ちょっと日にちが経ってしまいましたが、プロレスのオールスター戦とも言うべく「ALL TOGETHER」の日の事。

通常の日本武道館でのプロレス興行の時のグッズ販売は時計台の下辺り、外から2階へ行く階段付近でやっているのですが、今回は新日本、NOAH、DDT、大日本、STARDOM、DRAGONGATEと多くの団体が参加とあって近くの科学技術館での販売。

あまり、お金の持ち合わせも無かったのですが、ちょっと観に行く事に。

更にもう一つ、他にも理由が···

私には科学技術館には楽しかった想い出があります。

私が高校生の頃、85年の10月から89年の5月まで放送されていた「TVプレイバック」という番組が大好きで観覧希望の往復ハガキを毎週書いて送って、3年間で6回当たりました。確か16歳以上の条件があったかと思います。16歳になって直ぐにハガキを送り始めました。

この番組収録が科学技術館で行われており、往復ハガキの返信用のハガキには最寄り駅の「竹橋」駅から科学技術館への地図が印刷されていたのを鮮明に覚えています。

当時はスマホやケータイ等は未来の話、今だったら、そのハガキの写メを撮って記念にしていただろうなぁ。

番組はちょっとコミカルなクイズ番組で、出演者は司会が萩本欽一さん、欽ちゃん。解答者は当時は、まだ若手俳優だった石田純一さん、当時はモデルさんだったのかなぁ、向井亜紀さん、写真集を持ってました。更に週替り(実際は1回で2本撮りだったので2回づつで代わる)ドリフターズゲスト。私が観た時にはいかりや長介さん、志村けんさん、仲本工事さんが出演されました。

で何より高校生の時の私の憧れの人、大ファンだったのがフジテレビの松田朋恵さん、問題を読む人で出演されていました。

いわゆる女子アナブームの前から私は当時フジテレビの女子アナだった松田朋恵さんの大ファンでした。当時は女子アナと言う言葉は使えば通じたんでしょうけど無かったと思います。

ファンになって割と直に結婚され妊娠、収録の時に安産のお守りをプレゼントしました。高校生当時だったので大した物は買えずにちょっとお菓子をプレゼントに持って行き握手をしてもらったり、少しだけお話させてもらったり。今にして思えばお守りは気持ちこそ通じますが処理に困ったり、食べ物もやっぱり。申し訳無い事をしたかもしれません。

ファンレターを書いて、返事を頂いた事も。

TVプレイバック最終回目前の収録、89年の3月だったのかなぁ、最後にお逢いした時に「寒いからお気を付けて」と言う優しい言葉をかけてもらったのが最後の出逢いでした。

TVプレイバックの放映期間に結婚、既にフジテレビは退社されていて、育児なんかもあったのか、その後はテレビでお見受けする事があまり無くなりました。

その5年後、確かテレビ東京のお昼の番組で「もっと素敵に」という番組で久々に目にする事に。

でも、更にその後は···

「テレビ寺子屋」という番組で10数年経ってから出演する姿を観る事が出来ましたが、間もなく終わりに。

でも、今はSNSと言う便利な物があり、ブログの更新をよくされていて読む事があり、1回だけ書込みをしたら返信がありました。あの時の私···、やっぱり言えなかった。

イベント等の司会を今でもされている様なのですが、また逢えたら、いいな。

そんな事を考えながら、想出しながら、日本武道館に向かいました。今から36年前かぁ。

今日は4/22。書き終えたのは4/24

本当は3月に書こうと思ったお話です。

私はスーパーで働く鮮魚担当、すなわち魚屋のオッサンです。

2/22は私の仕事の師匠、最初のチーフの通夜でした。

話す事は出来ませんでしたが最期に逢う事、手を合わせる事、御礼を言う事が出来ました。

久々に一緒に通夜に行った人、久々に逢えた人。この様な事がないとなかなか逢えない人もいたりします。年齢は私より14歳上の方でしたので68歳。少し早い気がします。


私の職場、私が勤務している店は2/9に改装改造、リニューアルオープンしました。今までは鮮魚作業場がガラス越し、対面ケーススルーで作業場からお客様と対面出来ましたが、売場のケース棚を増設する為にガラスを外して塞ぎケース棚になり作業場からお客様を見る事ができません。そんな中で売場にいる時に馴染みのお客様から声をかけられました。

「お久しぶりです。売場から作業場に声を掛けられなくてお知らせが遅れてしまったんですが、1/19に父が突然倒れて他界してしまって。突然の事だったので、私共も心の整理が着かなくて。さかなねこさんには父がお世話になったみたいで、慕っていたので、お知らせした方がいいかと思って」

わざわざ伝えに来てもらえました。正確な年齢は存じ上げませんが、見たところ70前後。やはり、ちょっと早い気がします。


3月には鳥山明さん、TARAKOさん、私はプロレスの大ファンなのですが、訃報が報じられた週の日曜に吉江豊選手が試合後に亡くなりました。

御三方共50、60代、更に4月には曙選手が。


私がよく観ている「懐かしラボ」と言うYouTubeチャンネルがあるのですが、この御三方の訃報を取り上げていました。YouTuberの方が私と同じ53歳の方で、今年54歳になる筈。

その方の言葉で「私達の年代は、これからは〔さよなら〕が中心になる人生になる」

私にとっては、ちょっとした人生が変わる1言でした。


60代や70代前半の方は私から見て親世代と言うには近い世代。いわば職場の上司や先輩。同じ時代を生きる同世代と言える気がします。


私には10歳上の兄がおり、私を産んだ時点での両親は当時としては、ちょっとした高齢出産でした。

その両親は私が40代半ばで他界、私のお付き合いしている方も産まれてきた背景が同じで両親とのお別れの時期がほぼ同じでした。

たまたまの高齢出産であり40代での別れになりましたが、普通だと50代で両親とのお別れになる方が多いと思います。


人だけではなく、動物やペット、

生き物だけでなく、大切にしていた物や衣類。

他にも私が子供の頃からある近所のお弁当屋さんが閉店になりました。

車や自転車なんかも。


ここへ来て「良い意味で」私も諦めがついた気がします。

仕事の面で、魚屋としての技術は高めていくけど、会社員としての出世はもういいや。つい何年か前まで「史上最遅」、「最高齢」の出世なんて考えていたけど、若い人が頑張ればいい。

お金も欲しいけど、必要な分だけあればいい。


きっと、今乗っている車が乗り換え時期になったら、車ももういい気がする。


取りようによっては頑張る気力を失った様に読めるのかもしれないけど、そうではない。体力だって、腕力だって、衰えてはいるんだろうけど、そんなでもない筈。


いろんな別れを惜しみ、

少しでも後悔しない様に、

上手くいかない事が多いのも分かっている、

あまり評価されていない事も分かっている、

でも、もういいや。


謝りたい人、でも、どうする事も出来ない人、逢う事が出来ない人もいる。

仕返ししたい相手なんかもいる。

でも、仕方が無い。もういいだろっ。


やらなければいけない事、

整理しないといけない物、

捨てなければと思いながらも捨てられない、でも、もういいんじゃないか?


災害、病気


残された時間は長いか短いかは分からないけど折り返しは過ぎている。


今年はいろんな事の区切りの年、切っ掛けになる年なのかな?



アメブロ、ずーっと放置状態だった。

と言うか理由は分からないけど開けなくて、再度インストールしなおしたら復活した。

下書き保存したままの物もあったけど、まぁ、いいや封印しよっと。


今日は親友のライブ。

いつも出ている、いつもの会場でやっているライブ。いつものイベント、今日が30回目の記念。


30回目だからと言って特別ではなく、

いつもが、

毎回が、大切だから、

いつもの様に全力で。


天龍革命や四天王プロレス時代の全日本プロレスは、後楽園でも、武道館でも、地方会場でも、上質な内容の、「明るく、楽しく、激しいプロレス」をしていました。


毎日が記念日、と言う事ではなくてもいい。

必要以上に片意地はらなくてもいい。

毎日や毎回、後悔しない様に、楽しく、上質な物を提供できれば。


いつもと違う試みが1曲あったものの、

いつもの様に、上質な、楽しく、高アベレージのライブ。

経験値なんかもあるのかな。


このライブシリーズでは、個人的ないろんな出逢いも。

そして、今回も。

長く続かなくてもいい。多くの出逢いがあれば。

何事も人生の途中経過。

続きがあるかもしれないし、ないかもしれない。

毎回逢える喜びは勿論、再会の喜びも経験できるかもしれない。


取り留めがないけど、書くのはここまでにしとこっ。