているのが時代を表わしている。城下町や宿場町ではこうした建て方が江戸時代にはみられた。

 

 巴波川に沿って120mもの黒板塀をめぐらして土蔵や住居が建ち並ぶのは木材回漕問屋として財をなした豪商塚田家の屋敷。白と黒の対比が美しい。近くには並んで建つ200年前の土蔵 3棟を利用した蔵の街美術館がある。

 

 写真下左は荒物問屋だったが今は蔵の街観光館として利用されている。同じく右は1861 文久元年に肥料・麻苧の豪商が建てたが今は下野新聞の支局となっている。こうした店蔵がいくつもみられるので栃木はまさに蔵の街で、邪魔な電柱が地下に埋めてあるのが嬉しい。古い写真を見ると大通りの中央には用水路がある。街の名物はジャガイモ入りやきそばで、戦後満腹感を得るためにジャガイモを入れたのが始まりとか。